三、詩集 『白鹿潭[ペンノクタム]』

 詩集『白鹿潭』に収録された詩は、散文詩とそれ以外の作品の二種類に分けられます。散文詩としては「哀しい偶像」、 「むくいぬ」、 「温井」、 「長寿山1」、 「長寿山2」、 「白鹿潭」、 「礼装」、 「蝶」、 「揚羽蝶」、 「チンダルレ(つつじ)」があるほか、『文章』には発表されながらも『白鹿潭』に収録されなかった「盗掘」があります。散文詩以外の作品としては「流線哀傷」、 「パラソル」、 「滝」、「玉流洞」、 「小曲(明水台チンダルレ)」、 「毘盧峯2」、 「九城洞」、 「春雪」、 「天主堂」、 「朝餐」、 「雨」、 「忍冬茶」、 「赤い手」、 「花と友」などがありますが、同時期に制作されながらも、この二種類の作品は、形式と内容両面において大きな格差を見せています。
 散文詩でない作品は、少ない語数で自然の風景を軽くスケッチしたようなものが主流を占めており、一九二○年代の作品に比べれば感傷的な表現や装飾がはるかに減っています。これらの作品は、いくらか淋しい感じを与えはしますが、基本的に明るくて落ち着いたトーンに支配されています。短い詩をひとつ例にとるなら、「谷間には/よく流星が埋まる//黄昏に/雹[ひょう]がけたたましく積もり//花が/流刑に処せられる所//寺の跡だというのに/風も集まらない//山が薄い影を落せば/鹿は立ち上がって稜線を越える」(「九城洞」、 一九三八、拙訳)のような静かな語調の作品です。
 「パラソル」、 「赤い手」、 「花と友」のように人物をテーマにした詩も、対象とする人に対する温かな眼差しが感じられます。「白い足に黒いポソン(足袋のようなもの、訳注)をはき/山の果実のように凍えた赤い手 /背丈ほども積もった雪をかき分け/岩の間に流れる水を掬う」(「赤い手」、拙訳) 「雲の上たかく登り/頬髭の生えた友が 寧ろ/女房みたいに愛らしくて/じっと見守るのも嫌ではなかった」(「花と友」、拙訳)。 このパターンの作品からは暗い時代相や、その中で苦悩する詩人の姿は浮き上がってきませんし、これといった事件も描かれないので、まるで墨絵を見ているようなのんびりとした印象を与えます。
 詩集『白鹿潭』で最も注目すべきなのは、そういった作品よりも、「幌馬車」、 「みなし子の夢」以後途絶え、この時期に再びほとばしるように書かれた散文詩篇でしょう。『白鹿潭』に収録された散文詩の大部分は緊張感と不安に満ちており、抑圧された者の心情を伝えることによって間接的な社会批判になっています。特に、悲しい、苦しいといった感情の直接的な表現を避け、アイロニーまでまじえた冷静な描写によって複雑な心理を表現するモダニズムの技法は熟練の境地に達しています。また、「哀しい偶像」、 「むくいぬ」、 「盗掘」、 「揚羽蝶」など、官能的なイメージの目立つ作品が多いのも、この時期の特徴です。この章では 「白鹿潭」、 「むくいぬ」、 「盗掘」、 「礼装」、 「蝶」、 「揚羽蝶」の作品分析を試み、最後に鄭芝溶がこの時期に散文詩という形式に執着した理由を考察します。

 詩集 『白鹿潭』に収録された作品は、古語や漢字語がたくさん使われているために、東洋精神や東洋的文人趣味に関連づけて論じる人が多かったのですが、よくよく見てみると、そうとばかりも言えないようです。たとえば、詩集『白鹿潭』のタイトルにもなった詩「白鹿潭」は、キリスト教的イメージに支配されています。ここでは、この作品の分析を通して一九三○年代半ばのカトリック詩篇には直接的に表現されていた芝溶の信仰心が、行き場を失い、さまよった末に到達した帰結点としての「自然」について考察します。

