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大学のオンライン授業を1年やってみて

横国(横浜国立大学)での留学生向けプログラムを今年度は1年間丸々オンラインで実施しました。

横国で学生クラスターが当初発生し、大学全体として感染に敏感になっていたこともあると思いますが、結果的にこの1年間1度も(実は個人的にサイクリングで授業と関係なくキャンパスには行きましたが)物理的に大学に行って授業をすることはありませんでした。

他の企業向けや自治体向け研修と同様に、自分が講義・講演・研修をするのは「スタジオ柏木」、つまり個人でできる範囲で最大限プロフェッショナルなスタジオ化を試みた自分の”いつもの部屋”からでした。

結果的に、致命的な問題が起きたことはなく、自分自身物理的な移動がゼロになったことによる肉体的なベネフィットは少なくありません。


対面とオンラインの効果について色々議論があります。どちらかが100%良い、悪いということはなくそれぞれの一長一短がありますが、努力と工夫次第でオンラインの”短”の部分はかなり最少化できるというのがこの1年間の実感です。

特に、横国に関しては、そもそも留学生をメインにした授業を担当しているため、実際に画面の向こうで授業を受けている学生は日本にすらいない訳です。世界各国の自国から皆、距離と時差のハードルを越えてリアルタイムで向かい合うことが可能なのです。先生である自分も、授業を受けている学生も誰一人「キャンパス」という物理的な場所を全く介さずやり取りができてしまっていることは事実です。

オンラインの”長”の部分の一つに目を向ければ、このように場所も時間(時差)もバラバラでありながら、そこに参加している人が同時に同じ画面を見ながら議論を通じて作業を進め、結論を導くことができるのはある意味感動的でした。教室内でいくつものグループを作り、学生同士でディスカッションさせたり、プロジェクターで成果を発表させるよりも、画面を通じて目の前で成果を共有したり、その場で修正したりというほうが作業的には、お互いにより詳細に集中できるという効果は絶大です。

こうなると、「そういえば毎週通っていた横国のキャンパスはどういう意味を持つのだろう」と、ふと思うことがあります。

もちろん、新入生を始めとした学生の視点からは、教室以外の社交の場が人としての成長や学生生活の充実には必要というのはその通りだと思います。その部分をどう補うかという観点は必要だと思いつつ、あくまで”大学での授業の実施”ということだけに絞ると、革命的なことが起こっていることを感じずにはいられません。

同じ発想で、自分の授業を国内外の他の大学にも理論的には同じように提供できるはずです。そうなると、「大学」という括りや壁はどういう意味なのかという疑問も湧いてきます。

単に「昔になんとか戻ろう」ではなく、この経験を更に進化させた形態にシフトすることが良いのではないかなと1年経って再度確認した次第です。


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