【後編】救急車で運ばれる


前回の記事


『病気に至るまでとなってから』

の続きになります。



それからニ、三日くらいは割と普通に仕事して(このへんの前後関係の記憶がかなり曖昧。)
相変わらず体調はちょっとおかしいけど、体はまだ普通に動く感じだった。
出張に行く前に体調治しときたいなと思って、一応病院に行っとくか、と仕事は午前休暇もらって総合病院へ。
ただ、診療科の予約をしたわけじゃないので、救急外来で診察だけしてもらった感じだった。
そのときの主訴としては、「この間バスケしてから体の動きづらさみたいなものがあるのと、その後ご飯食べてるときに失神してしまった。」
みたいな感じだったはず。
先生は「久しぶりに動いたから疲れちゃったんじゃないかな〜」
みたいな感じで、
「整形外科の診察予約して、そっちで判断してもらったほうがいいかもね。」
結果的にはこんな感じでその日の診察は終わった。
自分も「またすぐ出張行かなきゃなので、なるべく早く体調戻せませんか?」
みたいな無茶を言ってた気がする。
このあたりはまだ普通に動けてたから、そこまで深刻そうな対応はされなかったものの、本当に整形外科で合ってるのかな?ってのは疑問に思ってたのを覚えている。














出張に行く直前の深夜、布団の上で全然動けなくなっている自分を母親が発見し、パニクった感じで「救急車呼ぶよ!?いい!?呼ぶからね!?」と自分に語りかけていた。
この時点で意識があやふやになっていたので「わかった、救急車呼んで」と呻くように言った。
母親から見たらかなり危ない状態に見えたのだろう。
「もうすぐ救急車来るからね!もうちょっとだけ頑張れ!」
としきりに声をかけてくれていたのを覚えてる。
ぼんやりとした頭の中で、出張行けなかったらまずいな〜と考えていた。
十分くらいで救急車が到着し、救急隊の人に担がれて担架に乗せられ、母親が毛布を掛けてくれてから救急車に運び込まれた。
途中で、毛布からはみ出た手足が外気に触れて寒いな〜と感じた。3月の秋田は寒い。珍しくあんまり雪が降らない冬だったけど、風があるから寒い。

救急車の中に入ってからは、ほとんど何も覚えていないというか、意識が途絶えてたんだと思う。
母親は、救急車の後ろを車で追いかけてきてくれていたらしく、病院に着いた時点では生きるか死ぬかの瀬戸際で、緊急手術をしなければならない状態だったらしい。
深夜にも関わらず、後に自分の主治医となる脳神経外科の先生と、もう一人優秀な先生がいてくれたおかげで、なんとか手術ができたらしい。
もう自分は一生歩けなくなるかもしれないし、車椅子に乗ることすら難しいかもしれない、と母親は言われたらしい。
当然この辺りの記憶は自分にはないので、後に母親に聞いた話だが。
幸い?そこまで重度な麻痺にはならなかったものの、左腕、左手はほぼ動かなくなった。
人によっては視覚にも影響が出るらしいが、自分は視覚に問題は出なかった。
しかし、左側は見えてるけど注意力が落ちてしまっているらしく、OT(作業療法)とST(言語聴覚士)のリハビリで、リハビリ施設では注意力のリハビリも行いました。
手術が無事終わると、自分は集中治療室に運ばれ、どれくらいかわからないけど、数週間くらいは昏睡状態だった。
昏睡自分は異常なほどの仕事への執着があったせいか、昏睡状態の間、福島に行ってるめちゃくちゃリアルな夢を見ていた。
昏睡状態から目覚めたときも、夢の途中だったため、夢の登場人物が傍にいないことが不思議で、今の今まで夢の世界にいたってことを認識するまで時間がかかったし、あの体験が夢だったことが未だに信じられない。
いや〜不思議なことってほんとにあるんですね。びっくりしました。
後で夢の内容も書こうと思います。

ともあれ、手術後に集中治療室に運ばれてから、途中で個室に転室して入院していた自分は、目覚めたときには、総合病院の個室のベッドにいました。
確か夜に目覚めたんだったと思います。
前述の通り、夢の途中で目覚めたので、意識が戻った時点ではまだ夢の世界にいるもんだと思っていました。
なので、目覚めたはいいものの、何がなんだかさっぱりで、自分がどこにいるのかがわからないけど、
(このへんも記憶がかなり曖昧。)
とりあえずベッドに寝てるんだなってことだけ認識できた感じで、ベッドから降りようと床に足を着いて、立ち上がろうとしたら、左半身に力が入らなくなってることに気付いた。
ここで、初めて自分が左半身麻痺になってることを自覚しました。
それでもこんなところにいる場合じゃないって気持ちだけで立ち上がろうとしたけどやっぱり立てなくて、崩れるようにベッドから落ちた。
バイタルとか測ってる機器が外れたからかわかんないけど、なースコールもしてないのに、女性の看護師がすぐに部屋に入って来て、
一旦出て行って男性看護師と先生を連れて戻って来た。
先生が「あら〜落ちちゃったの、一旦ベッドに戻そうか〜。」