  1
 絶頂に近づくほど大花薊[おおばなあざみ]の背丈が消耗される 峠を一つ登れば腰が消え そのまた上では首を失い しまいには顔だけ出して外界を覗いている 花模様のごとくに 咸鏡道[ハムギョンド]の辺境に劣らぬほど風の冷たい所 背丈はなくても八月の大花薊は ばらまかれた星のように爛漫だ そうでなくとも山の影が暗い時 大花薊の花畑では星達が灯をともす 星が移動する 俺はここで気力が尽きた

  2
 岩高蘭[がんこうらん] 丸薬のように愛らしい実に喉を潤して生き返った。

  3
 白樺のそばで白樺が髑髏[どくろ]になるまで暮らす 俺が死んで白樺のように白むのも悪くはない

  4
 淋しさに鬼神も住まぬ曲がり角 孤独な鬼菅[おにすげ]は真昼でも青ざめる

  5
 海抜六千フィートの山頂で牛馬も人を恐れない 馬は馬どうし 牛は牛どうし 子馬が母牛を 子牛が母馬を追っては離れる

  6
 初めての出産に母牛が胆をつぶした 苦しくて百里の道を西帰浦[ソグィポ]まで走った 生まれてすぐ母を失った子牛はモオモオ鳴いた 馬を見ても登山客を見てもまとわりついた うちの子供達も毛色の違う母親に任せればよかったものを 俺は泣いた

  7
 風蘭の香気 コウライウグイスが互いを呼ぶ声 済州[チェジュ]ウグイスが口笛を吹く 岩に水が転がる音 どこかで波が打ち寄せているような松籟[しょうらい] 秦皮[とねりこ] 椿 柏の木の間で俺は道に迷い 白い岩に葛のつたが這うくねくねした道に再び入った 偶然出くわした斑[ぶち]の馬は避ける気配もない

  8
 ぜんまい わらび つるにんじん 桔梗[ききょう]の花 雄宝香[おたからこう] くるまばつくばね草 熊笹 岩茸 星のような滴[しずく]をつけた高山植物の名を口ずさみながら酔い また眠った 白鹿潭の澄んだ水を慕って山脈の上に並ぶ行列は雲より荘厳だ 激しい夕立に濡れ 虹に乾き 花の汁に赤く染まった尻がむくむ

  9
 ザリガニも這わない白鹿潭の青い水に空がめぐる 疲れて動かない俺の脚のそばを牛が通り過ぎた 追われてきた一抹の雲にも白鹿潭は濁る 俺の顔に半日のあいだ重なっていた白鹿潭は淋しい 俺はうとうとしては目覚め 祈ることすら忘れていた
                     (「白鹿潭」 全文、拙訳)

 まず「白鹿潭」というタイトル自体が強い象徴性を帯びています。白鹿という言葉は、それにまつわる伝説の存在を感じさせ、神話的なイメージを持っていますし、実際に白鹿潭にはいろいろな伝説があります。遥か昔から漢拏山[ハルラサン](済州島にある休火山。一九五〇メートル)は神仙の遊ぶ山で、神仙は白い鹿に乗って頂上にある白鹿潭に行き、そのきれいな水を飲ませたために白鹿潭という名がついたとも言い、神仙が「白鹿酒」を飲みながら遊んだので白鹿潭と呼ぶようになったとも言います。この他にも伝説にはいろいろなバリエーションがあるようです。ともかく、白い鹿が神聖なイメージの動物であることは間違いないでしょう。そのため、タイトルを見ただけで、読者はこの世とは違う世界に入るよう、心の準備をさせられます。この点を念頭に置いて、読み進めましょう。
 第一連では、山を登るほど大花薊の背丈が「消耗」されるのですが、これは話者が、表層的な意味では肉体的な疲労によって、深層的な意味では、困難な生活環境と社会状況による精神的な疲労によって、人間としての肉体が摩滅し、消えてゆこうとしているように感じているということです。花を描写するのに腰、首、顔のなどの肉体の部位を表わす単語を使っているのは、話者が花に感情移入して一体化している証拠です。山の頂上で大花薊の背丈は完全になくなります。すなわち話者の肉体は象徴的な意味で死ぬのです。(「俺はここで気力が尽きた」)。そして大花薊が夜空の星に変貌すると、この世の肉体は死んで、天井の霊魂として復活します。岩高蘭の実は、話者を蘇生させる天上の丸薬でしょう。話者が象徴的な死を通過することは、第三連の「白樺のそばで白樺が髑髏になるまで暮らす 俺が死んで白樺のように白むのも悪くはない」や、第四連の「淋しさに鬼神も住まぬ曲がり角 孤独な鬼菅は真昼でも青ざめる」という死のイメージを見ても分かるでしょう。話者が白鹿潭でなら、死んで白樺のようになるのも悪くはないと感じるのは、その死が天上での復活に通じることを知っているからです。
 「海抜六千フィート」の山頂は、この世に属する世界ではありません。「牛馬も人を恐れない」、つまり人と動物は同等に暮らしています。動物間の区別も曖昧なので、「子馬が母牛に、子牛が母馬」について行ったりしますし、母を失った生まれたての子牛は馬や登山客を見るとまとわりつきます。偶然出会ったブチの馬も人間を恐れません。これは人間と動物が仲良く共生する楽園なのです。ここでは人間も動物の一種に過ぎません。話者は母を失った子牛を見て、自分の子供達を思い出しています。ただし、「うちの子供達も…」という一節が何を意味するのかは判然としません。

