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同じ月を見ていた②

「あっ、苗字」

「え?」
フラっと立ち寄ったサロンの受付で名前を書いているとそんな風に声をかけられて、わたしは顔を上げた。
「あっ……すみません。同じだなって思って」
「同じって?」
「僕の苗字にも、入ってるんです。ほら」
彼はそう言うと、胸の名札を指さした。『如月遼』と記してあった。
「ね?」
「あぁ、月」
わたしが答えると、彼は頷いて満足気に笑ってみせる。
「月島灯里さま、素敵なお名前ですね」

それが遼との出会いだった。

彼は今日スタイリストになったばかりだと言うので、じゃあわたしがお客さん第1号ですね、と言うと、カットさせていただけるんですか?と顔を輝かせた。
もう2年前になる。

「あの時からだよ」

髪を撫でながら遼は言う。
「あの時、もう好きになってた」
またわたしを試すような笑みを浮かべる遼を、目で窘める。わたしたちがこんな関係になったのは1年程前のことだ。彼氏がいるの、別れる気はないからと断り続けていたのに、諦めてはもらえなかった。
「彼の次で構わないから」
そう言われたあの日、ついに頑なに張りつめていた糸がぷつりと切れ、気が付いたら遼と身体を重ねていた。

「次でいいって言ったくせに」
「言ったよ。でも諦めるとは言ってない」
「だから訊くの?」
「そうだよ」
ふふ、と笑いながら、遼は飲んでいたワインのグラスを置いた。

「それで?」

「おれのものになってくれる決心はついた?」

「……わたしなんかのどこがいいの?」
呆れた、と肩を竦めながら訊いた。
「お客さんだって他のスタッフの子たちだって、みんな若くてかわいいじゃない」
わたしと遼は年が6つ離れている。わたしが32、遼は26だ。
「年なんて関係ないし他の子なんてどうでもいい。おれが灯里さんを選んだんだから。……他に理由が要る?」

遼はそう言うと、今度は真っ直ぐにわたしを見つめた。
胸がズキズキと痛む。鈍い痛みだ。
なぜ彼はこんなにもわたしを想ってくれるんだろう。
遼にはきっともっとふさわしい女性がいる。わたしなんかよりずっと、素敵な人がいる。ホテルでコソコソ会わなければならない関係より、当たり前な恋愛ができるはずなのだ。それなのに……なぜ……?

「……髪伸びたね。今度お店においでよ。予約入れておくから」
遼はそう言うと、キスをしながらわたしの背中に手を回した。冷えすぎたワインのせいで冷たくなった舌が心地いい。もう片方の手がブラウスのボタンにかかると、あっという間に剥ぎ取られる。
「待って……先にシャワー浴びたい」
「このままでいいよ」
「でも……」
「昨日彼が来てたんでしょ。彼の匂いがする……」
首筋から背中へ、背中から胸へと這わせる艶かしい指先に、わたしの身体は跳ね上がってしまう。

「ズルいな、こんなにいくつも。おれには付けさせてくれないのに」
昨夜 彼が気まぐれに付けたキスマークのことを言っているのだ。
「……シャワーあびてくる」
はぐらかそうとして、遼と目が合った。哀しそうな瞳の奥に燃えるような光が見えた。

「ダメ。このままおれので汚したい」

乱暴に押し倒され、まるで彼の跡を上書きするように身体中にキスをされる。頭の奥が痺れて何も考えられなくなる。触れられるところすべてが熱い。さっきまでの冷たさが嘘のようだった。
わたしは何も言えず、ただ甘く鳴かされながら遼を受け入れていた。

何度目かの波が訪れ、ちいさく身体を震わせていると、遼はわたしの手を取って指を絡め、なお一層激しく、でも優しく、わたしを更なる高みへと連れていく。

「乱暴にして……ごめん……」

わたしたちにはルールがある。

1、お互いの家には行かない。
2、一緒にホテルには泊まらない。
3、キスマークはつけない。

そして、

「灯里さん……好きだよ……」
「………」
「好き……」

そして……

4、わたしから「好き」とは言わない。





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