歴史と経済7〜覇権〜

近現代史は覇権の推移なしには考えられない。
ヨーロッパが世界の覇権を握り始めた時、その国々は大航海時代に活躍したポルトガルとスペインだった。

17世紀になるとオランダが世界全体に商業網を張り巡らせ、18〜19世紀には第2次英仏百年戦争を経てイギリスがパックス=ブリタニカ(イギリスの平和)と呼ばれる状況を生み出した。

イギリスはその巨大な海軍力と工業力によって世界中に植民地を持ち、大英帝国と呼ばれた。
具体的には、カナダやオーストラリア、新大陸、インドなど世界中の大陸に植民地を保持した。

やがて、新大陸からは兄弟関係にもなるアメリカ合衆国が独立するものの、インドの植民地化はイギリスにとって重要であり、生命線となった。

地球単位で蚕食されたというイメージで言えば、やはりイギリスが覇権国家の面目躍如と言えそうだ。

スペイン・ポルトガル・オランダが世界に進出したと言っても、アジアにおいてトルコやインド、中国を支配するということはなかった。

ヨーロッパ人にとってアジアの物産は憧れであり、アジアにとってヨーロッパは「貧しい」とも言えるほどに物的魅力に乏しいエリアだった。

これは現代とは全く逆のイメージであるかもしれない。
アジアは土地も肥沃であり、食料や原料が豊富なのだ。

ただし、ヨーロッパ人は冒険心と好奇心は高かったと言えるかもしれない。
彼らはトスカネリの「地球球体説」を確かめるべく、大海原に繰り出す勇気を持っていた。
当時は、地球が丸いかどうかさえ分からない時代だったのだ。

そして、キリスト教を新大陸の人々に粘り強く広げたり、原住民の文化財を持ち帰り、コレクションにするなど新天地への好奇心と支配欲に満ちていた。

特に、富を求めた冒険心は支配欲となり、全世界を巻き込んでいくことになる。

実際、1757年のプラッシーの戦いでイギリスはインドからフランスを追い出した後、1858年のムガル帝国(インド)滅亡まで100年にわたってインドの藩王や同盟勢力と戦い続けた。

このスタミナは驚異的だ。

そして、先述したとおり対アジア貿易に関して、うだつの上がらないイギリスは植民地であるインド産のアヘンを用いて、赤字だった清(中国)との貿易を黒字に転換させたのだ。
これに反発した中国を1842年にアヘン戦争によって敗北させ、上海など5港を開港させ、香港を割譲させた。

この触手は日本にも伸びてきていた。

その後、第一次世界大戦を経て、アメリカに覇権が移り、冷戦を経てソ連を振り払い、アメリカは今、中国と対している状況だ。

こうしてみると世界の覇権を担うには、豊かな資源や人口だけがものを言う訳ではないということも言えそうだ。

今、中国やインドが経済成長してきているのはもちろん人口や資源の要素があるのだから、経済との相関性は高いとは言える。

しかし、19世紀の両国は工業化やインフラ整備、政治体制などの面でソフト・ハード両面にわたって国家の力を結集できなかった。
そして、国民の不満というのは多くは経済政策への不満である場合が多いのだ。

近現代史を紐解くと、肥沃なアジアが16世紀以降、徐々に欧米諸国に迫られるようになっていった要因が見えてくる。

そして、これからのアジアにこうした要素が加わり、今長い植民地支配を経て経済力を逞しくしているのだ。

単純に現代だけを見るのではなく、ここまでのプロセスを見ることで、これから留意すべきことも見えてくるかもしれない。

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