かなっぺの歴史散歩|吉田 奏見

北海道岩内町在住。明治32年創業 カネタ吉田蒲鉾店・嫁 ●https://www.ka…

かなっぺの歴史散歩|吉田 奏見

北海道岩内町在住。明治32年創業 カネタ吉田蒲鉾店・嫁 ●https://www.kanetayoshidakamabokoten.com NAMARA IWANAI / 企画部長 ●https://namaraiwanai.jimdofree.com/

最近の記事

岩内町西小学校の校歌。

岩内町生まれの岩内育ちでも、まだまだ知らないことが沢山ある。 小学1〜2年生は、岩内町西小学校に通い。小学3年生から引越しをきっかけで岩内町中央小学校に転校したけど、「はじめての校歌」を入学してから練習するから、思い入れがある校歌です。 不定期で、かなっぺの歴史散歩をnoteに綴っていますが… SNS経由で、こんな質問を頂くことも!! 岩内西小学校の校歌は、作詞:荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい) 作曲:團 伊玖磨(だん いくま) 1.岩内山は 雪の日も   若葉し

    • 馬車鉄道と村本テント。

      『小さい頃、岩内町に住んでいました。』 と声を掛けてくれた方の話を聞くと国鉄岩内線があった頃のことだと知る。 昭和60年6月30日に国鉄岩内線は廃止されたので、当時4歳だった私は汽車に乗った記憶がない。 国鉄岩内線で思い出すのは、「飢餓海峡」の映画で岩内線が出てきた場面があって、岩内町郷土館に展示してある写真。 汽車が走る前は、馬車鉄道だった…。 北海道で2番目の馬車鉄道 明治30年(1897年) 岩内は、小樽・函館間の鉄道施設を計画していた函樽(かんそん)鉄道会社が、

      • 【開業50年】喫茶 さぼ〜るのお話し

        ここ最近、気温も高くなってきて「かき氷とかパフェとか、しゃっこいの(冷たい)食べたくなるね」という会話が増えてきた。 岩内町のこの時期の気温は日中で22度くらいで、暑いと言っても過ごしやすい季節。(北海道の夏は短いよ、楽しまないと) 駅前通りにある、喫茶さぼ〜るは今年で開業50年になります。 小さい頃、さぼ〜る名物!パフェをオーダーする時に「一人で食べきれなでしょ」と大体、いつも半分こ。 大人になったら、一人で全部食べたい♡という目標がありました。 (大人になった今で

        • 岩内の商店❶

          北海道岩内町は積丹半島(西海岸)の付け根に位置する港町。 道内でも古い歴史を持つ岩内町は、今年で「岩内のはじまり」から270年目になります。 明治時代には、いろいろな業種の商店や職業の人たちがいて、大変な賑わいを見せていたという岩内町には、創業100年を超えて今も営業を続ける商店があります。 今日は、創業年数が160年以上という「カサイストア」のお話です。 明治18年(1885年) この頃の岩内の戸数700戸といわれる、この町で。 石川県から渡道して、岩内で陶磁器の卸売

        岩内町西小学校の校歌。

          岩内 紅葉子

          先日、たらこスパゲッティを食べながら…。 はて?岩内町のたらこのはじまりっていつ頃だったのか?と思いはじめた。 岩内町での、たらこのことを調べ始めたら、紅葉子にたどりついて。 北陸地方でも、使われているという表現で「紅葉子」という言葉の起源が岩内町だったということを知りました。 北海道におけるスケトウダラ延縄漁業発祥の地、岩内町。 紅葉子は、スケトウダラの卵巣(卵)の塩漬け。 紅葉の葉の紅色と似ていること、またマダラの卵と区別するために、紅葉子という名で販売されたという

          岩内といわない円山温泉郷の歩み

          北海道岩内町は、積丹半島(西海岸)の付け根に位置する港町。 まちの何処に居ても、存在感があるニセコ連邦岩内岳。 岩内町街から、車で約10分の距離に「いわない円山温泉郷」があります。 いわない円山温泉郷には5つの温泉施設があり、日帰り温泉や海の幸をふんだんに使ったおもてなしを楽しみに観光客が訪れています。 そして、地元の人たちにとっても「温泉」が生活の一部になっている方もいるほど。先日、温泉に入りながら…‘’この辺りの温泉っていつからあるんだろう?‘‘ と思い早速調べてみま

          岩内といわない円山温泉郷の歩み

          岩内の名店街通り

          今年の6月頃、自転車に乗る練習中の息子と町内巡りをしていてシャッターに描かれた「たら丸とべに子」が気になって撮った写真。 たら丸は、昭和60年(1985年)に誕生した町のマスコットキャラクター。岩内町の今井郁夫さんの作品で、スケトウダラをモチーフにグリーンアスパラを持ったデザインになっている。べに子は双子の妹。 クリーニング屋さんなので、洗濯をしているイラスト。今では、なかなか見かけなくなったが、以前は名店街通りのあちらこちらのシャッターに描かれていたことを思い出した。

          蒲鉾製造の嚆矢

          明治32年 吉田 音吉、料理人 川崎弥助、共同して蒲鉾製造を始める。 岩内町史で、この文章を見つけたのは。10年前のことだった…。 【没後80年 初代 吉田 音吉物語】 慶應元年(1865年) 新潟県雑太郡沢根村(現:佐渡)の生まれで、明治24年に渡道して岩内に居を定めた。音吉氏、26歳の頃。 その翌年、イワさんと入籍して…どうやら、入籍をするきっかけで岩内町に戸籍を移した様だ。 そして、最初に住んでいた場所が『金精楼』があった場所だったのです。 音吉氏の父が吉蔵という