 大花薊、岩高蘭、白樺、そして第七連に登場する自然物の香気と音、第八連で列挙される高山植物は、海抜六千フィートの白鹿潭が、地上とは別の世界であることを改めて示しています。下界では見られない物がたくさんあるからです。特に夏の短い期間にいっせいに花を咲かせて天然の花畑を形成する高山植物は、澄んだ爽やかな空気や川の水と共に、白鹿潭を楽園にする重要な要素になっています。「星のような滴をつけた高山植物」の香りをかいで歩く間に、話者はだんだん陶酔して自我を失います。「うとうとしては目覚め」るというのは、象徴的な死と復活を繰り返すことで、話者が地上世界の憂いを忘れ、浄化されて楽園にふさわしい存在として再生するのです。   「白鹿潭の澄んだ水を慕って山脈の上に並ぶ行列」は、登山客が白鹿潭のきれいな水に向かって歩いているのを表現したものと思われますが、これはまるでキリスト教で言う「渇いた者」が「命の水」を求める光景のように見えます。そう考えれば岩高蘭などの高山植物は「命の木」(ヨハネ黙示録二二:一~二)であり、夕立は心身を清め、イエスの弟子として生まれ変わる洗礼の儀式のようなものです。夕立がやんで空に現れた虹は、ノアの洪水が終わった後の祝福の虹にも似ています。
 しかし話者の気持はあまり晴れません。しばらくすれば、また過酷な地上の現実に戻らなければならないことを知っているからです。「一抹」は、「一抹の不安」というように、否定的なニュアンスを帯びた精神状態と共に使われることの多い言葉ですが、それをあえて雲を表現するのに適用して「一抹の雲にも白鹿潭は濁る」と語るのは、白鹿潭の澄んだ水に映る青空が一点の雲でにわかにかき曇るごとく、楽園に来て明るくなった話者の気持が、時折頭をかすめる悪い予感で曇らされるような不安状態にあるからです。話者の意識は曇ってゆき、話者は白鹿潭と一体化します。ザリガニすら這わない白鹿潭のように、孤独な白鹿潭は、話者のように淋しいのです。救いはいつ来るとも知れず、話者は絶望して祈ることすら忘れています。
 「『白鹿潭』を出したのが、私が最も精神的、肉体的に疲弊していた時である。(…)親日にも排日にもなれない私は、山水に隠れることもできず、野で鍬を持つこともできなかった」(「朝鮮詩の反省」、 一九四八)という芝溶自身の言葉にあるように、「白鹿潭」には当時の息詰まるような状況が反映されています。朝鮮総督府のみならず、朝鮮文人協会所属の「朝鮮人文士の輩」からも親日を強要する圧力がかかるのは、実に耐えがたいことでした。とはいえ、積極的な抵抗ができなかったとしても、鄭芝溶の「親日行為」は、せいぜい「異土」という、曖昧な詩を書いたぐらいにとどまったようです。「異土」は朝鮮で発行されていた雑誌『国民文学』一九四二年二月号に掲載されたものですが、戦争を肯定する詩を書いてくれと強要されて、断りきれずにしぶしぶ書いたようです。この号の編集後記で崔載瑞がこの作品について、「朝鮮詩が大東亜戦争をこれほど見事に消化したと思えば、感慨無量である」と嘆賞しているために「親日詩」と見る向きもありますが、実際には「戦いは、勝つべきものなのだ」という力のない表現があるだけで、この詩からは誰が誰に勝つべきなのかすら明らかではありません。しぶしぶ書いたものの、精一杯曖昧な表現を試みたのでしょう。この時期、一部の朝鮮人作家、詩人達が、それも崔載瑞のような明晰な頭脳の所有者までが、必ずしも私欲のためだけではなく、「大東亜戦争」の正当性を信じ、積極的に戦争協力に走ったということを考えれば、明らかな親日行為をした形跡のない鄭芝溶は、有名人士としては立派に耐えていたと評価してもいいでしょう。
 確固とした政治的立場を持たない芝溶が「大東亜戦争」のイデオロギーに幻惑されないでいられたのは、彼がカトリシズムという体系的な理論の枠を堅持していたためかもしれません。それでも詩集『白鹿潭』には信仰が直接的に表現されることはありませんでした。これには当時のカトリック教会、それも京城教区が率先して「国民精神総力運動」に協力していたことが関係しているでしょう。彼は信仰を捨てることはできませんでしたが、以前から共に教会活動をしてきた友人達が親日行為に加担し大聖堂に日の丸が掲げられる環境で、現実のカトリック教会に対する心理的な距離感を持つようになっていたと思われます。教会は既に、避難所ではありませんでした。それに代わるものが、白鹿潭に代表される自然物、特に山でした。白鹿潭は彼が、一時的であれ、休息を取ることの出来る避難所、楽園の夢を見せてくれる場所だったのです。

