勉強を楽しくする方法67〜楽しさを求める理由〜
私は、第一志望の高校が不合格となり、やむなく滑り止めの私立高校に入学することになった。
電車で片道90分かかり、何段もの階段を登って登校することになった。
1年生ではそこそこ勉強もやっていたものの、2年生・3年生では高校の圧倒的な量についていけなくなってしまった。
そして、大学受験は2浪して、何とか第一志望の地元の大学に滑り込んだ。
1浪目は宅浪で、2度目は予備校に通って、お金も時間も普通よりもたくさんかかってしまった。
大学では、大量の本を読み、司書教諭の資格を取った。
就職試験は地元で採用され、途中で一度転職試験を受けた時も同じように合格し、採用された。
そして、社会人をしながら毎日4:30に起床して勉強を続け、1年に3回ほどは資格試験に挑戦し、時に資格試験の1級に合格するなど、金星をあげた。
さて、前回の続きから考えても、私の青年期は決して出来がいいわけではない。
中学生まではそれなりに勉強ができたのは、定期テストがメインで、範囲が限定されていたからだろう。
受験勉強のような範囲が広くて、完全な実力勝負になると、計画が立てられず、勉強も捗らず、失敗するという経過を高校受験でも大学受験でもたどった。
まず、私は計画を器用に立てられないというタイプであること。
その割には、2浪してまで頑強に意思を曲げずに、努力を続けるタイプであること。
つまり、センスや器用さとは縁がない。
しかし、情熱や不屈の精神は持っているのかもしれない。
ただし、処理能力はおそらく平凡なものだろう。
簡易的に自己分析をすると、それが私ということになる。
そこから、勉強に関して世の中に役に立つようなことをいうことができるのか?
2浪してまで、自分が決めた目標を目指す人は、だいぶ変わった人種であり、そこから一般論を導くのは難しそうだ。
ただし、不器用で処理能力がさして高くない人間でも、目標達成できるノウハウがあるとしたら、需要はあるかもしれない。
勉強はやってもやらなくてもいいものだ。
それは自分で選択できる。
しかし、多くの場合、それなりに豊かな人生を送っていこうと思えば、勉強が必要となる。
学生でも勉強は避けては通れない。
社会人でも、キャリアや収入アップを目指し、趣味の範囲であっても自分の能力を高めたいという人にとっては勉強が不可欠である。
人生100年時代ともなると、社会人の勉強スキルはマストになってくるかもしれない。
そして、こう考えると多くの人にとって、勉強は常に人生に付き纏う。
別に勉強を好きになる必要はないのだけれど、多くの人は短時間で成果を上げたいと考えているのではないだろうか。
本も速く大量に読みたいと考える人もいるだろう。
こんな向上心が無いわけではないのだけど、なぜかどこかで諦めてしまっている。
まあ、なるようになると思ってしまっている。
あるいは、できれば勉強を続けたいのに、気が付いたら時間だけが過ぎてしまっていた。
こういう人々にとって私の経験はお役に立つかもしれない。
私は社会人になってから、何年も勉強と共に生きてきたからだ。
そして、具体的な生活レベルの話はこれまでに書いてきた。
大切なのは、やはり考え方である。
私が2浪を選択したのは、第一に勉強ができない自分が悔しかったこと。
第二に勉強ができるようになれば、きっと面白い時間となるはずだと想定していたからだ。
ここは、皆さんのイメージと大きくかけ離れているかもしれない。
2年間の浪人生活はきっと苦痛で暗い時間だったのだろう、と。
ずっと向上することが無いのであれば、確かにそうだ。
しかし、私はその点は楽観的で、勉強ができてくれば、きっと面白い時間になるのであり、出来ない自分のまま進むよりも浪人する方がよほど価値があると判断した。
社会人の勉強にとって大切なのは、確固たる考え方を持ち、はじめの一歩を踏み出すこと。
継続することである。
それが3日で終わるのは、考え方の部分でズレが生じているのだ。
まず、あなたの処理能力が人並みであるならば、それなりには時間を取らないといけないという意識を持とう。
そして、最終的には勉強は楽しくなってこそ、続くものだということをイメージしよう。
それは例えていうと、貯金のようなものである。
多くの人は、将来の安心のために何となく貯金しているのではないだろうか。
もちろん、欲しい車や海外旅行という具体的目標のために、貯金をする人もいることはいる。
しかし、多くの人は将来への不安から、何に使うわけでもないのだが、何となく、とりあえず、貯金するのではないだろうか。
勉強へのモチベーションもそれに似ている。
あなたの目指すところがキャリア形成に必要な資格であったとしても、モチベーションは
いつか役に立つくらいの気持ちで気長にやっていくことの方が重要である。
そんな悠長なやり方で合格できないと思うであろう。
しかし、社会人にとって、勉強そのものが習慣として、続くように持っていくことの方がはるかに重要となるのだ。
この資格に合格できたら、この10年間きっと困らないだろう、という貯金と同じ考え方で勉強していこう。
この方法ならば、あなたにもきっと勝算がある。
そうすると、慌てずにじっくりと学ぶことができるからだ。
自分の神経を追い込んで、いきなりたくさんの量を自らに強いると苦痛になってやめてしまう。
種を蒔くようなイメージで、日々知識を蓄えていく。
そうすると、日常に少しずつ変化が起こり始める。
知識が増えてくると、上司の話がよく理解できるようになったり、アイデアを提言できるようになったりするのだ。
そして、問題集もそれなりにこなせるようになり、正解率が高まってくる。
1冊完成すると達成感が生まれ、継続の威力を肌で感じる。
そして、ある瞬間に、「どうせなら勉強量を増やしてみよう。」という日が訪れる。
その時から、目標に向かって動き出す。
スピードが出てくるのだ。
その時からで遅過ぎず、早過ぎない。
その状態ならば、多少の無理はきくようになる。
途中で勉強をやめてしまうのはなぜかと言うと、勉強する時間がひたすら苦痛だからではないだろうか?
苦痛なのにも関わらず、何かに必要だからやっている。
泣く泣くやっている。
短時間で無理な量をこなそうとするから、日に日に苦しさが増していく。
多忙な日常にあって、プライベートな時間まで辛くなる。
これでは、悪循環である。
いつかは役に立つのだというスタンスでやり始め、日々少しずつ効果を実感していくことが大切なのだ。
そして、勉強のメリットを感じながら生活を送っていくと、「得している」感が自分の中に充満していくのだ。
それは、銀行口座の貯金の残高が増えていく時に、嬉しいのと同じである。
この流れを生み出せれば、とことん得した方がいいと、人間は判断するようになる。
損得で動くのかと言われればそれまでだが、得している実感を持つと、勉強の時間が楽しくなってくるのは必然なのだ。
つまり、勉強が苦痛なままやっていると、忙しい社会人は途中でやめてしまう可能性が高い。
日々の仕事は忙しく、ストレスフルだからである。
その上に苦しい勉強は、出来なくて当然だ。
しかし、そんな生活の中、無理なく勉強できて、なおかつ仕事のスキルが少しずつ高まっていくことを実感できるようになれば、考え方は変わるのである。
発想の転換こそが重要だ。
勉強を楽しいものに変えよう。
誰でも短時間で即効性のある勉強をして、成果を上げたい。
それは、理解はできる。
しかし、急がば回れということわざもある。
確実に成功したいならば、得点を取れる状態を生み出し、いかに日々の勉強時間を楽しいものにするかという発想でやってみるのだ。
勉強を楽しいものにするという発想が社会人の勉強方法にとって、多くの人にとって不可欠な発想だと、私は思っている。
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