勉強を楽しくする方法61〜ゴールの明確化〜

ゴールが見えてくると、手段が明確になる。
とりあえず、始めてみたはいいけれど、これはどこに行き着くのか?

何かに挑戦していると、時々こんな問いに直面することがある。
特に、継続が苦手な人にとっては、継続できていることに喜びを感じる一方で、「ところでこの流れはどこに行くのか?」と感じることがある。

しかし、世の人々はゴールを初めから決めて挑戦する人ばかりではない。
続けていく内に見えてくることもある。

継続は才能だけでは逆転不可能な、絶対的な力量の差を生み出してしまうことがある。

そして、その力を手にした時に、「では、これをやろう」という風に見つかったりすることもある。

例をあげよう。

運動の基本は足腰だから、とりあえず毎日10キロ走ってみよう。
本当にこれが継続できたら、大したものだ。

仮に半年毎日これを継続したとする。
雨の日も風の日も。

そして、本当にやり遂げた暁には、どんな人でも10キロ走ることに抵抗を感じなくなるだろう。

もはや、その人の走力とスタミナと根性は一般人とかけ離れている。

そして、その人は考える。

そういえば、この強靭な足腰を何かに生かせないか、と。
それは陸上でも、バスケットボールでも、お年寄りを背負って助けるでも良い。(今時、あまりみない光景かもしれないけれど・・・)

とにかく、自分に脚力がついた自覚があるからこそ、「何かできないだろうか?」という風に探索が始まる。

つまり、実際に実力がついていないと、見えないことがあるということだ。

初めに壮大な目標を立てることができず、最初の一歩が踏み出せないという人がいる。

しかし、壮大な目標なんて最初は無くてもいいかもしれない。
まずは、自分自身の軌道確保を目指そう。
日々をこなそう。
その方が気持ちも楽だ。

人間というものは、身の丈に合った生き方をするものだ。
できる人になったならば、それ相応のことをその時にきっと考える。

軌道に乗った時に、ゴールの明確化が訪れる。
ここが私の目標だと、悟る日がきっと来る。

これが自分のやるべきことであり、できることだったのだ!!

これが私の使命だ。

そんな発見は人生において歓迎すべきことだではないだろうか。
多分、嬉しくなると思う。
生きる目標を見つけた人間は、輝いている。

継続の賜物は、目標と同時に、そこへ至る方法も描けてしまう点だ。
こうなると、突き進まざるを得なくなる。

ゴールの明確化が最初にあるのはもちろん、ベストだ。
それに向かって一目散に頑張れたら素晴らしいことだ。

しかし、たとえそれが出来なくても道を歩きながら見つければいいのだ。
そう楽に考えて、日々楽しみながら、勉強をしていこう。

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