 あの時 あなたの夜を守っていたむくいぬは 愛されるだけのことはありましたね 頑丈な垣根に枝折り戸も固く閉ざされていたのに 扉も障子もあったし 部屋の中では蝋燭[ろうそく]の火がそっと明るく照らしていたのに  雪が積もった小道は人の気配もなかったのに 寂しさに耐えられなくて あんなに吠え立てたのか 氷の粒が小石をかき分けて流れる小川の ざあざあという音が入って来やしないかと 大きな峰を回り まん丸に溢れ出ていた夜更けの月も ひょいと落ちて来やしないかと あちこち見回っていたのか むくいぬ それも無理はない 私など あなたはもちろんのこと  あなたの物にすら 触れられないのです むくいぬ 吠えるやいなや みすぼらしいひげを巻き あなたの脱いだきれいな靴の番をしながら眠っていました
                    (「むくいぬ」 全文、拙訳)

 芝溶の詩「むくいぬ」を解釈する前に、このむくいぬのように訳の分からない不安に怯え、月に吠え立てる犬が登場する萩原朔太郎の『月に吠える』(一九一七)と『青猫』(一九二三)を振り返ってみましょう。

ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
(…)
いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあわせの犬よ。
(「悲しい月夜」)

ああ、けふも月が出で、
有明の月が空に出で、
そのぼんぼりのやうなうすらあかりで、
畸形の白犬が吠えてゐる。
しののめちかく、
さみしい道路の方で吠える犬だよ。
(「ありあけ」)

ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまはつて、
わたしに背後[うしろ]で後足をひきづつてゐる病気の犬だ。
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい窓の月に向かつて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。
(「見知らぬ犬」)

動物は恐れにふるへ
なにかの夢魔におびやかされ
かなしく青ざめて吠えてゐます。
のをあある とをあある やわあ
(…)
「犬は病んでゐるの? お母さん。」
「いいえ子供/犬は飢ゑてゐるのですよ。」
(「遺伝」)

