なんでも自己肯定感の問題に帰結させるなら弱者男性論だけじゃなくてフェミニズムだって要らないでしょ……

この話題の第一波の時は極力黙って見てたけど、第二波がきてうんざりしてる。もういいでしょこの話。

これについて一言いいたいんですけど。


事実はともあれ、少なくとも出版社にとってはセルフネグレクトの傾向が強いと思われてるのは女性の方だと思うんだよね。

4月17日に生まれて初めて競馬を観に行った帰りに最寄りの書店に入ろうとしたら、いきなり入り口にでかでかとこういうコーナーがあった。

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陳列をした書店の人には申し訳ないんだけれど見た瞬間「キモッ!」って思った。個人的にはすごいおぞましいさを感じた。

見てもらえればわかると思うけど「感じのいいひと」と「自己肯定感が低い人・繊細過ぎる人」が対比されるような配置としておかれる。

こういう本を必要とする人がいるのはわかるしそれ自体は全然かまわないんだけれど、こういう本を「みんなで読みましょう」的な形で束ねられるとウッ……ってなる。これをブームにしようとするその無神経さがもう嫌だ。


・女性の人たちってそんなに自己肯定感低いと思われてんの?
・女性にとって自己肯定感低いことってそんなに「感じ悪い」ことなの?
・女性の繊細さは美点ではなく矯正されるべきものなの?


みたいに感じた。

こういう風に感じてしまうこと自体、ネットの「繊細すぎる方々」に汚染されてるのかもしれないけれど、いやーーーーこれはきついっす。


恋愛とかの事情でダメンズに引っかかる女性に対してのアドバイスならわかる。でも、さすがにこの領域まで踏み込んで自己肯定感~~とか言われると勘弁してほしいって思います。恋愛・せめて仕事までにしてくれ。日常までこんな口出しされたくない(´・ω・`)



なんでも自己肯定感の問題に帰結させるなら弱者男性論だけじゃなくてフェミニズムも要らないでしょ……


なんでも自己肯定感の問題に帰結させるのは、完全に「アドラー」の論理であって、マッチョな自己啓発思想だよね。


最初からそれでよかったんなら、フェミニズムそのものの否定になりませんか?


なのに、弱者男性っていうかたちで男性の話になった瞬間に「マッチョ」思想を求めるの?


そもそも日本の男女差って、いまだに男性にだけマッチョしぐさを求めるところに構造的な原因があるって議論だったんじゃなかったの?

だから、

・男性の弱さも認め、男性から重荷を下ろす代わりに、男性がいろんなところで優先されてる現状を改めましょう。

・高度経済成長期みたいににとにかく馬車馬のようにがむしゃらに働けば売り上げが伸びる体力勝負の時代だったら体力勝負の時代だったら男性優先にも合理性があったけどいまはそういう時代じゃない。

・時代が変わったんだから考え方や制度も改めよう。もっと女性に活躍してもらおう。その方が社会的な生産性あがってみんなハッピーになるよ

……って話なんじゃなかったの?

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