カスタマーサポートを「守り」と表することの違和感
プロダクトのユーザーは、支援が不要なユーザーもいれば、支援が必要なユーザーもいる。支援が必要なユーザーの一部は、支援されるまでもなくプロダクトから離脱してしまう (利用を辞める)。
プロダクトは、そのプロダクトデザインなどにより、できる限り多くのユーザーが支援なく利用できるように作るが、それでも支援が必要になるユーザーは、一定割合存在する。原因は、ユーザー起因だけでなくプロダクト起因や様々である。
支援には様々な形があるが、ドキュメントであれコミュニケーションであれ、多くはカスタマーサポートという職務と責任が割り当てられる。
そのようなユーザーへの支援、つまりカスタマーサポートを「守り」と表現することもあるが、それはあまりにも消極的というか、どこか否定的な印象を持ってしまう。
そうではなく、そもそも、その「支援の存在」まで含めてプロダクトの価値なのではないか。プロダクトの価値を「守る」のではなく、支援という方法によりプロダクトの価値を高める、言うなれば「攻め」でもあり「作る」存在であると、私は考える。
支援の経緯や集計結果から、プロダクトの体験を見直し、デザイン (設計) をより良く洗練させられる。その結果、より多くのユーザーが利用できるようになる。つまり、市場が広がる。そうしてプロダクトの価値が向上する。
プロダクトにおける職務は分かれていても、その職務を遂行するという責任は担っていても、結局プロダクト提供に関わる人間は全て「プロダクトをより良く発展させる」という共通の責務を担っている。全員が作る側の人間である。
原理的で絶対的であるその目的を、「守る」という一言がどうにもミスリードしているようで違和感を感じるのだ。
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