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同じ月を見ていた③

「シャンプー替えた?」

ふいに訊かれてドキリとする。
「髪、いい匂いだなって思って」
「あぁ、うん……昨日ジムに行ったから。そのまま寝ちゃって」
「そっか」
咄嗟に嘘をついてしまった。でもうまく誤魔化せたみたいだ。彼、浅見蒼一はそれ以上何も訊いてこなかった。

遼と会うのは決まってサロンが休みの月曜の夜だ。わたしも急に残業になったり遼に別の予定が入ったりするので、もちろん毎週という訳ではないが、この前のように蒼一との約束と重なる時もある。
今日は火曜日。昨日、遼と会っていた。

ほんと……わたしって最低

仕事帰りに最寄りの駅で落ち合って、わたしと蒼一は久しぶりに外で一緒に夕食をとる約束をしていた。
「どこに連れて行ってくれるの?」
「着いてからのお楽しみ」
蒼一はそう言って、自然にわたしの手を取った。

蒼一とはつきあってもう5年になる。遼との燃え上がるような時間とは違う、穏やかな時間がここには流れている。
蒼一は優しい。ほんとうに優しい。喧嘩すらしたことがない。いつもあたたかい腕に包まれているようだ。
わたしはその優しさにつけこんでいる。
裏切っているのだ。。

来週の木曜、サロンの予約をしておいたからと昨日遼が言っていた。その時にシャンプーを買おう。ジム帰りに使わないと辻褄があわなくなってしまう。
ふと顔を上げて、見慣れた街並みにまたドキリとした。
「あ……」
「うん?どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
考え事をしていて気づかなかった。このままこちらの方へ歩くと、蒼一とふたりで遼のサロンの前を通ってしまう。普段、お店へ行く時以外は、あまりこちらの方へ来ないようにしていた。

……いや、きっと大丈夫。店の中から外が丸見えな訳ではないし、遼だってずっと外を眺めている訳ではない。それに、お店の外に出てくることは滅多にない。お客さんを見送る時くらいだ。大丈夫……大丈夫。

胸がドンドンと音をたてて、繋いだ手を通して蒼一に聞こえてしまいそうな気がした。

ちょうどお店の前まで来た時、カラン、とベルが鳴って、聞き慣れた声がした。楽しそうに弾んだ声だ。

「ありがとうございました、またお待ちしています!」

若い女性が、じゃあね、と手を振った声の持ち主はわたしたちとちょうど向き合うかたちになった。

「月島さま!」

遼は強ばった表情のわたしに向けてニコッと笑いかけた。自分でも分かる。きっと真っ青になっている。

「こんにちは……」
黙っているのも変に思われる、と挨拶すると、心なしか声が上ずってしまった。
大丈夫、とでも言うように目配せして、遼は表情を変えずに話を続けた。ふと、視線がわたしたちの繋がれた手に向けられた気がした。

「こんにちは。彼氏さんですか?」
「あ、はい……知り合い?」
蒼一が手を解いてわたしの方を向く。わたしが頷くより先に、遼が口を開く。
「初めまして、こちらのサロンで月島さまの担当をさせて頂いております、如月と申します」
「あぁ、そうなんですね。いつも灯里がお世話になっております。浅見と申します」
蒼一はそう言うと、胸ポケットから名刺入れを出して遼に手渡した。
「恐れ入ります。……すみません、今持ち合わせていなくて」
「いえ、いいんですよ。僕のは職業病みたいなものなので」
蒼一がそう言うと、遼もあぁ、と笑った。
「呼び止めてしまって申し訳ありませんでした。じゃぁ僕、これで失礼します」
遼がわたしの方を見た。
真っ直ぐな視線にドキリとする。
「月島さま、では、来週木曜の19時にお待ちしております」
遼はやわらかく微笑むと、ペコリと頭を下げてお店の扉を閉めた。

「……すごくかっこいい人だね、びっくりした。美容師さんって感じ」
蒼一は歩き出しながらそう言って、ね?と笑う。
「でしょ?だからなかなか予約とれなくて。今度久しぶりに行くの」
「もしかして顔で選んだの?妬けちゃうなぁ」
「まさか……偶然入ったの。そしたらその日、スタイリストに昇格したばっかりだって言うから、じゃぁお願いしますって……それでね……」
話したくもない遼との出会いがスラスラと口をついて出てくる。その後、蒼一が連れて行ってくれたお店でどんな会話をしてどんな料理を食べたのか上手く思い出せない。

「灯里?」
蒼一の声に、ふと顔を上げると、自分の家の扉の前だった。
「大丈夫?具合悪い?」
「あ……ごめん……なんかちょっと疲れちゃって」
「そう……じゃぁもう休んだ方がいいね。1人で大丈夫?」
「うん、せっかく一緒にごはん食べられたのにごめんね」
「いいよ。また連絡する」

うん、と頷いて、鍵をあける。
振り返ろうとすると、ちょっとだけ、と後ろから抱きしめられる。
あたたかい、優しい腕だ。
「今日は朝まで一緒にいたかったけど」
蒼一は残念そうに言うと、髪に軽くキスをした。

「……ほんと、いい匂いだね」

もう行きな、と言われ、わたしは頷くと部屋に入った。
そのままベッドに倒れ込む。

蒼一との時間より、わたしたちを見た時の遼のあの顔が、脳裏にこびりついて離れてくれない。
帰り際にいつも
「またね」
と言う時のような、哀しい顔をしていた。胸がぎゅうっと絞られるように痛い。
遼に連絡しなければ、とスマホを手に取る。

……でも……なんて?

何かを弁明するのも、謝るのも違う気がする。
それだけ、わたしたちの関係は曖昧なものなのだと思い知らされる。

遼はわたしの何なんだろう。。
わたしは……遼の何なんだろう。。

蒼一の残り香に包まれ、答えが出ない問題を、わたしは一晩中考えていた……



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