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自宅出産のいちにち

2/12(月・祝日の振替)18:31に第3子を自宅で出産しました!
2ヶ月半経ち、現実感が薄れてきているので起きたことを思い出して書いてみます。(と書いてからさらに4ヶ月経ってしまった。笑)

その日の前は…

予定日は2/10。当日までは体を動かさねばとちょっとあせりつつ頑張っていて、前駆陣痛もきている感じがしたし、お腹も下がってきてると思ったけど、おしるしなどの兆候はなく。
11日は張ってた気がゆるんだのか、「産まれないんかーい」とガックリきたのか、ふてくされて1日ゴロゴロしてました。

そして12日

日付が変わった夜中の0時過ぎから、長子の4歳さんが嘔吐し始め、1時間に1回起きては吐いてないてをくり返す…!
4時頃から寝られて、朝一番に近くの当番医を受診。
「生まれる前でよかったねえ」と言いながら、坐薬と飲み薬を処方してもらって帰宅。11時過ぎには落ち着いて、ホッとひと息…も束の間。

…なんだか前駆陣痛が結構しっかり続いていて、このままだと強まりそうな気がしてきた。。
え…、、今?今日?これから出産??
あまりの急展開に信じたくない気持ちと、着実に痛くなっているお腹。

陣痛の間隔を測ってはみるものの、5分間隔の時もあれば20分くらいの時もあってなんとも言えない。安心したい一心で、昼過ぎに助産師の石田さんに連絡してきてもらうことに。
同時に、バースフォトをお願いしていた佳奈ちゃんにも連絡して出発してもらう。

助産師さん到着。

石田さんが到着して内診してもらうと子宮口は4cm開いているとのこと。
「こっから何日も産まれないってことはないっすよね。」と自分で言う。
何時間かかるかはわからないけど、「とりあえず寝られていないので寝てみます!」と言って一度待機してもらうことに。横になって休もうとするものの、陣痛もきているし頭が冴えているのか、寝れない。パートナーは寝れていたのでよしとする。

石田さんとのLINEのやりとり
15:57「強まってる感じはしますが、まだ不規則です」
16:10「痛み規則的でなくても間隔短くなってきたり強くなってきたら電話してください」
16:29「はい。一回ごとに汗がにじむ感じにはなってきてます。」
16:31「じゃあまた向かってみるよ」

佳奈ちゃんも16時前に家の近くに到着しており、来てもらう。

強まってきた〜!

そこからは、もう落ち着いて話をする余裕もなく、波がくるごとにヒプノバーシングで習った子宮口をゆるめるイメージをすることに集中。
全開になる頃には、早く出したいということしか考えられなくなり、講座で見た動画の穏やかなお産のイメージはどこへやら。いきみまくる。
陣痛と陣痛の合間は、「眠い!このまま朝まで寝たい!」など、なりふり構わず喋る(笑)

夜中に吐いていた4歳さんはすっかり回復したようで、気づいたら私の顔の前に正座して陣痛の合間に「ママ。はい、お水」とストローを差し出してくれていた。
2歳さんは部屋を出たり入ったり、陣痛の合間に脱力する私の隣で「まだ出てこないの〜?」「出ておいで、でっておいで♫」と楽しそうに踊っていた。

途中で、バシャっと破水して「あー楽になった」となったもののすぐには出ず、その後「髪の毛見えてるよ」と言われた時には「まだ髪の毛かーい」と謎のツッコミを入れる私。2歳さんは大ばばの部屋へ走り「髪の毛見えた!」と報告していた。

途中でスタミナ切れに見えたようで、「何か甘い物を!」とゼリー飲料を飲まされる。私としてはスタミナが切れてるんだか切れてないんだかわからない。ちなみに、この段階になっても陣痛の間隔は気まぐれで、間は長めだったりすぐきたり、強さもちょろっと痛いだけの回もあったりして、何がなんだか…笑

ついに誕生だっ!