 絶望的に孤独で、言い知れぬ生理的な恐怖を感じる気持は朔太郎個人の性質に起因するものだとも言えますが、一方では絶対的な生の指針を失い、殻から這い出てしまった貝のように震える近代人の心理を表現したものであるとも言えるでしょう。そうした近代的な情緒を感覚的に表現した『月に吠える』は、白秋の口語自由詩よりもいっそう自由な言葉が駆使されていたため、この詩集によって日本の口語自由詩は完全に成熟したという評価を受けました。
 「むくいぬ」の犬は、家の周りに何ら異常がないのに不安がっています。それを見た話者はむくいぬの気持を推し量り、犬が小川の流れる音が家に入って来ないか、月が落ちて来るのではないかと心配になってそわそわしているのだろうと想像した後に、「それも無理はない」 とむくいぬに共感を表わしています。こうした根拠のない不安への共感は、常識では理解できません。しかし、一見矛盾しているようなこの敍述がすんなりと読めてしまうのは、話者がむくいぬに一体化しているためです。話者は、抗うことのできない、とてつもなく大きな力が押し寄せていることを知っているのです。
 話者は「あなた」を守ってやりたいが「あなた」はもちろんのこと、その所有物にすら近づく勇気を持つことができません。むくいぬが「あなた」の靴を守りながら眠る姿を見て、話者は軽い嫉妬を覚えています。ここで「あなた」に対する接近が禁止されていて、それゆえに憧憬が倒錯的なフェティシズムとして現れているという点は、特筆すべきでしょう。抗い得ない大きな力に対する恐怖と、近づきたいのに近づけないもどかしさが、この詩を支配しています。一九三八年に書かれたこの作品は、外的な圧迫が厳しい時代相を感じさせ、そこでねじれる近代的自我の苦しみを倒錯的に表現しています。近代的心理を高度に成熟した表現で描いた作品であると言えますし、そうした心理を表現すること自体が、間接的な社会批判になり得るのです。

 百日致誠の末 山参[サンサム]はついに現れなかった 白樺の焚き火でぽっと照らされ 桔梗の根 つるにんじん 雄宝香の芽の間で 山参の芽が身震いした 山参採りの老人は安い煙草に火をつけ くわえたまま岩を枕に その夜 赤くなった胸もとに紅[あか]いチマを巻いた愛らしい後添えさんみたいな山参を抱きしめる夢を見た 焚き火の炎が 消えたかと思うとまた生き返る 警官の 片方だけ細めた目が 遠くの火をすっと銃で狙った 星もない黒い夜 火薬の火が 紅い絵の具のように美しい 栗鼠[りす]が尻尾をくるりと巻いて逃げてゆく
         (「盗掘」全文、 『文章』 一九四一年一月号、拙訳)

 「盗掘」というタイトルが示すように、ここに登場する山参(野生の高麗人参。薬効が高く、非常に貴重で高価なもの)取りの老人は、禁止された区域に入って山参を探しています。ここでは近づきがたい憧憬の対象が山参ですが、山参は老人の夢の中で後添えの花嫁の姿をして現れます。この作品も倒錯的なエロティシズムを感じさせます。禁断の果実である山参を「あなた」の所有物にすら近づけない「むくいぬ」の話者とは違って、この老人は積極的に探しに行きます。しかし積極的に禁断を犯そうとするのは、それだけ危険でもあります。取り締まりの警官は老人に向かって照準を合わせるのに老人は何も気づいておらず、リスだけが惨劇から逃れるように走り出します。
『文章』 二二号(一九四一年一月)には「新作/鄭芝溶詩集」という大見出しのもと、十編の詩のタイトルが記されています。いわば、このページが雑誌の中に挿入された小さな詩集の表紙になっているのですが、注目すべきは、「新作/鄭芝溶詩集」という大きな活字と十編の詩のタイトルの間に、ペンで描かれた芝溶の似顔絵と共に、芝溶の直筆と思われる手書きの「盗掘」という文字が大きく印刷されていることです。つまり「盗掘」は、散文詩のタイトルであると同時に、この雑誌に発表された十編の作品全体のためのタイトルにもなっているのです。言い換えれば、『文章』二二号に掲載された「鄭芝溶詩集」のタイトルが「盗掘」であり、詩人はそれだけこの作品に愛着があったのです。それにも関わらず、『白鹿潭』にはこの作品が収録されていません。
 その理由は知られていませんが、この詩が感情を極端なまでに抑制した文体の中にも、抑圧する権力に対する反発が明確に現れている作品であることは、誰の目にも明らかでしょう。山参は誰が植えたのでもない自然の物ですから、老人が若かった頃は山参を探すことが違法ではなかったかも知れません。「百日致誠」という言葉が示しているように、山参は山の神がつくった神聖な植物です。しかし禁止する者が現れれば、昔からの山参取りも犯罪として規定されてしまいます。百日間も山をさまよったのに山参はみつからず、愛らしい花嫁の姿をした山参に夢の中でのみ会う老人は痛ましく、老人に銃を向ける警官は残酷に見えます。その残酷さを糾弾する言葉は一つもないのに、火薬の火の赤さや、逃げるリスの描写で冷徹に浮彫りにする腕前は、芝溶のモダニズム的技法が最大限に生かされたものだと言えましょう。
詩人自身がかなり気に入っていたはずのこの作品が詩集『白鹿潭』に収録されなかった理由を推察するのは、難しいことではありません。それは検閲にかかって削除されたのか、検閲を受ける前に除外したのかは分かりませんが、この作品の反権力的な性格のせいでしょう。そうであるならば、私達は『白鹿潭』に入っていないという理由でこの作品を軽視してはならず、詩集に収録されなかったからこそ、この作品をいっそう重視するべきなのです。

