歴史と経済2〜参入時期〜

日本という国は実に不思議な国である。
江戸時代、この国は鎖国をしていた。

厳密には、制限貿易という状態であったが、自由にどこの国とも貿易をしていたわけではない。

世界が産業革命や市民革命を達成している最中に、日本は封建制で手工業の国であった。

しかし、寺子屋教育で武士から庶民に至るまで、学があった。
この激動の時代にあって250年以上もの平和によって文化が栄え、工場制手工業という労働形態も現れていた。
国内の海路も陸路も整備され、経済的な流通網ができていた。

こうしたことから分かるのは、この国の国民は暇を弄ぶ民族ではないということだ。
余暇の時間を何かしら、実のあることに使いたい。
それが、文化であれ、商業であれ、なるべく効率よく人生をかけて学び、全身全霊を懸けるに値するようなものにする。

そういうことが好きな民族なのではないだろうか。

ご存知のように、この後江戸幕府は倒され、日本は明治維新を果たすこととなる。
立憲君主制を敷き、産業革命を成し遂げた。
日露戦争に勝利し、日本は近代国家への階段を駆け昇った。
1868年から明治時代が始まり、1920年には国際連盟が発足し、イギリス・フランス・イタリアと並び、日本は常任理事国となった。
この間、50年ほどである。
この国に何があったのか。
産業革命自体はイギリスで18世紀の後半から始まった。
トップランナーから100年遅れてスタートしたのが日本だった。
近代化への参入時期はこの上なく遅かったにも関わらず、当時の先進国の末端に名を連ねるようになっているのは驚くべきことではないだろうか。

しかし、その後日本は中国大陸から東南アジア、南の島嶼地域へと侵入していく。
そして、アメリカを中心とする連合国に第二次世界大戦で敗北。
経済的にも世界の底辺のレベルにまで落ちた。

しかし、そこから再び這い上がり高度経済成長を経て、1968年には資本主義諸国中GNP第2位となり、80年代には自動車産業などを中心に躍進し、アメリカに迫っていく。

プラザ合意で、潮流も変わったが、当時の日本はジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、1989年の世界時価総額ランキングの上位10社の中に日本企業が7社ランクインしていた。

どうだろう。
少し面白くないだろうか。
凄まじいまでのジェットコースターぶり。
まさに、スクラップ・アンド・ビルドである。

もちろん、我が民族をことさらに崇めようという気はない。
ヨーロッパから物理的距離がある日本の地政学的な有利さや、人口ボーナス(戦後の先進国野中では人口は第2位)の面から考えれば必然性もあったのかもしれない。

2020年現在、日本は世界時価総額ランキングのベスト10には1社も入っていない。
バブルに沸いた時代が嘘のように、この30年間は失われたのだと、人々は言う。

確かにピンチだろう。
少子高齢化が世界一の速度で進むこの国は、キャッシュレス化への移行も鈍足であり、AIを実装した次世代型産業も心許ない。

しかし、である。

ペリー来航にしろ、日露戦争にしろ、敗戦にしろ。
日本はこれ以上ないピンチの上に立たされたことが何度もある。
元寇まで遡ってもいい。

歴史的に考えれば、立ち上がることがないとは言えないパターンだ。
いやいや、今度こそは・・・。
しかし、日本は型にハマれば、恐ろしい強さを発揮する国である。
そもそも、本当のピンチが訪れないと動き出さない国でもある。
生温い危機や外圧では動かない。

コロナという危機に襲われている今、日本がどのように歩んでいくのかは注目に値するだろう。
確かに、普通に行けば斜陽国家へと突き進む。

しかし、明治維新から50年で一気に躍進したことを思えば、何かのきっかけで様変わりすることもあるのではないか。
経済は少しずつ回復して来ているが、こんなものじゃない。

もっと圧倒的な国家としての成長を望むことは難しいだろうか。

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