          金精楼昔がたり

          前回の記事「一本柳」でふれた『金精楼』という料亭のこと。 これは、岩内町の歴史資料の中で何度か出てくるので、詳しく綴っていこうと思う。 やま久 金精楼 吉田嘉蔵 文政7年9月北海道渡嶋國上磯郡當別村に生る父を勘五郎の後継ぎ。文政9年、父勘五郎が病死(当時3歳の頃)、母と共に函館に移住し密かに生計を立て、天保7年12歳という年齢で函館港の菓子商某方に弟子入り、その7年後に退職し年々各地に巡商し明治2年春頃、岩内港に来て蕎麦屋を開業。その当時、飲食店の営業者が少なかったこともあ

          一本柳

          岩内の全盛時代に花柳界で全道的に名声を謡われた代表的なもので、妓楼村上楼と料理店金精楼があった。 写真:やま久 大蒲焼「金精楼」 明治29年 北海道岩内港市街明細地図より 岩内町郷土館 全盛期とは、明治時代の頃だ。 その当時からずっと、時代の変化とすれ違う人たちを見守ってきた「一本柳」があります。 岩内の歴史散歩をしていると、石碑がたくさんあって所々に「まちの歴史」に触れることが出来るのだけど。 普段は、通りすぎて、気付かないものである。 明治の中心街青橋(現:御崎付

          岩内の鰊番屋のこと

          北海道岩内町は積丹半島(西海岸)の付け根にある港町。 「岩内はニシンで栄えた町」で、ニシン場の親方が社会貢献をしたことで町が発展しました。 ニシンで栄えた町ならではの「鰊番屋」が存在するはずですが…。想像している番屋は岩内町には「無い」のです。 鰊御殿とまり 明治27年(1884年)に親方の川村慶次郎氏によって、漁場を経営する親方と雇った漁夫たちが共同生活をするために、独特の構造で建てられた。 http://www.vill.tomari.hokkaido.jp/kan

          アイヌと岩内町のはじまり。

          北海道、積丹半島(西海岸)の付け根にある岩内町。 岩内町郷土館では「岩内地方のアイヌの生活展」が開催中で、木田金次郎美術館では「アイヌ語地名と木田金次郎」の特別展示がはじまりました。 町内や近隣に住んでいる外国人さんは、「イワナイ モ アイヌ イタノ?」と興味がある様子。むか〜し、むかしに遡ってのお話です。 岩内町は室町時代から和人(日本人)が往来してます。この時期に住んでいたのは、先住民のアイヌの人たちでした。 北海道(蝦夷地)が松前藩の支配下におかれると、藩は家臣に

          アイヌと岩内町のはじまり。

          岩内赤坂奴のこと

          雨が降った、7月7日。 しかも、時折豪雨になったり止んだり、降ったり。 岩内神社例大祭といえば、神輿渡御・海上渡御・海上祈願祭、神楽・餅まきの奉納行事があって、7月7日の宵宮祭がはじまると一気にお祭りモードに切り替わる。 猿田彦命と宇豆女命を先導に大行列で町内24Kmを練り歩く、神輿渡御は2基の御神輿と岩内町無形文化財の岩内赤坂奴。 岩内赤坂奴 昭和58年(1981年) 7月5日  町の無形民俗文化財第1号に指定。岩内神社祭でみこしの先ぶれを勤める。 (岩内史年譜より)

          岩内神社例大祭 / 露店の話し

          年々通りならば…明日からお祭りで我が家の子どもたちも「いつ行くの?今日?あと何日寝たら?」と、7日の朝まで確認するやり取りが、1週間以上前から始まるのに、今年はお祭りのことに触れてこない。 何が楽しみって、露店でクジを引いたり。風船を持って、苺飴や綿飴も買わなければならないし…。3日間、普段はこんなに歩かないだろ?ってくらいに、歩けてしまう魅力的な露店コース。に行くということだ。 お祭りの話しをすると、主人が「小さい頃、近くでお祭りやってたから、露店が始まったら、すぐ行っ

          岩内神社例大祭 / 露店の話し

          岩内神社の沿革

          岩内町では、毎年7月7日〜9日までの期間。 岩内神社例大祭がある。 (今年は、新型コロナで神輿渡御と露店出店は中止になった) 今年は、いくつかの資料を参考にしながら岩内神社の歴史を綴ってみようと思う。 岩内神社は寛政年間(1789年)松前志摩守良広が岩内場所請負人 熊野屋与左衛門に命じ 漁業豊漁海路守護神として弁財天を祀らせたのが初で、稲穂崎(現:御崎)にあった。230年の歴史がある。 【江戸時代からある道路】 この辺りが稲穂崎町という地区だった。 日本、〒045-00

          イカ漁 解禁

          6月。イカ漁が解禁になりました。 岩内町は積丹半島の西海岸の付け根にある、自然に囲まれた港町です。 ここ最近、曇り空が続いていて晴れている日がほとんど無く。写真は、丁度1年前に撮影したもの。 この辺りのイカは、「マイカ」と呼ぶスルメイカのことで漁期は12月まで。 出港する時間は16時。夜になると沖の方には明るく光る漁火が見えて幻想的な雰囲気です。 そして早朝。帰港する。 https://youtu.be/NAIi2pN6ilA 港に船が着くと、段取りよく作業をしていきます