 モーニングコートで礼装し 万物相に入った壮年の紳士がいた 旧万物の上から飛び降りた 落ちる途中で上着が松の枝にかかって脱げてしまい ワイシャツ姿で ネクタイが傷つかないよう べたりとうつ伏せになった 冬の間じゅう 白いてのひらみたいな雪が何度も降って覆い隠してくれた 壮年が思うに「息をしなければ寒くはないだろう」  亡骸[なきがら]にふさわしい儀式を執り行い 冬の間伏せっていた 白い雪が幾重にも礼装のように積もり 春の気配が濃くなって消える
                    (「礼装」 全文、拙訳)

(万物相は、現在の北朝鮮に位置する金剛山の名所の一つで、奇怪な形をした岩山の景観で知られています。五峰山の南側斜面一帯を万物相というのですが、場所によって旧万物相、新万物相、奥万物相などと呼び名が変わります。)

 この作品は敍事的構造を持っていますが、この紳士が実在の人物であるとは思えません。詩人個人の感情表出が見られないという点でこの作品は「長寿山」、「蝶」などとは異った性格を持っており、それだけに内容が高度の象徴性を帯びています。
 この詩のアイロニーに注目してみましょう。「壮年紳士」が山の上から飛び降り自殺をしようという劇的な状況で、紳士はなぜか礼装であるモーニングコートを着ていて、死ぬ瞬間までネクタイを心配しています。彼は外見を重視して、それより大切なはずの自分の体や命の重要さが認識できないのです。また紳士は死にかけながらも寒さを感じないために息を止めようと考えます。ここでも生きることより寒さを感じないことの方が大事だという、本末転倒が見られます。すなわち、この作品は世俗の価値観によって硬直した精神が迎える悲劇的な結末を描き、またそういった硬直した精神が命を犠牲にして守ろうとする価値というものは悠久の自然の中では何の意味もないということを、この詩は戯画的に語っています。高邁に見える理念の為に、もっと大切なはずのものを捨てる人間の愚かしさを描いた作品であると言えるでしょう。

 画具をかついで深い山に入れば 行方は杳然[ようぜん] 紅葉散って 山の峰は顔をしかめ 雪が舞い 冬のあいだ峠の売店は 表の戸も中の戸も開くことはなかった 年を越し 春の気配が漂うまで 雪は軒の高さに積もっていた 大きなカンバスに ひとひらの綿のごとく 去年[こぞ]の白雲あらたに流れ 滝の落ちる音も青空も戻ったのに 皮靴と室内履きをきちんと揃えて 恋愛が生臭い匂いを放った その夜 家々の窓で 夕刊に腐臭が満ちた 博多生まれの地味な寡婦の白い顔は淮陽[フェヤン]や高城[コソン]の人達も知っていたけれど 売店の亭主になった画家ときたら名前すら分からない 松の花粉は黄色く 郭公[かっこう]鳴き ぜんまい わらび  頭[こうべ]を垂れて 一対の揚羽蝶 ひらひら青い山を越え
                    (「揚羽蝶」 全文、拙訳)

