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馬車鉄道と村本テント。

『小さい頃、岩内町に住んでいました。』
と声を掛けてくれた方の話を聞くと国鉄岩内線があった頃のことだと知る。
昭和60年6月30日に国鉄岩内線は廃止されたので、当時4歳だった私は汽車に乗った記憶がない。

国鉄岩内線で思い出すのは、「飢餓海峡」の映画で岩内線が出てきた場面があって、岩内町郷土館に展示してある写真。

汽車が走る前は、馬車鉄道だった…。

北海道で2番目の馬車鉄道
明治30年(1897年)
岩内は、小樽・函館間の鉄道施設を計画していた函樽(かんそん)鉄道会社が、その路線を当時はまだ無人地帯だった豪雪地帯でもある羊蹄山山麓を想定していることを知ります。

これは…何とかしなければならない!!と思った岩内町の有志の計らいで、明治37年設立した岩内馬車鉄道株式会社が、翌年7月に小沢ー岩内間に岩内馬車鉄道開通、明治45年5月に営業廃止になりました。

金精楼があった中央通り

どうして、岩内町がある海岸沿いではなかったのか?
その当時はね…。
樺山、京極、曽我といった華族の不在地主が大農場を経営していて、拓殖の最前線だったんですよ。
「ニシンが来なくなるから。」なんて噂もあった様だけど、そんな噂は岩内にはなかった様だ。
●岩内町郷土館 前館長より


岩内町の馬車鉄道の歴史と繋がりがあるのは
明治44年に創業した馬具屋が始まりの【村本テント】

村本テント

子どもたちに『馬具』ってどうゆう物か知ってる?
って聞いたら…
『ばぐ?』は知らなかったので、馬具を見に隣町の共和町にある、かかし古里館へ。

村本さん家は、こうゆうのを作ってたんだ!

移動手段だった、お馬さんの出番が無くなって…
馬具を作る技術で、現在では帆布バックなども手作業で作っているんだね。

岩内町は、歴史が古い町。
歴史散歩をしてみるのも面白いのだ。


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