『滴るような今を』 第3章
『Aの手記』
Aの中には怒りがあった。
怒り、一口にそうは言っても、それが世間一般に通用している意味での怒りなのかはわからない。ほかに呼びようがないからそう言っておく。
Aの怒りは巨大なエネルギーだ。それは論理の壁を理性の壁を正論の壁を突き破る。大きな龍のようなものだ。それがでてくると嵐を巻き起こし、雷が烈風があたり一面を轟かす。海が逆巻き、氷が裂け、木々が雲が太陽が慄く。天災と呼んでもいい。Aの中にはそういうものがいた。
Aがはじめてその怒りを意識したのはいつだったか?はっきりとは覚えていないが、かなり小さなころだったと思う。小学校にあがるかあがらないか、そのくらいの時分、自身が激しく怒っていることに気がついた。それは大きくなるにつれて、抑え難いものになっていった。学生のころは運動部での活動が、その怒りをある程度発散させていた。しかし、20歳も過ぎるころから、いよいよその怒りは制御できないものになってゆく。
酒を飲み、仲間と意味もなく騒ぎ、慣れないギャンブルをし、たくさんの女を買った。それは一種の緩和措置、逃避装置であった。そのころになるとAの怒りは周囲を傷つけそうなほど、膨れ上がっていた。
人を殺し、自分も死ぬ夢を何度も想像した。三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺したように、己の腹から鮮血が内臓が飛び出す様を想像した。女の肉体を激しく求めた。肉体を貪り、陰茎から白くて熱い血をその中へ流しこむ。震える体で快楽を受け止める。性的快楽は怒りの緩和措置の一つであった。
家庭の幸福、温かく朗らかな人間関係、怒りはそれらすべてを否定した。それらは破壊し蹂躙し瓦礫の底に沈めるべき敵である、そう怒りはAに囁いた。ゆえにAは自らを孤独へと追い込んだ。他者と関わることで、その他者のことを傷つけてしまうこと、Aにはそれが明らかだったからだ。
孤独な中でも怒りは膨らむ。むしろ、Aと怒りは一対一で向き合う形となった。龍がAに牙を向く。Aにできることはただ耐えることだけだった。
耐えることに我慢ができなくなると、Aは激発した。他者に狂ったように話し、狂ったようなメッセージを送り、狂態を示した。過食、過剰、性欲の激発、酒、煙草、深夜の徘徊、すべては我慢ができなくなったAの心から発したものだった。落ち着くと決まってAは後悔した。他者に迷惑をかけたこと。しかし、生きるためにそれがAには必要だったのだ。また戻っていかなければならないからだ。Aの中のどうしようもない怒りとの戦いに。
Aの心情は理解し難い。側から見れば、何をそんなに暴れているのかわからない。何をそんなに思い詰めているのかわからない。
しかし、Aは、Aの中の怒りは、他者の理解とはお構いなしにAを襲う。
Aは今も怒りと対峙し怒りの中にある。
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