『DEATH』〜死とは何か.を読んで
『DEATH 「死」とは何か』シェリー・ケーガン・著 柴田裕之・訳 文響社
旦那氏の車から拝借した本、ようやく読了し鞄が軽くなりました
哲学的に死(付随して人生をどう生きるか)を考える一冊
イェール大学での講義を文字起こしした原版が翻訳(やや省略)されたものなのですが
ある想定や仮定について検証する時には
あれがあーでもないこれがこーでもない、と徹底的に疑問→考察→解決、疑問→考察→解決と
ケースごとに行わなければならないので
最初はちょっと読み疲れます。
その講義(話し口調のような形式)スタイルになれてくると面白味がグッと迫ってきます
筆者は人間の死について、
『人間には魂などといったものはなく
死とは機械が止まるようなこと』
と考えていて
何故なら〜、というところを検証していっているのですが
人間は物事を、盲目的に、見たいように見、信じたいように信じる傾向があり
真実に向き合おうとする人、そこを掘り下げて追求しようとする人でなければ
辿り着けない信念というものがあると思うんですよね。
宗教とか科学とか世界情勢とかも。
誰かのいうことを100%真に受ける、ということを私達は生まれた時からの刷り込みによって、よくやってしまってるんです
そう教えられた、そういうものだと思っていた、それが当たり前だった、と。
自分自身のオリジナルな答えを探し続けるには、やはり沢山の人の知識や考えに触れ、柔軟で客観的、論理的に考察するのが
一番胸がスカッとします
死ぬことが怖いのは、死の後の永遠の時間
自己というものを喪失し、肉体や記憶や歴史や凡ゆる自我を永久に剥奪されることだ、という事に強く共感していましたが
印象的だったことは、私達が生まれる"前"にもまた永遠の時間はあり、
不死というものはまた不幸であることが立証され(私の中では)、 永遠と永遠に挟まれて、光のように存在する私達のいまという奇跡の時間がどんなに素晴らしいかということを
じっくり感じられる、穏やかで強い、確かな幸福感とエネルギーを与えてくれる本でした
あと印象的だったこと2つ。
死に対して"恐れる“ という反応は誤りであること。
詩人や文筆家のよくいう「人は死ぬ時はひとり」
という言葉の漂わせる孤独感は、正確には正しくないこと。(死に限ったことではない)
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