八、詩人の素顔            1) 父親として

 時代的には帰国後の話が中心になりますが、ここで少し詩人の人柄について触れておきます。芝溶はあるインタビューの席上、「十年の間に五男二女をもうけましたが、ますます可愛いくなります」(「文人との愚問賢答」『女性』一九三七)と言っていますが、彼の子供のうち、男の子二人、女の子一人は幼くして亡くなったようです。一番最初の子供は女の子で、芝溶が京都に留学している時に生まれ、数年後に病気で亡くなりました。頑固な封建主義者であった芝溶の父は初孫に男の子を期待していたのに女の子が生れたものですから嫁をなじり、またその子が病気になってもなかなか薬を処方してくれなかったそうです。この幸薄い子が亡くなった時の芝溶の心境は、いくつかの詩にうたわれています。

軒端に立ちこめた煙について
葡萄[ぶどう]の芽が這い出てゆく夜 音もなく
日照りの地面にしみこんだ熱が
背中にこもり むんむんと
ああ この子の身体がまたほてっている
灯蛾[ひとりが]のような荒い息
かぼそい頭や注射の跡に唇を押し当て
私はつぶやく 私はつぶやく
恥を知らぬ多神教徒のごとく
ああ この子がひどくむずかる!
明かりも薬も月もない夜
遠い空で
星が蜜蜂のように飛び交い
(「発熱」一九二七)

琉璃[ガラス]に 冷たく哀しきものが揺れている
おずおずと近寄り息をかければ
なついたように凍えた羽をぱたぱたさせた
消しても 消しても
漆黒の闇が退いてはまた押し寄せ ぶつかり
水をふくんだ星が宝石のように象眼される
夜 ひとり琉璃を磨くのは
孤独で恍惚とした心持ちだからだ
かはゆらしい肺血管が裂けたまま
お前は野の鳥のごとく行ってしまったんだね
(「琉璃窓 1」一九二九、拙訳)

外を見れば
真っ暗な夜
陰鬱な庭で松の木がしきりに伸びる
向き直って席に戻る
私は渇いている
再び近づいて
琉璃を口でつつく
ああ 金魚鉢の金魚のように息苦しい
星もない 水もない 口笛ふく夜
小さな蒸気船のように揺れる窓
透明な紫色の雹[ひょう] ああ
この裸体を引きずり出し 打ちのめし 悪罵せよ
私は発熱する
頬はむしろ恋情に燃えるごとく
琉璃に擦りつけ 冷えきった口づけを飲む
痛ましくあえかに軋[きし]む音――
遠い花!
都会にはきれいな火事が燃え上がる
(「琉璃窓 2」一九三一、拙訳)

 冷たいガラスの内側で孤独と悲しみに耐えているという構図は、たとえば白秋の

泣かむとし赤き硝子に背を向けつ 夕は迫る窓の内部[うつら]に          (『桐の花』)

泣かまほしさにわれひとり、
冷やき玻璃戸に手もあてつ、
窓の彼方はあかあかと沈む入日の野ぞみゆる。
泣かまほしさにわれひとり。
(「断章二四」『思ひ出』)

といった作品にも現われますが、芝溶の詩は、はるかに激しい感情に揺れています。

 後に芝溶に長男が生まれた時、芝溶の父は大喜びで、芝溶や芝溶夫人が長男を叱ったりすると、「俺の孫を叱るな!」と怒るほど、孫を大事にしたそうです。
 長男である求寛氏は幼い頃体が弱く、医者に「長生きできないかも知れない」と言われたため、芝溶夫妻はとても心配しました。芝溶が子供達に剣道やランニングなどの運動をさせて鍛えたおかげで、求寛氏は健康になったそうです。芝溶は長男に特別の関心を注ぐ一方、厳格な父親でもあって、弟や妹が悪いことをしても「お前がちゃんと面倒を見ないからだ」といって長男を罰しました。また、末っ子の女の子はことのほか可愛かったようで、「末っ子より可愛いおもちゃがこの世にあるなら、どんな大金を出しても買う」などと書いています。
 家の中で芝溶は文学の話はいっさいしませんでした(ただし、漢文や漢詩については好んで語ったようです)が、家族と食事をしている時も頭の中で詩をつくっていたりして、自分だけの世界に浸ることはしょっちゅうでした。そのため、自分がご飯を何杯食べたのか分からなくなり、夫婦の間で、「あなた、おかわりは?」「これ、何杯目だっけ?」などという会話がいつも交わされました。ある時、末っ子が茶目っ気を出して、「お父さん、もう三杯も食べたじゃないの」と言うと、芝溶はあわてて、「そうか、もうやめよう」と箸を置いてしまいました。妻が「まだ一杯しか召し上がってませんよ」と言うと、「ああ、そうだったかな」と、おかわりをしたそうです。
 芝溶の詩人としての名声が国中に響き渡るようになると、友人や後輩、面識のない文学青年までが、芝溶を自宅に訪ねるようになります。芝溶は元来酒好きではありませんでしたが、酒を飲む機会が多くなり、次第に酒量も増えました。訪れる人々は、当代一流の詩人の家がみすぼらしいのに驚きましたが、話があまりにおもしろいのでなかなか席を立たず、友人の中には、何日も泊まって行く人もありました。狭い家ですから家族はずいぶん不便だったでしょうし、苦しい家計からお客を接待するのに、夫人の苦労は並大抵ではなかっただろうと思います。