と、三人がかりで自分をベッドに戻してくれて、
状況はよくわからなかったけど、自分はベッドに寝てなきゃいけないんだなってことは理解ができた。
全員が部屋を出て行ってもなお、自分は夢の続きだと思っていて、自分がどこにいて、どういう状態かってのがよくわかってなかった。
ただ左半身が動かなくて、よくわからない場所に寝かされてて、寝てなきゃいけないって状態だった。
そういうよくわからない状態にあったせいか、自分は癇癪を起こしたみたいに暴れるようになった。
暴れるといっても左半身麻痺なので、ベッドの上で右足をベッド叩き付けて大きな音を出すだけだったけど。
しばらくそうしていると、びっくりした女性看護師をが様子を見に来て、「ちょっと大丈夫〜?びっくりするから静かにして〜」と言われる。
看護師に諭されたら自分の暴れたい衝動もすとんと収まって、少しだけ冷静になれた。
そして自分は女性看護師に
「ジョンはどこですか?」
と訪ねた。
聞かれた看護師も、「ジョン?誰?犬?」
みたいに言ってて、
なんてひどいこと言うんだ、傍にいるはずなのにと思った。
ジョンは前述の夢の登場人物であり、特に自分に優しくしてくれていた外国人で、めちゃくちゃいい奴だった。

夢の中では、同じ部屋の窓際で寝ているはずだったので、暗くてよく見えなかったが、傍にいるもんだと勘違いしていた。
それで結局よくわからないまま看護師が部屋を出て行くと、自分はまた暴れ始めた。
すぐにまた看護師がきて「静かにして!」って言われると、自分はぴたっと落ち着いた。
このときの自分は自制が効かなく完全におかしくなっていて、暴れる、看護師が様子を見に来る、落ち着く、というのを繰り返していた。
何度かそうしていると、自分はいつの間にか寝ていて、気付くと外が明るくなっていた。
このあたりで、昏睡状態の間、夢を見ていたことを認識できた気がする。
質感や空気感があまりにもリアルな夢だったので、あの体験が夢だったことが信じられなかった。

明るくなってしばらくすると、回診の先生など、色んな人が個室を訪ねてきた。
母親もお見舞いに来てくれたので一層安心できた。
母親は自分を見ると、
「◯◯〜(自分の名前)元気に産んであげられなくてごめんね〜」
と泣きそうな顔で言った。
自分は母親になんて残酷なことを言わせてしまったんだ、と申し訳なく思ったし、あぁ、もう取り返しのつかない状態なんだ、と理解できた。

このへんで自分の状態や、どこに入院してるのかとか、一通り自分の状況は認識できたような気がする。
そんな感じで、誰かが訪ねてきたら起きて、それ以外はほとんど寝てる、みたいな状態が続いて、起きてちょっと暴れて、看護師に諭されてまた寝る、みたいな時間を数日過ごしてから、部屋に何人か見知らぬ大人が入ってきた。
その人たちはリハビリスタッフを名乗る人たちで、
口々に「理学療法士の◯◯です〜よろしく〜」とか、「作業療法士の△△です〜よろしく〜、言語聴覚士の□□です〜よろしく〜」みたいな感じで、それぞれ挨拶してくれたけど、その理学療法や作業療法がなんなのかとかよくわからなかったので、「そうなんですね〜、よろしくお願いします〜」くらいな感じで挨拶を交わした。
起きてからずっとだが、口を動かして話すのもちょっとぎこちなくなっていたものの、そういうもんだと受け入れたら意外とぎこちないながらも話せるようになった。

