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「ゲームの歴史」にはハックルさんの美学がとてもよく反映されているという話

とりあえずゲームの歴史を読み終えた。

そして、私は自分の事を「本を読んだら割とすぐに感想を書ける人間だ」と思っていたが、この本については何を書けばよいのかわからなくて困っている。


テキストを見るとハックル節が弱く特に語ることはない


私はこの本を通じてゲームの歴史を語りたいわけではない。ハックルさんについて語りたいし、それこそが私の役割だと思ったからわざわざはてなブックマークではてブ民を煽り、人からプレゼントをねだるという真似をしたのだ。

なのに、正直いって、私の出番がほとんどない。思った以上にハックルさんは素直なのである。あまり傲慢なところはない。無知なのかもしれないけれど、そこにつづられているのは、ミーハーな著者による、ゲームのあこがれを素朴につづった文章である。

「キレイなハックルさん」なのである。

強引に何でもかんでもハッキングと箱庭というワードに集約させようとするところはハックルさんらしいし、論理破綻している部分もあってツッコミどころがないわけでもないのだが、そこまで言うほどでもない。

ただただ「普通の本」という印象なのだ。

だからこそとても困ってしまう。

この本で語られている内容が正しいのであればその内容を淡々と紹介することもできるが、この本は間違いだらけだという。

じゃあ私はどうしたらいいのかと。

私は彼の語る内容が正しいか正しくないかを判断することはできない。私はただハックルさんのハックルさんらしい部分を取り上げて騒ぐことしかできない。

なのに、ハックルさんらしい部分はあまりない。であれば、いったい私はなにを書くことがあるだろうか。

もう素直に間違いだらけの内容をまとめていった方が良いのだろうか?

せっかく本をプレゼントしてもらったというのに、何を書けばいいのかすら出てこない。こんなことになるとは全く想定していなかった。

どうしたらいいのだろう。

というわけでハックル節とは何かを振り返ってみる


ハックル節というのは「凡人であるが世の中にある素晴らしいものを知っている自分」が世の中の凡人に対してマウンティングをする行為のことだ。

昔のハックルさんを知ってる人であれば嫌というほど記憶があるだろう。

ハックルさんは、なにか世間と自分の意見が勝ちあったときに、絶対に自分の否を認めない。自分の価値観こそが正しいのだと言い張り、自分を否定する人間を凡俗として見下すことでより自分の感覚を補強していく。

これがハックル節である。

はてな民に対してはひたすらこういう態度をとってきたからわかりにくいのだが、彼はただ頑固なだけではなく自分の美意識に従って行動しているだけだ。彼は彼にとって自然なように行動しているだけだ。あれは演技でも誇張でもなくて素なのだ。

つまり、彼は自分が美しいと認めないものは全力で否定する。憎んでいるといってもよいが、一方で自分が憧れるもの、自分が美しいと思うものにはむしろきわめて従順なのだ。


ハックルさん、ゲームについては純粋にあこがれの気持ちが強いっぽい

私はそういうハックルさんの事を知ってるつもりであったから、「ゲームの歴史」というタイトルでは、もっと傲慢にふるまっていると思っていた。

もっと「俺こそが正しい。俺こそが誰よりもゲームの正しさを知っている。凡俗のお前らにはそれがわからない」みたいな態度を見せてくれるのかと期待していたのだ。

しかし実際に読んでみると全然そんな感じがしない。

なんか思ってる以上に謙虚で、素直であった。

それで困っていたのだが、最後まで読んでちょっと面白い部分を見つけた。


ハックル節をよくよく考えなおしてみると、この本はとてもハックルさんの美学に忠実な本ということができるかもしれない

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