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僕が出会ったスクラムというイベント、アジャイルという祝祭について(2019-01-11)

文化と祝祭

どこかで聞いたスクラムの起源の話によると、スクラムには祝祭的な意味合いがあったという。

これを聞いたときに、わー!!!そうか!!!と勝手に自分のなかで、何かが理解できてしまった感覚があった。

とある会社でのスクラムというお祭りに参加していたときの話。

・・・

僕は平日毎朝、チームが催しているデイリースクラムという祝祭に参加している。そのお祭りの中では、前日に行った作業の完了を祝う慣習がある。

「DONEしたタスクはありますか?」

ファシリテーターがそう言葉を口にすると、

「〇〇終わってます〜。」

すると、カンバンのDOINGにあるチケットがDONEのレーンに移動される。

「(おめでとう)お疲れ様です!」

という感じで、完了したことを ”祝う” 。

(自分は異国のお祭りに参加していて、この文化の人たちはこんなふうに祝祭をあげるのかぁ。なるほどなぁ。)

そんな視点で見てみる。そうするとおもしろいことに、なにかこう異文化の中に自分が入っていくような参加しているような感覚というのが生まれる。

異国のお祭りに参加する感覚は、「異国対自分」という関係が生まれて、価値観の差分が浮き彫りになる。

・・・

昨晩、会社の送別会で、初めてお話をした方が、僕の日報を読んでくれていることを伝えてくれて思わず嬉しくなった。

(その数時間前に別の方と話をしているときも読んでくれていることを伝えられて、そんなふうに伝わってるんだ嬉しいなと感じた。)

こんな日報を流す場があることについて、それが伝わっていることについて
あるひとつのシステムとして考えてみる。この会社には、すごく素敵なシステムが出来上がっているなと改めて感じた。

会社と自分の距離感

毎日会社に通っていた頃、ある時、○○さん(社長)の家に遊びに来ている。っていう感覚を持つと会社が全く違った見え方になった。

そんなふうに会社を見てみると、なんとも言えない今までとは違った価値観で、会社の文化を受け止められる気がしてくる。

会社に出勤している。って考えると、なんだかよくわからないけど、いろんな印象が積み上がってて良いと思えない部分があるけど、

僕は毎日、○○さん(社長)の家に遊びに行っている

と考えると、なんだか別の視点が生まれてくる。

昔、友達の家に遊びに行くとその家ならではの慣習があったりして、自分の家との違いを感じて驚くことが多々あった。(この家の焼きそばってうちのとなんか違う!とか。卵焼きが甘くない!とか。)

そんなふうに、僕は毎日出勤しているんじゃなくて、○○さん(社長)の家に遊びに来ているんだよって思うだけで、○○さん(社長)の家のルールに自分の価値観とは合わない部分があったとしても、それはそれでいっか。みたいな、会社と個人の適切な心の距離感が生まれている感じがある。

また、○○さん(社長)の家の〇〇っていうチームの集まりのスクラムっていう遊び(お祭り)に参加して毎日を過ごしているんだっていう感覚を持つこと。それって超幸せじゃん!!とふと思ったわけです。

毎日遊んでいるような感覚で仕事場に来ている。というと聞こえが悪いけど、そんな感覚で毎日を捉えられるだけで、全く違った日常が現れてくる。(良いことも悪いことも、すべては自分の解釈によって世界はできあがっていると思うのです。)

ただ、こんなファンタジーなことを書きつつ、現実問題としては僕らは社会性を持った人間なので、価値観が違ってもその兄弟たち?(お祭りの参加者?)ともうまくコミュニケーションを取らなきゃならない。でも、それはべつに悲観的なことではない。意志疎通がうまくいかないこともあるし、些細な一言でなんだか不快になることもある。逆に嬉しくなったり、楽しくなったり、ワクワクしたり盛り上がったり、そういうこともある。

でも、友達と一緒になにかするのなんてそんなもんじゃん。と。そりゃ些細なことでケンカだってするよ。(あんまり仲良くない親戚のにぃちゃんの振る舞いに対して一瞬ムカッとすることもあるよ。)

でも次の日のお祭りでまた顔合わせれば、なんだか最初はお互いぎこちないんだけど、昨日までのモヤモヤがどうでもよくなって、また楽しく話し出す。そういうシーンもあると思う。

会社って、そのくらいの捉え方で良いんじゃないかな。

っていうのをスクラムイベントへの参加を通じてふと考えた。

UIデザイン、エンジニアリングやマネージメント、組織について考えたことなどを徒然と書いております。リアクションいただけると励みになります!