見出し画像

小説 『長い坂』 第九話

 キッチンのガス台に薬罐をかけて湯を沸かした。白いマグカップにインスタントコーヒーの粉を入れて、沸いた湯を注ぐ。コーヒーの香りが顔にかかったところで携帯電話が鳴った。居室に戻りテーブルの上にあるスマートフォンを手に取る。ディスプレイには山田明雄とあった。大学の時の同級生だ。電話にでる。

「もしもし?」
「ああ、時田久しぶり、山田明雄です」
「久しぶり、どうしたの?」
「久しぶりに飲もうかなと思って、ゼミの奴らも来るよ」

ぼくは法学部だった。大学三年時からはじまるゼミは民法研究のゼミだった。

「いいね、いつ?」
「来週の土曜日夜7時、新宿、どう?」
「いいよ」
「じゃあ詳しい場所はメールで送る」

そう言うと山田は電話を切った。コーヒーを飲む。ゼミの奴らと会うのはずいぶん久しぶりだ。みんな元気にしているだろうか?ゆっくりとコーヒーを飲みながら考えた。

 土曜日夜7時新宿。指定された店は、西武新宿駅の近くにあった。中華料理屋だ。古風で伝統的な店構えだったが、だされる料理は中国の家庭的なものばかりのようだ。入り口のドアを開けて名前を告げると奥へ通された。中国訛りの日本語で店員が案内をする。店の一番奥にある円卓へと進む。山田が席についていた。

「よお、久しぶり」

山田がにこやかに、そして軽く言った。

「久しぶり」

山田の隣の席に座る。

「みんなは?」
「まだ」

数年ぶりに会ったというのに、山田とぼくの間に時間の隔たりはなかった。大学生のころに戻ったような雰囲気だ。山田はダークグレーのスーツを着ていた。円卓の上に置かれた透明のグラスで、しきりに水を飲んでいる。

「暑いのか?」
「いや。なんで?」
「水ばかり飲んでるから」
「ああ、いや、仕事が押して走ってきたから」

そういうと山田はぎこちなく笑った。走ってきた割には、汗のひとつもかいていない。

「あとは誰が来るんだ?」
「あとは吉田と長崎が来る」

吉田も長崎も大学時代のゼミの仲間だ。吉田はたしか、IT系のベンチャー企業に勤めている。長崎は…今何をしているのだろう?大学を卒業してからほとんど噂を聞かない。長崎の少しはにかんだような笑顔を思い出した。そうだ、たしか山田は学生のころ、長崎のことが好きだったはずだ。彼女を何度もデートに誘い出し、満を辞して告白をしたが、あっけなく振られていた。その後吉田と三人でしこたま酒を飲んだ。山田の愚痴を朝まで聞いて、倒れるまで飲んだ。懐かしい思い出だ。

 吉田が来た。

「よお」
「よお、久しぶり」
「ああ、そうだな、久しぶり」

数年ぶりに会ったというのに、吉田は変わっていなかった。少し痩せたくらいだ。

「あとは?」
「長崎だけ」

ぼくが言った。山田はまだ水を飲んでいる。

「ちょっとトイレ行ってくる」

そう言うと、山田は椅子から立ち上がった。山田がトイレに行ってしまうと、吉田が言った。

「なんであいつ、あんな水ばっか飲んでるんだ?」
「さあ?」

吉田はよく日に焼けていた。ITベンチャー勤めらしくない。精悍な顔立ちと茶色い肌。

「やっぱり長崎とのことかな…」
「二人に何かあったの?」
「なんだ知らないのか。まあ、昔色々な。あとは本人から聞いてくれ」
「わかった」

山田が戻ってきた。さっきよりもそわそわしている。

「長崎は?」

ぼくが山田に向けて言った。

「もう来る」

スマートフォンを見て、山田が言った。

 まもなく、長崎が来た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?