 鄭求寛氏がお父さんから聞いた話によると、この寡婦にはモデルとなった実在の人物がいたそうです。当時、金剛山[クムガンサン](韓国東部、太白[テベク]山脈の名山)の毘盧峰[ピロボン](金剛山の最高峰で、高さ一六三八メートル)で登山をするのはたいてい作家、詩人、画家といった職業の人でした。登山途中、唯一の休憩場所が山奥の売店だったのですが、そこは知的な感じのする日本人女性がひとりで店を経営していて、登山客は毘盧峰に登るたびに彼女から飲み物などを買い、言葉を交わしました。ところがある時、芝溶が行ってみると売店の戸が閉っていました。そして登山の帰りに、二羽の揚羽蝶が飛んでゆくのを見たそうです。
 また、この寡婦の人物像に投影されているかも知れない他の女性が、「画文行脚12 五龍背3」(『東亜日報』一九四○年二月十五日)という紀行文に出てきます。吉鎮燮画伯と芝溶が五竜背(中国の地名。温泉で知られる)に行った時、ホテルの予約をしていなかったので仕方なく「保養館」という、あまり人気のなさそうな温泉旅館に泊まることになりました。日本人の女給は、必要な物も「いちいち持ってこいと言わなければ」持ってこないという有り様で、あまり気がききません。気分を害して、ある物は全部持ってこい!と叱ってみたものの、詩人はふと、女給の目尻に涙の跡のようなものを見つけます。「怒ったのか?」「いいえ!」。詩人は彼女の身の上に同情し始めます。「訛りからすると福岡か博多あたりから来たらしいが、体も細いし顔が青ざめていて、気質はまっすぐな方だが好感を与えるわけでもなく、服も満州の寒さに似合わない春か秋用の物と見えて、まばらな椿の赤っぽい花模様が、ふと寂しく見える。見方によっては純真に見えないこともない。こんな所にいる娘が、客の冗談や悪ふざけに気軽く応じたり、にっこりしたりすると自分の身を守れなくなるのだろうと同情的に解釈してもみる」。ここに登場する女給キミコは未婚ですが、博多を離れ、単身、寒い他郷に来て働いているという点では「揚羽蝶」の寡婦と同じです。
 詩の中で、博多生まれの寡婦はひとりで見知らぬ土地、それも山奥に来て、小さな売店を経営しています。彼女は近隣の人々とも挨拶ぐらいは交わしつつ、それなりに暮らしになじんでいました。紅葉の季節に山の風景をスケッチしに来た画家がこの寡婦と深い仲になって売店に住み着きましたが、初冬に二人の姿が見えなくなりました。どこかに行ったらしい、とふもとの村では噂になり、雪が解け、カッコウが鳴き、春の山菜が取れる頃、二人の腐敗した屍体が発見されました。駆けつけた警察医は、死後三か月であると診断しましたが、寡婦の親族はどこにいるのか探せず、画家に至っては誰も名前すら知りません。村の人々の手で簡素な葬式が行われた時、二羽の揚羽蝶が青い山を越え、どこかに飛んで行くのが見えました。
 この情死事件が実際にあったものかどうかは分かりません。しかし「腐臭」という表現は、また別の情死事件、すなわち有島武郎の事件を連想させます。有島は芝溶が同志社大学に入学した一九二三年の六月、軽井沢にある別荘で、愛人と共に屍体となって発見されました。「蛆のわく死骸で発見されるでしょう」という遺書の言葉のとおり、二人は既に腐乱していました。あまりにセンセーショナルなこの事件は社会的に大きな話題になり、遺書の「後悔は致しませぬ」という一節が流行歌になるほどでした。有名作家の尋常ではない死が、文壇に大きな影響を及ぼしたことは言うまでもありません。有島の死が芝溶に衝撃を与えただろうと思うのは、それだけではなく、有島が一九二一年までは同志社大学英文科に出講していたためです。つまり、芝溶の先輩達は有島の教えを直接うけていたので、英文科の学生達は特に動揺したはずです。「恋愛が生臭い匂いを放った その夜 家々の窓で 夕刊に腐臭が満ちた」という部分は、有島のスキャンダラスな死のイメージが投影されているのではないでしょうか。
 「揚羽蝶」の寡婦は夫がいないのだから、二人が心中したのは画家に妻がいたからかも知れません。すなわち、「むくいぬ」の話者や「盗掘」の老人は、禁止された対象を手に入れることができなくてもどかしがっていますが、「揚羽蝶」の寡婦と画家は禁断の果実を食べてしまった結果、死に至ります。しかし、「腐臭」という即物的な表現はこの作品において、死が美化されていないことを示しています。

