不細工の僻み

 「君と一緒にいると楽しいけど、ずっと一緒にいたいとは思わないよね。」これは、私が中学二年だか三年だかのときに、同級生の女の子に言われた台詞である。その子がどんな子で、どういう状況で、何をきっかけにして言われたものなのかは、どういうわけかさっぱり覚えていない。ただ、この言葉だけが私に残り、今も尚、心に突き刺さっている。だが、この言葉ほど、私の人間性を的確に表現しているものはないと思っている。
 私は、色恋沙汰などというものに、無縁の学生生活を送ってきた。私は、小学校を卒業するころには、百七十センチほどの背丈があり、中学校で百八十センチを超え、今では百九十センチに届いている。西洋人と並んだところで遜色はないだろう。だが、決して大柄なわけではなく、痩せている。学生時代はバスケットボール部に所属し、人並、或いは平均より少し上ぐらいには運動も出来た。決して上手いわけではなく、下手の横好きという言葉がぴたりと当てはまるが、ピアノも弾けた。中学生の頃は、些か勉強も出来た。あるとき、親戚の一人がこう言った。「何故、モテない?」私の答えは決まってこうだ。「さあ」
 そんなこと、知ったこっちゃないのである。いや、正確には知っている。あなたは他人を好きになったことがあるか。あるとするならば、それは何を基準にしている。優しいから?気が利くから?足が速いから?冗談じゃない。ドアを開けて差し上げて、「気持ち悪いよ?やめな?」と言われた私の身にでもなってくれ。もっと言おう。あなたは、TIKTOKという、低知能とイかれた変態どもが集う、承認欲求の権化である動画配信アプリケーションを知っているか。一度でいいから、適当な動画のコメント欄を開いてみると良い。所謂美女の動画と比較して、所謂美女と言われにくい人間が、所謂美女と呼ばれる人間と同じことを動画内で披露したとしても、「ブスw」「可愛く見せようと必死w」「ヤバい奴じゃんw」「乙w」「鏡見てこいw」「動画の途中からメイクで可愛くなると思ってたから草w」「草に草生やすなw」この有様である。しかし、まるで道化師化の如く、最大限に美女でない部分を活かした動画をアップロードしたならば、「面白い」「自分がわかってる」「草w」「草に草生やすなw」エトセトラ。勿論、美女と呼ばれる方々にも、視聴者からのコメントに、セクハラや、それに類するもの、ときには誹謗中傷を浴びせられていることも十分承知ではあるが、それはまた別の機会にさせていただく。
 ここまでは、何となくオブラートに包んできたが、もういいだろう。世間はこう言っている。ブスは一生道化師を演じていろ、と。誰かがこう言う。「美人だって、苦労して美しさを保っているのだ。お前らは怠惰の末、ブスになったのだ」なるほど。分からなくもない。毎晩、お風呂上りに洗顔、化粧水、乳液は欠かさず、ときどきパックもやってみた。メイクの術も我なりに練習してみた。それでも足りないというのか。「安物?」「化粧教室とかあるよ?」「美顔ローラーは?」「スチーマーは?」「整形は?」忘れていた。そんなにも様々な術があるのか。だが、金がかかる。如何せん金がないのだ。それに、整形と簡単にいうが、真っ向から親に、あなた方から頂戴した顔面で御座いますが、どうも気に食わないのですと伝えるのも気が引ける。だから出来ない。否、したくない。「じゃあ無理だ」整形をしないことは努力を怠ったということなのか。それは美しくなりたいという意志が弱いからなのか。美を追求して整形したが、「ブスが必死w」「意味なくね」「親から貰ったものに傷つけるとか」などと言われている人を幾度となく目にしてきた。

(未完)




(注)この作品は、作者の自暴自棄により書き進められたが、書いているうちに心が病み始め、書けなくなったものである。この話のオチ部分と考えられる、作者のメモが残されていたため、それを以下に書き記しておく。

 ここまであれやこれやと、思いつくママに書いてみた。すると、ある聖人がこう言う。「そういう考え方を持つからこそモテないのだ」なるほど。ぐうの音も出ない。ぐう。

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