見出し画像

長崎での高野長英と鯨――Museum Collection #6 奥州市立高野長英記念館

全国の美術館・博物館が所蔵する古今東西の名品を、学芸員の解説とともに紹介する「ミュージアム・コレクション」。
『本郷』168号よりお届けします。

長崎での高野長英と鯨                  

 高野長英(たかのちょうえい)記念館は、江戸時代の医師・蘭学者である高野長英を顕彰するため、一九七一(昭和四十六)年に彼の出身地である水沢(みずさわ)に開館し、以来関連する資料の収集・保存・展示を行っています。今回ご紹介するのは、長英が平戸(ひらど)で鯨の調査をした際に描いたという「サカマタ鯨図」です。サカマタとはシャチのことを指し、小型の鯨に分類されます。
 一八二五(文政八)年八月、長英は二十二歳でシーボルトに入門し、オランダ語の翻訳に優れていたことから、入門して間もなく研究助手のような役割を任されていました。シーボルトから鯨の調査の課題を与えられると、長英は平戸の生月島(いきつきしま)を本拠地としていた有力な捕鯨業者・益富(ますとみ)組に協力を依頼し、現地に滞在し調査を行いました。江戸時代、平戸の面する西海は日本で最大の鯨の漁場といわれていました。そして、調査の成果「鯨及び捕鯨について」の論文を提出すると、シーボルトからドクトルの称号を与えられました。
 当時、鯨は食用だけに留まらず、世界中で資源として利用されていました。本図には「油数十五六樽程」と、採取できる鯨油の量が書かれており、鯨油は現在の石油の代わりとして幅広く利用されていました。日本の近海には鯨を求め外国船が接近を繰り返し、アメリカの開国要求の理由にも捕鯨基地の確保が挙げられています。日本の捕鯨文化を調査し書かれた本図ですが、私たちに長英の生きていた当時の対外関係に揺れる日本を想起させます。
        (おいかわ あや・奥州市立高野長英記念館学芸調査員)

●サカマタ鯨図
高野長英 文政年間
紙本墨彩・掛幅装 30×42cm


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?