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元ヤクザだったものが生きる場所「すばらしき世界」と「ヤクザと家族」が示した現実

一昔前のヤクザ映画と言えば切った張ったの抗争やら情婦との濡れ場がウリだったが、昨今はそういう路線は暴対法やらで衰退気味だ。

ここ2週のうちに「ヤクザと家族」、「すばらしき世界」と2本もヤクザ関係の映画が封切りされた。

前者は完全なフィクションかつ映画オリジナル作品、後者はモデルとなった人物が実在しておりかつ小説「身分帳」として30年以上前に出版されたものの映画化である。

いずれも行き場のない不良がヤクザになり、のし上がりつつも刑務所に入り、出てくるとヤクザは衰退して行き場を再度失い、カタギとして更生しようとする話である。

実は身分帳の出版当時はバブルでモデルの人物も出所後九州で地上げ屋の子分をやってたりする。ヤバいと思ってさっさと逃げたとのことだが。
諸々整合性を考えて時代設定を現代(2010年代後半)に変えているのである。

バブルだとヤクザと家族の主人公の父がおそらくは証券マンとしてブイブイいわせていただろう時期で多分当時は自身がシャブ中になったり、息子がヤクザになるなど想像もつかなかったであろう。

主人公の親が片方のみでそれすらいなくなる、というのも両作の共通点。
ヤクザと家族では母のことは語られず、父の葬儀からスタートである。
すばらしき世界では母は芸者だったらしく、父は不明であり母に孤児院に入れられている。母が孤児院に何度か面会に来ているが画面には出てこない。
父は原作では日本海軍大佐だったと聞いたとあるがおそらく時代設定変更で不明にしたのだろう。母の芸者云々も原作では福岡の芸者の資料や聞き込みで確かめられなかったとあり、あいまいなものだ。

ヤクザの他に家族を持とうとするのも特徴的でヤクザと家族ではキャバ嬢と交際する。すばらしき世界ではキャバレーのホステスと1度は結婚する。いずれも別れてしまい、出所後には相手は家族を持ち別の生活をしている。
主人公がその家族に入ろうとして失敗するのも同じだ。

出所後に知り合いの組長に再会すると闘病生活中で組の経営が厳しいのも同じ。
太く短くとはいうが長生きすると不摂生がたたり病気で苦労する、暴対法で表立っての生活は厳しく、数少ない若手にしわ寄せが行くのもカタギとかわらない。

違いももちろんある。
ヤクザと家族では主人公は若くして頭角を現したのか立派な入れ墨を入れている。
他方すばらしき世界の主人公は線だけの入れ墨だが映画では説明がない。原作には説明があって、少年院時代に同じ少年院の受刑者が中途半端に入れたからである。

逮捕時(劇中の入所の件)の肩書もヤクザと家族では現役組員だがすばらしき世界では組所属ではなく一匹狼でキャバレー店長である。


ヤクザや元ヤクザというだけで社会福祉すら受け難くなっている現実、そこからの脱出が死というのはすこし無情にも感じられよう。

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