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丹羽文雄先生

母と文豪・丹羽先生について話をした。
三鷹駅近くに豪邸を構え、軽井沢に別荘を持ち、私も小学生時代、何度か行ったことがある。軽井沢駅に着くとベンツが待っていたことを思い出す。
 なぜ、父と母が丹羽文雄先生に心酔していたか。それは先生は後進の為に同人雑誌の支援をしたり、文藝雑誌を創刊したり、自宅で勉強会を開催したり、自分の創作活動とは別に、若手作家の育成に力を注いでいたからだ。
 丹羽先生は貧乏な作家の為に富士の裾野に作家が入れる共同墓地も作られている。作品がヒットすることもある、しかし続編が続かず、困窮している作家達も多い。
 母は、父の遺骨を分骨して先生がつくられた共同墓地にも納骨するのだという、恩義を感じているのだろう。
 丹羽文雄先生は多筆だ!そのエピソードを紹介したい。モンブランの万年筆を握らず上部をつまむ。すると対角にあるペン先は高速で動く。
原稿用紙にインクが乾かない程に流れる様に書かれる。
各出版社には丹羽文雄担当がいて、速記文字の様な難解なブルーブラックインクの痕跡を解読する専門担当がいたのだ。
 新聞連載を開始した丹羽文雄先生の作品は、特に女性読者達を熱狂させた。母も届けられる新聞を待ち遠しく、気が狂いそうだったという。
 父にとって丹羽文雄ベスト3は「鮎」「厭がらせの年齢」「もとの顔」とエッセイで紹介している。特に「もとの顔」は父の作風に多大な影響を与えたらしいのだ。
しかし、それらは全て絶版。買うことはできない。神田の古本屋さんか図書館でしか読めないが、我が街の図書館は閉鎖が続いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/丹羽文雄?fbclid=IwAR0nBG6XUEAJwSvD97Bc2oO-zt3rom0PuFbTH0evueP8sRFEXH5kSlhhsyI

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