それからまた別の日、母親が、自分が以前頼んでいたスマホを持ってきてくれた。
当時というか、病気前から付き合っていた彼女がいたので、病気になって初めて電話をして、彼女の声を聞いたら、感極まって涙を抑えられず、泣きながら彼女と話した。
彼女も一緒に泣いて、尋常じゃないほど心配してくれたし、後々聞いたら、突然連絡がつかなくなって本当に怖かったと言われた。
遠距離恋愛だったので尚更だと思う。
本当にかわいくて優しくて自分には勿体ない、素敵な子。
真剣に将来を考えていた相手だったし、お互い異常なくらい好きあっていて、共依存やばいね、なんて言い合うくらい依存してしまっていたし、病気前は彼女が人生の一部だと思っていた。
遠距離恋愛だったので、これから自分がもっと彼女の近くに住んで、一緒に住むとかそういう話をしていた矢先のこの病気で、辛いなんて言葉では足りないほどしんどかった。
病気になってからも、彼女は自分を見捨てることはなく、日々元気が出るようなラインを送ってくれた。
自分の誤字脱字だらけのラインにも健気に返事をくれたり、優しい言葉と愛情をくらる彼女がいてくれたからこそ、病気への絶望を少しは緩和できたのだと思う。
スマホを与えられると、自分はスマホだけを見る日々になってしまうだろうと、病院側は良く思わなくて、目も悪くなるし、スマホより治療に専念してほしいとのことで、母親が面会にきてくれる時間以外はスマホ禁止になった。
母親がスマホを持ってきて、帰りに持ち帰ってもらう感じで。
当然彼女との連絡も限られた時間にしかできなくなって、それでもちょっとでも連絡取れるならいいよと彼女は言ってくれて、連絡が取れる少しの時間をお互いに大切にした。
彼女も仕事や友人付き合いがある中で時間を捻出してくれて、彼女の日常のことを聞く時間がそれからの何よりの楽しみになった。
それから、日々母親がお見舞いに来てくれる時間を何よりの楽しみに過ごしていると、本格的なリハビリが始まりました。
PT(理学療法)では装具を着けて手すりに捕まって主に歩くリハビリを、
OT(作業療法)ではずっと同じ体勢で萎縮してしまった左腕と左手の筋肉のマッサージなど、腕や手に関するリハビリを。
ST(言語聴覚士)のリハビリでは、舌をべーって出して左右に動かしたり、口を大きく開けていーと言うとか、主に話したり口を動かしたり、簡単な質疑応答や、計算能力に問題ないかとか記憶力のテストとか、脳の機能的なところと口周りの動かし方や話し方に関するリハビリを。
あと、嚥下能力のチェックとして、青りんごゼリーを食べさせてもらった。
それまで点滴で栄養を補っていたので、口に食べ物を入れるのは久しぶりで、間違いなく人生で一番美味く感じたゼリーだった。

そうして、毎日午前と午後にリハビリをしたり、誰かがお見舞いが来てくれたり、彼女と話したりして日々を過ごしました。
丁度コロナがあって、面会の制限もあったので、三親等以内じゃないと面会ダメってことになってて、友達は面会に呼ぶことができなかった。
それでも、彼女はどうしても面会に来たいと言うので、4月になって桜が満開になった頃、母親になんとか彼女と会えないかと相談した。
本当は駄目だけど、せっかく彼女が県外からわざわざ来てくれるなら、母親も協力してくれるとのことで、の駅から病院への送迎などを母親がしてくれるということで、彼女が面会に来ることになった。
当日、久しぶりに会った彼女に、正直自分は、なんて声をかけていいのかわからなかった。
顔を見れて、生で声を聞けて、手を握れて、嬉しいのは間違いないんだけど、
この体になってしまった引け目をとてつもなく感じていたので、謝るのも気を使わせそうで違うよな〜と思いながらそれよりも多くの「ありがとう」を言おうと決めた上で何度も「ごめんね」と言ってしまった。
彼女は謝らないでって言ってくれたけど、ひどく辛い思いをさせてしまったのは間違いなくて、現在進行系で辛くさせてしまってる後ろめたさに、それでもごめんと言わざるを得なかった。
彼女のことを書こうとすると止まらなくなるので、このあたりで。

彼女がお見舞いに来てる間、病棟のナースステーションはだいぶ問題になってたらしい。

母親に充分感謝をして、この日は彼女も帰って、(母親に駅に送ってもらってから母親と自分の姉貴と三人で飲みに行ったらしい。)自分はリハビリをする日々に戻った。
病院食もようやく普通のご飯になって、おやつも許可が出ていたので、お見舞いで母親が持ってきてくれるおやつを楽しみにして、リハビリをこなしながら毎日を過ごしていました。
ただ、これだけはちょっとって思うことがあった。

白いご飯にも飽きたので、朝食の主食をパンに変えてもらったら、おかずは主食のご飯のパターンのままで、主食が食パンなのに、おかずはさばの味噌煮や、味噌汁が当たり前のように出てきて、仕方ないんだろうけど、これはちょっとな〜と思いました。

今回はここまでです。
これから二回目の手術があったり、
リハビリについての詳細や、
前述のめちゃくちゃリアルな夢の話なども記事にしようかなと思っています。
よろしければ暇潰しにご覧ください。

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