ドミノ(2023)

ロバート・ロドリゲス監督作品。

撮影と役者が思いの外に良いので、苦笑はすれど、90分ずっと不愉快な思いはせずに軽く楽しめる一本。なんかただそれだけの事でもえらく貴重に思えてしまうという現代アメリカ映画地獄変。

編集は毎度のごとくロバート・ロドリゲス本人だが、『デスペラード』みたいなギクシャクした感覚はすっかり卒業したらしい。もはやすごい普通。地味に上手くなっている男。

「思いっきり廉価版『インセプション』じゃねーか!」
「違いますー! 『CURE』と『攻殻機動隊』と『ドッグヴィル』も入れてますー!」

まあそんな程度の映画なのだが、B級映画なんてそんなものであるべきじゃないか、という気はするので許せる。美味しいところを安値でサクサクつまんで、怒られる前に素早く撤収という作法。これで140分のうえに偉そうな顔して売店でグッズ売りまくってフランチャイズの10何本目でカメオ出演乱れ撃ちで次回に続くだったら激怒モノである。あと『ザ・コンサルタント』のような「結局この映画は何が言いたいんだ……」という商品価値不明ぶりがないのも良いと思う。目的意識がはっきりしている駄菓子映画。

CG祭りなのかと思いきや、肝心どころは案外アナログなのが、何より好感度が高い。スマホの画像が変化するところで、ベン・アフレックの視界が一旦ピンボケになってからモンタージュする、超馬鹿馬鹿しい段取りに爆笑。最後の見せ場も後景がレンズの歪みみたいにグニャグニャしているだけで(たぶんそういうCG処理ではあるが)、コンピューター処理のこれ見よがしさはあまり鼻につかない。

そういえば私は、モーフィングという技法があまり好きでなく、チャウ・シンチーの『西遊記・はじまりのはじまり』で、超単純な切り返しだけで幻影と現実を対比してみせたシーンに大喜びしたくらい、「単なるモンタージュ」で現実の変容を見せられるのが好きな人なのであった。

単純なモンタージュでも語れるシーンなら、普通にモンタージュでやれば良いじゃないか。CGで派手派手にモーフィングなんて、余計なカネもかかる、ただの粉飾決算じゃないか。だったら俺は単なるモンタージュで良い。

本作にはそんな潔い態度があって、安さを隠そうともしない、カットが切り替わるとそこにウィリアム・フィクトナーがッ!を素朴な天丼として繰り出してくる、原初的な見せ方が好ましいのだ。

ロドリゲスはフィクトナーを相当にリスペクトしているらしく、たぶん矛盾まみれに神出鬼没な彼に、最後の最後で花を持たせる。続編に続く、というより、本作はアンタの映画だったよアリガトーという〆方。これくらいの代表作が、正直ちょっと遅すぎたくらいにイイ顔の役者なので、ここはロドの采配に拍手を送りたい。

ベン・アフレックも、すっかり鬱芝居が板についた、良い顔になったなあ。この人がアメコミものじゃない映画で拳銃構えているだけでうれしい(本作だって十分マンガではあるが)。

それだけ褒めながら、やっぱり本作も、見せ場アクションの合間の会話説明シーンだと俳優やカメラから動きが消滅するという、近年のアメリカ映画における悪しき手抜きからは逃れられていないのだが、もはやこれは作法なのだろうか。これくらい何も起こらない画面でないと設定の説明に観客が集中できない、みたいな。大きなお世話である。どうせ設定なんて映画にとっては刺身のツマなのだから、もっとシンプルな設定にして、その分だけ動線とかに心を砕いてもらいたい。シリアスに説明すればするほど私は真面目に聞いていないぞ!(オイオイ)

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