歴史と経済1〜未来予測〜

歴史を学ぶ理由は何だろう?
それに対する解答は、人によりけりだろう。
学問的な目的は存在する。

しかし、実際には歴史に価値や効用を求めるとき、それは人によって異なるという他はない。

そこには、「役に立たない」という解答も含まれる。
そして、それが「役に立つ」へと転じることも、またある。

私は少なくとも「歴史は学ぶに値すると思っている派」だ。
それどころか、歴史こそ未来への指針であり、基盤であるとさえ考える、大推進派の一人だ。

こうなった要因としては、これまで歴史を積極的に学んで来たこともあり、それに依拠せざるを得ない状況になっていることももちろんある。

しかし、現在や未来に向けて考える際、今のところ実際的に非常に手堅く、有用な存在・方法が「歴史」だと考えている。

ただし、人によっては「歴史」を過去の無用の長物だと感じる人さえいるのではないか。

古今東西の歴史上の事件や人物について、知ることや覚えることに価値を感じない。

第一、大前提が現在と違うのだから。

今は今だろ、と。

しかし、その大前提の違いこそが1番の歴史を学ぶ必然性であるかもしれない。

ここでは、私は積極的に歴史を現在や未来への思考に用いることを100テーマにわたってやってみたい。

そして、もう一つ。

多くの人が認識する前に既に変化への前兆を孕んでいる現象の一つに「経済」がある。

株式投資が良い例だろう。

株価が反映するのは、企業の現在の実績のみではない。
将来への期待値が、価格を跳ね上げる。
企業の実態・実績以上に株価を大きくすることがある。

そこには、全世界の知恵と欲望が投じられている。
一つの事件、ニュースが発信せられると、瞬く間に株価は如実に反映する。
それが起こったときに、この先どうなるのかについて世界中の人々が「ある判断」を下した証だ。

その意味で、経済は世界の体温計であるとも言えるだろう。

私は歴史の学びを現在や未来へと投げかけ、そのフィードバックを経済で表現できるのではないかと考えてきた。

もちろん、今は素人の戯言の領域かも知れない。
しかし、読み進めてもらえればきっと歴史は現在に通じ、未来へと繋がることに気付いてもらえるかと思う。

そして、その歴史の知見が経済への見通しを知ることに非常に有効なことも悟るはずだ。
そして、このままでいいのか、今の状況は正解なのか、この先どうなるのか。
こういったことを考えるきっかけになるだろう。
そして、実態としての経済状況を考えることになる。

金融や経済への学びのニーズはとても高いのではないか。
それは英語やITの必要性と同様だろう。

しかし、私が感じていることは「歴史」と「経済」の関係を知るにつれ、その行為は単純に楽しく、しかも人生を切り開く道しるべになってくれるという点だ。

ゆえに、テクニックとしての「経済」や「歴史」に溺れるだけでは済まないと考える。

それでも、そういう動機で学んでもらって、私は一向に構わないとも思っている。

大切なのは、歴史で人間が間違う前提を知り、それに気付いている人と気付いていない人、それを見越して既に動いている人の存在を経済を通じて知ることである。

それが本人にとって高尚な学問であると捉えていていようと、単なるテクニックと捉えていようと、それは私の与り知らぬ範囲になってくる。

そうかといって、無責任に文章を書くというつもりもない。

これは、私にとっても壮大な実験なのだ。

どんな形で100テーマにわたって、歴史と経済の関係と未来への指針を示せるか、今この瞬間も暗中模索している。

しかし、この2つの学問がリンクしているという実感があることは動かし難い。
これによって現在を考え、未来を知ることができることを日々体験している。

もちろん、正確無比にいつどこで、何が起こると予言できるわけではない。
私は普通の人間だ。
予言能力はない。
そして、私は経済の専門家でもない。

しかし、この世界は大きな流れに乗って動いている。
そんな実感がある。
そして、この「大きな流れ」を簡潔に明示できないもどかしさを何とかしたい。
言葉で解きほぐし、表現できないかと苦しんでいるのだ。

とりあえず今言えることは、案ずるより産むが安しということだ。

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