 やれと言われない事は妙にやりたくなるもので 暖炉に新しい秦皮[とねりこ]をくべ 息を吹きかけてランプのほやを磨き はめ直して芯を伸ばすと新しい炎が立つ カレンダーのページを前もってちぎって掛ければ 明日の日にちがもう赤い これから栗鼠[りす]の背みたいな連峰を越えるのだ 尾根道の上の遥かな秋空よ 秒針の音が響く 落葉散り敷いた山荘の夜 窓ガラスまで雲に覆われ ぽと ぽと ぽと 雨だれの音 てのひらほどもある蝶が窓に貼りついて覗きこむ 何と哀れな 開かない窓をこぶしでどんどん叩いても飛び去る元気すらなく 四方の壁が蝶の羽と一緒に震える 海抜五千フィートに漂う雨に濡れたひとひらの幻想 呼吸しよう 不器用に貼りついたこの自在画は 火を焚いてつくられたへんてこな季節がひどく羨ましい 羽が割けたまま 黒い目を猿のように見開くのではないかと恐ろしかった 雲が再びガラスにぶつかって岩のごとく砕け 星もごっそり降りて麓の村の空に光るのか 白樺の林がのそのそ歩く絶頂 黄昏のようにほの白い夜
                        (「蝶」 全文、拙訳)

 季節は秋でも海抜五千フィートの山頂の夜は寒いでしょう。しかし話者は薪をくべ、ランプのほやを磨いて山小屋の中を明るく暖かい春を演出します。もちろん偽の季節です。「琉璃窓1」、 「琉璃窓2」においてそうであったように、ここでも窓ガラスはこちら側とあちら側が別の世界であることを表わす役割をしています。ところが大きな蝶が、その偽の春を慕ってガラスに貼り付くように、とまってしまいます。話者はニセの季節にだまされた蝶が哀れでもあり申し訳なくもあるので、窓をたたいて追い払おうとしますが、蝶は去ろうとしません。話者は外の現実の厳しさを知っていながら、せめてもの安息を求めて暖炉とランプで暖かさをつくりだしているのです。寒さと暗さから逃れたいのは蝶も同じなのに、窓ガラスは閉じられていて蝶は暖かさの中に入ることができません。話者はニセの春を慕う蝶の姿に、自分自身を見ています。「羽が割けたまま 黒い目を猿のように見開くのではないかと 恐ろしかった」と言うのは、自分だけ安全で快適な場所に逃避していたい話者の気持を、蝶に責められているように感じているからでしょう。猿の目は人間の目に似ていて、話者の心の底まで見透かしてしまいそうです。話者は自分の逃避的行動を、自ら恥じています。白樺が暗闇の中をのそのそ歩いているように感じるのは、話者の不安な心理が現れたものです。
 ここでは窓ガラスが空と雲を背景にした絵として把握されており、蝶はその絵の一部です。雲がガラスにぶつかろうが、蝶が凍え死のうが、話者は一枚の絵を見るようにながめているだけで能動的な行動は取ろうとしません。そしてその事に自責の念を感じています。
 散文詩「白鹿潭」の白鹿潭と同様、「蝶」の暖かい山頂もまた、一時的な避難所に過ぎません。この作品は「親日も排日も」できないで「山水にも隠れられず、畑で鎌を取ることも」できなかった時期の産物ですから、親日行為を強要される知識人のつらさと、積極的な反抗の出来ないことの心理的な屈折が象徴的な叙情詩に滲み出ています。