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続・楽描き

楽描きは楽しい。
私は化学物質過敏で本当に困っているので、新しい画材も紙も買えないし、本当はiPadを新調すれば、デジタルで描けるのだけど、先月無理を押して壊れたiPhoneを新調したばかりで、その時の店舗のエモイワレヌニオイを思うと身動き出来ないから、昔買ったコピー用紙に、昔買ったボールペン、昔買った色鉛筆で描いて、スマホで写真に撮って、加工するスタイルだ。
本当は顔彩もまだあるし、スケッチブックも残っているが、このまま楽しみたい気持ちがある。案外つるつるした白光りするコピー用紙にボールペンという組み合わせは、子供の時分に竹ペンと墨汁で描いたような描きにくさゆえの、必然的な好ましい不器用感が出るのが面白くて好きなのである。

ところで、インスタに投稿してて思うのは、目を疑うほど上手い人々が溢れていることで、情報の発達があれば美大なんぞ技術と就職に関しては要らないなとつくづく思う。しかしながら美大はこの世界に必要だ。美大にしか行けない個性の人々を許容してくれる場だという意味ではとても重要だし、私自身はあの四年間で上手い友人と刺激し合えたおかげで、どんな絵を描きたいかが相当まとまったと思ってる。

インスタのタイムラインの絵に見惚れつつも、描き方を釣られず自分なりの絵を描いているのはそれが大きいと思う。
まぁそして、レオナルド先生とフランチェスカ先生と、若冲先生…等がすきなのだ。誰がどんな絵を描こうとも私の最強の推しはレオナルドであるし、冗談抜きで時空を超えて話しかけている。

ただ、やっぱりSNSの寂しさは、好まれない絵を描いてたら誰もいいねくれないことだ(笑、そりゃトーゼンじゃん、それでいい)。
私の絵は、いくら描くのが好きなことを自覚したとしても、今のところニーズはほぼない。
正直、自分だけの想い止まりで誰かの役には立てないのかなぁと思えばめっちゃ凹むけど、…そこで視点を変えてゲームだと思えばいいんだろう。(私はゲームをしないからよくわからんけど、本田晃一さんの著書のタイトルにもある。)
色々試すのも楽しいだろう。まだスタートしたばかり。
そうそう、続けることにかけてウチの親友が凄くて、どんなに苦しいことも乗り越えてガッツリ異国の地で絵描きしているという最高の道筋を見せてくれている。力強い。ありがたい。

それでもやっぱり人間なので、凹むだろうけど…
何せ最近、予備校時代の恩師が立派な人気画家なのにインスタで気持ちがダウンしてることを告白したり、自分の絵に対して「下手だ」と言ってて…衝撃を受けたがそのぐらい…成功者でも絵を続けるのは心に過酷なんだ。

そりゃ辛さは知ってる。私はそれをまともに受け取って負けてきた。まともに受けずにゲームしたらよかったんだ。

歌に関していつもいつもいつも、自分が下手だと思って苦しんでいたし、ニーズがあるのかわからなかった。それでもなんとか18年ぐらいは続けて来られた。まだ痛みは残っているが、私は恵まれていたと思う。そしてよくやったなぁと思う。崖をよじ登るようなことばっかりだったはずなのに。今ならそう思う。

というわけで、落描きは楽しみ続ける。りあるゲームしつつ。時空を超えてレオがいるから大丈夫。

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