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同じ月を見ていた④

金曜の夜だった。
仕事から帰り、シャワーを浴びた後、わたしはスマホと睨めっこをしていた。
あれから遼からの連絡はなかったし、わたしからも出来ずにいた。

……怒ってるのかな。。

電話してみようか。。もうお店は終わっている時間だ。
でもなんて切り出そうか。。

そう思ってからもう1時間、緑のボタンを押せずに固まっている。

急に鳴ったインターホンの音に驚いて落としてしまったスマホを拾い上げ、こんな時間に誰だろうとモニターを見ると、蒼一がコンビニの袋片手に立っていた。

「体調はどう?」
「ありがとう、もう大丈夫。でもどうしたの?連絡せずに来るなんて珍しいね」
「いや、たまたま近くで打ち合わせがあってそのまま直帰だったから……」
「そう……遅くまでおつかれさま。入って」
袋をテーブルに置くなり、蒼一はキョロキョロと部屋を見回す。袋から缶ビールが1本飛び出して、テーブルの上をコロコロと転がった。
それを片手で受け止め、元通り袋に戻してやっと座ったかと思うと、また落ち着きなく立ち上がり、コーヒーでも淹れようか、と言う。
「わたしやるから、座ってて」
「いや、……やっぱりコーヒーはいいや」
所在なさげにソファに腰を下ろす。
「……ねぇ、なんか変だよ」

もしかして……

遼とのこと、何か勘づいたのだろうか。
いやまさか……
遼はこの部屋に来たことはない。そもそも鉢合わせたりしないように、場所も教えていない。
だから部屋にも遼の気配はないはずだ。
わたしも何となく黙って、蒼一の隣に腰を下ろした。

「灯里」
蒼一は意を決したようにわたしの手を取り、ふーっと深呼吸した。
「……なに?」
「……5年間、ずっと灯里を見てきた。仕事をがんばってる姿も、うまくいかなくて落ち込んでる姿も、笑ってる顔も、全部……全部、変わらず大切に思ってる」
わたしをまっすぐに見つめ、ゆっくりと慎重に、言葉を選んでいるようだった。
蒼一の誠実さが、水面の波紋のように広がって伝わってくる。

「これから先も、ずっと一緒に笑っていたい。隣にいてほしい。俺と……結婚してください」

蒼一はそう言うと、ポケットから小さな箱を取り出した。
まるで目の前でドラマを見ているようだった。
これは……わたしに起きていることなのだろうか。

「灯里……?」

俯いて黙っていると、蒼一が不安気に顔を覗き込んでくる。
そうか、わたしはプロポーズされたのだ。
蒼一から、自分と結婚して欲しいと言われているのだ。。

涙が一筋、すっと零れる。

「ごめん……びっくりして」
「あぁ……そっか、そうだよね」
ごめん、と言って、蒼一はぐい、っと親指の腹でわたしの涙を拭った。
「少し……時間もらってもいい?これからのこと、ゆっくり考えたい」
そう言うと、蒼一は少し残念そうに、わかった、と頷いた。

「指輪は預けておくね」
蒼一は小さな箱をテーブルに置いて微笑むと、ホッとしたようにわたしを抱きしめた。

「あぁ、緊張した……」
「……近くで打ち合わせがあって直帰したのよね?」
「ごめん……それ嘘」
「道理で……おかしいと思った」
ふふっと笑いながら蒼一の背中に腕を回す。
きっとずっと前からいろんなことを考えていたんだろう。もしかしたらこの前の食事の後、言おうとしていたのかも知れない。
「かっこ悪いよね、俺……」
「そんなことないよ……うれしかった」

うれしいと言うのは本当だった。
わたしたちには5年という時間がある。2人でたくさん笑ったし、お互い仕事が忙しくても、暇を見つけては一緒にすごした。特別どこにも行けなくても、傍にいられればそれだけでよかった。
漠然と、このまま穏やかな時間がずっと続くと思っていた。
遼と出逢うまでは。。

「……好きだよ」
「うん……わたしも」

蒼一の手はあたたかくて優しい。身体を重ねる時でさえ、とても丁寧で優しく、甘い。
唇が首筋から下へ下へとおりていき、わたしの身体はゆっくりと熱を帯びてくる。
遼との時のような激しい昂りはないが、愛されているという安心感に包まれる。
そう……遼とは違う……

こんな時でさえ、遼のことが頭から離れない。目の前に伸ばされた蒼一の手を素直に掴めばいいだけなのに、そうできない矛盾。

抱かれながらこんな気持ちでいるのを悟られたくなくて、わたしは蒼一の背中にしがみついた。

……もうこのままではいられない。

わたしは、狡い女だ。
自分でも厭になるくらいに。

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