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【日記#4】自分の中に湧き上がるメッセージ

スタジオジブリの最新作、『君たちはどう生きるか』を観てきた。

映画館があるショッシングモールの入り口に置いてあるベンチでこれを書いてる。

今、書かないといけない気がしたから。


以下はネタバレになることも書いてしまいそうなので、まだ観てない方は絶対に見ないでください。

誰の考察も感想も見ないで、この映画を観たほうが絶対にいいから。





私は最後のエンドロールまで観て、泣いた。

あまりにも直接的なメッセージがなくて、観ている人に全てを託された気がして、泣いた。

きっと泣いたのは私ぐらいだし、観た人は「泣く場面なんてあった?」と思うだろう。

でも、泣くだけの理由がある気がするから、書きながら考えてみる。



戦争中は生きることを重要視されていなかったのかもしれない。

死ぬことが正義で美しいことと捉えられていたようにも思う。

けれども主人公の正気のない目や、火の海の東京で逃げ惑う人々がぐちゃぐちゃな姿だったのは、そんな意味があるのかもと読み取りたくなる。

その時代は死ぬことが当たり前になっているように感じたから。

きっと生きることにしがみつけず諦めるしか方法がなかったのかもしれない。

そうする意外の選択肢がなかったから。



主人公が迷い込んだ世界は、憎しみ、争い、恨みがない世界だった。

あまり見たくもない触れたくもない影の部分が存在しない。それはとても幸せなのかもしれない。

お腹に子どもを宿した女性がその世界に居たい気持ちはよく分かる。

私も妊娠中に酷いニュースを見るたびに恐怖心でいっぱいになっていたから。

お腹の中で別の命を守って育てるというのはどうしたって警戒心が強くなる。

産まれてくる子どもが幸せになるためにも、弱々しい子どもをちゃんと守れる自分でいるためにも影が存在しない世界にいたかったんじゃないだろうか。

同じく主人公もそんな世界は魅力的に映っていた気がする。

他の登場人物が美し過ぎる世界を不気味と感じていたのに対し、主人公は肯定的だったのもそれなら納得できるからだ。


でも、主人公は魅力的な世界から現実世界に帰ってきた。

争いも終わらない、人間の陰の部分が必ず存在する世界なのに。


愛する人達と現実世界で生きることを選択した。


結局上映中に分かりやすいメッセージはなく、全てを観ている人に託された。

まさに「君たちはどう生きるか」と問われたように思う。

私はここで答えようと思う。


生きるって幸せなことだけじゃない。

大切な人を失う経験だってする。悲惨な戦争だって存在する。自分の直視したくない嫌な部分を見ないといけないこともある。

それでも生きていけばいいじゃないか。

生きることにしがみつけよ。

意地でも生きていけよ。

生きろよ!

そんな自分の中で湧き上がったメッセージをお守りに生きようと思う。

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