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努力はすべきか

世の中の努力論

世の中には「頑張るべきだ」という意見や「努力は最小限にすべきだ」という意見が飛び交っています。「努力しないための努力をしよう」なども見ます。

どちらが正しいのか。これらの命題に対して自分なりの回答をします。

私なりの結論

我慢して耐える努力はしないほうがいい。
我慢して耐えることをしないために乗り越える努力はしたほうがいい。

押し付けのように「すべき」とは思いませんが、自信の幸福を目的とした場合、「したほうがいい」と思います。しないほうがいいかどうかは、「我慢」がキーワードです。

努力して乗り越えないと、ストレス源に依存してしまいます。親や恋人や会社に依存し、「なぜ私の望みどおりに動いてくれないんだ」と怒りちらして自分も周りもストレスになってしまいます。不機嫌でしか相手を動かす手段を身に着けられなくなります。

しかし乗り越えられると、今後同じような困難も乗り越えられます。

具体例

例えば、「上司からのハラスメントを受けている」状態でそれを我慢しつづけるのは自信の幸福を考えるとよくないです。そして、我慢しないためには抗議をしたり法的に訴えたり会社を辞めたりすると解決します。それが簡単にできないからこそ、そのための努力をしたほうがいい、ということです。法律を勉強してみたり、どこへいっても通用するスキルを身につけたり、可能であればスルースキルを身につけてもいいかもしれません。いずれにしても、並々ならない努力が必要です。これは学校の成績だけよくても意味がない(つまり十分条件にはならない)ですが、必要条件にはなるのではないかと思います。

どちらの努力かわからないこともある

中には、我慢する努力か乗り越える努力かわからないこともあります。例えば、新人営業の人が見ず知らずの人と名刺交換をして忍耐を鍛えることを業務命令で出されたとか、大金をはたいて仕事を依頼してきてくれるがストレスのたまるクライアントを相手に仕事をするとか。こればっかりは私もどちらがいいのかわかりません。我慢が許容内で、期間が区切られていて、何かを学び取ろうという姿勢があれば乗り越えていくのが良いのではないでしょうか。

Twitter:@masahiko888


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