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小説 『長い坂』 第一話

 浪漫革命の音楽が流れる。イヤフォンの中でも思い出は今日も元気だ。額の汗を拭って、駅のホームから改札へ、歩く。帰宅する人々の群れ、飲みに行くのであろう大学生らしき集団、若いカップル、老夫婦、中年のヨレヨレのスーツを着た男、酒臭いおばさん。高円寺駅北口からパチンコ屋の横を通って、賃貸で借りているワンルームマンションへと帰る。ぼくは今、31歳だ、社会人になって5年以上が経った。そんなことはどうでもいいけれど。スマートフォンの通知音が鳴って、メッセージアプリを開いた。高校生のときからの友達が結婚するらしい。交際して5年になるとのこと、何やらよくわからないが、5年を一つの節目と考えていること、そんなことが書いてあった。おめでとう!素晴らしいね!脊髄反射でこの文言を送る。ぼくはこれと全く同じ作業を少なくとも10回は行っている。回数を重ねるたび、感情が薄くなっていった。祝福も嫉妬も、今ではほとんど感じない。また戻るだけなんだ、自分自身の日常に。真綿で首を締め付けられるような毎日に。会社に行って、帰ってきて、食事をして、寝て、起きて、その繰り返し。そしていつの間にか老いて、一人で死んでゆく。ぼくが死ぬときぼくの死体はどろどろに溶けているのだろうか?ありうる、もし冬に室内で死んでしまったら、つけっぱなしの暖房のスイッチを切ることができないからきっと、そうなるだろう。大家さんに迷惑をかけちゃうな、そんなことをぼんやりと考える。マンションに着いた。鍵を開けて真っ暗な部屋に帰宅する。さっきのメッセージのことを考えた。交際5年か、ぼくは今月で丸10年恋人がいない。その前の5年はどうだったのかな?何をしていたのかな?わからないな、わからない。部屋の電気をつけて、ベッドに潜り込んだ。嬉しいとか、楽しいとか、幸せだとか、そういった気持ちに最後になったのはいつのことだったかな?仰向けになって天井を見た。LEDライトの白色光が妙に眩しく感じられた。

 夢を見た。子供の頃の夢だ。ぼくは誰かと砂場で砂遊びをしている。ぼくが両手を使って砂のお城をつくる。そばにいる顔のわからない誰かは、ぼくが砂を固めて、城の形に成形してゆくのをじっと見ている。小さいぼくは、たぶん小学校にあがるかあがらないかくらい、夢中でお城をつくる。それを見守る大きな誰か。その誰かは温かい、なぜかそんな気がする。声が聞こえる。なんだろう?やかましいな。声が聞こえる。だんだん大きくなる。小さなぼくはお城をつくる。ジリリリ、ジリリリ、うるさいな、気が散ってお城が崩れたらどうするんだ、ジリリリ、ジリリリ、ジリリリ。城ができた。立派なトンガリ屋根の大きなお城だ。小さなぼくは大きな誰かに笑顔を向ける。白い靄がかかった大きな誰かの顔、その顔が確かに笑った気がした。感じたんだ、温かい何かを。ジリリリジリリリジリリリジリリリジリリリジリリリ、ガタン、スマートフォンがベッドから床に転げ落ちた。毎日スマートフォンでセットしている目覚ましだった。ベッドから体を起こす。いつもの自分の部屋だ。スマートフォンを拾って、時間を確認した。曜日の表示も確認する。土曜日 朝7時30分。今日は会社も休みだ。少しほっとしたところで気がついた。頬が冷たい。手をやる。ぼくは泣いていた。

 自分がなんで泣いていたのか見当もつかない。悲しくないのに泣いていた。嬉しくないのに泣いていた。涙はまだ流れてくる。嗚咽はない。ただ、さらさらと涙が頬を流れてゆく。どのくらいそのままでいただろうか、気がつくと涙は止まっていた。ベッドのシーツが濡れている。着ている服の両袖が濡れている。喉の渇きを覚えたので、冷蔵庫からミネラルウォーターをとりだす。ペットボトルに口をつけて飲んだ。喉を鳴らす。全部飲んでしまって、空いたペットボトルをゴミ箱に捨てる。500mlのペットボトル、今流れた涙も全部集まるとこのくらいになるのだろうか?服を着替えて、シャワーを浴びた。

 ちょうど一週間前に風俗に行った。新宿の安いラブホテルでデリヘルを呼んだ。恋人と別れてから10年間、ぼくは女性を買い続けている。高い音のチャイムが鳴って、20代後半くらいの女性が来た。ひとしきり話して、シャワーを浴びて、プレイに移った。そしてぼくは愕然とした。いけなかったのだ。別に酒を大量に飲んでいたわけではない、体調が悪かったわけでもない。ただ普通にやって、普通にいけなかった。こんなことははじめてだった。風俗嬢に謝られてしまった。

ぼくはもう風俗にはいけないなと思った。

長い間女性を買い続けることで失われてゆくもの、その正体に何となく気がつきはじめていた。だからといってどうなるものでもないけれど。孤独だから女性を買うのか、女性を買うから孤独になるのか、あるいはその両方なのか。いずれにしろ、ぼくは孤独だった。あまりにも孤独で、あまりにも孤独に慣れ過ぎてしまって、孤独であることによって喪失するもの、それが何なのかわからなくなってしまっていた。

孤独によって失われるもの、それは希望だ。明日生きたいと思わせる希望の光だ。

そのことを涙がぼくに語りかけていたのかもしれない。朝食のパンを買うためにコンビニに向かう道中で、ぼくはそう考えた。

 希望の光、希望の光、菓子パンを入れたレジ袋を持ってぼくは何度もそう呟いた。希望の光、希望の光…横断歩道を渡って、マンションに向かう。希望の光、希望の光…ジーンズのポケットから鍵をとりだして玄関ドアを開けた。土曜日の陽光が、ベランダの窓ガラスから室内に差し込んでいる。買ってきた菓子パンを水で胃に流し込んだ。当然ながら予定はない。休日はいつもこうやって部屋でぼおっとしている。行きたいところも、食べたいものも、みたい景色も、感じたい幸福も、何もかもがなかった。胃の中で菓子パンがどろどろに溶けている気がした。ぼくの部屋にテレビはない。最近のテレビは本当に面白くない、4.5年前にそう感じて、一人暮らしをはじめたときに買った高価なプラズマテレビを粗大ゴミにだしてしまった。粗大ゴミ、清掃事務所で手続きをして、専用のシールを貼ってそれは回収されてゆく。ぼくの体にもそのシールは貼られているのではないだろうか?くだらないことを考える。話し相手もいない。よく考えたら、休みの日は終日黙っていることが多い。月曜日に出社して、誰かと話すときによく喉がつかえる。

 夜中までインターネットで動画を見て過ごした。何を見たのか思い出せない。日曜日も土曜日と全く同じようにして過ごした。食事は2日間で2食しかとらなかった。

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