そんなこんなしているうちに「次で頭出るよ」と教えてもらい、4歳さんに「みんな呼んできて!」と言うと、めっちゃ大きい声で「産まれるよー!」と集合をかけてくれて、両親、祖母、子どもと佳奈ちゃんに見守られて登場。この時、4歳さんがパパのスマホで録画をしていて、家族の声や産声も入っていた。グッジョブすぎる。

佳奈ちゃんはずっと写真を撮ってくれていたけど、気になるどころか、ほとんど気にかけれなくてごめんというくらい、「早く出したい」しか考えられていなかった気がする…。いや、子どもたちのことは気にかけていたような記憶もあるが、とにかく必死でしたね。集中していたと言えるのかしら。

お手伝いに来てくれた助産所ゆるま〜むのこず恵さんが「満潮は17時半」と言っていた時間に近い、18:31に産まれました。

さて、性別は?

すぐ私の胸に抱いて、みんなで無事を喜びました。
生まれたね〜としばらく味わった後、気になる性別を確認!くるりとかえすと男の子で、私は心底「事前に聞かなくてよかった〜!!」と思いました。

母が第3子の男の子を亡くしていたことで、男だったら難産かもという懸念を捨てきれなかったので、事前に性別を聞いてたらかなり不安になっていたと思う。母と私は別の個体で、関係ないと頭ではわかっているんだけど、母の心情と自分の懸念を切り離せない状態が強まっていたかもなと。

そんなことをぼんやり考えつつ、多めの出血のため点滴をしてもらったりしながらごろごろ。
出血していても全然元気だったので、後に「血も出したいのかもね!」と言われ納得。血の気多め。

子どもたちは赤ちゃんのお世話に興味津々で、助産師さんたちにたくさん質問して色々とやりたがっていた。赤ちゃんが冷えないように部屋を温めていたし、非日常にテンションが上がったのか、上の子たちは気づいたら薄着になっていて、バースフォトに裸の大将みたいな子がいた。

立派な胎盤いただきます。

その頃、母はこず恵さんとともに胎盤を捌いていた。いい胎盤だわ〜としきりにほめていただいたらしい。
漢方のような感じで、産後の滋養にいいと聞いていたので私は食べる気でいたものの、母が家族みんなにふるまいはじめ、明け方まで吐いていた4歳さん以外は全員食べていた。父もお腹の調子が悪いと寝込んでいたのに、その日唯一口にしたのが娘の胎盤という…笑

病院での出産でも胎盤は見せてもらったけど、今回は自宅ということでやりたい放題。バースプラン的に元々イメージしてなかったことでもその時のノリと勢いでやっちゃう。何が起きてどういう気持ちになるかわからないんだから、そういうのがいいね。

赤ちゃんも一緒に、おやすみなさい

そうそう、寝る前にトイレに行っておこうとなったけど、出産直後なので立ち上がることはできず、這って行く。本当にハイハイで。子どもは「えー!」と驚いていた(と思う)。そういう姿も見せられるのが自宅ならではだよなと思った。

夕方に生まれたので、子どもたちも普段の生活リズムを大きく崩すことなく、22時すぎにはみんなで就寝。
夜中に目を覚ますと、隣に小さい人が寝ていて、出産の実感やほっこりとした気持ちを噛みしめる。さあ、産後ハイの始まりだ。

そんなこんなの自宅出産でした!

4歳さんの嘔吐から始まった長ーい1日。
ヒプノバーシングのイメージもどこかへ行き、穏やかでも厳かでもなく、にぎやかにわいわいと、わが家らしい出産だったのかなと思います。

子ども達、家族にとってどういう経験だったのか、実はその後、半年経った今でも簡単には言い表せないと感じていて、「自宅出産ってこうだよ!」と言い切れないのがもどかしいなとずっと思っている。

でも、前にも書いた世代を超えた出産のトラウマを解消したい、という願いは叶った…かな?

人に聞いてもらったり、色んな切り口から話すことで気づいていくことも多いなと感じているので、興味のある方はぜひ聞いてもらえたらうれしいです。まだまだふりかえり味わっていますので。

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