1日目 癸 真矢 視点





僕は昔幼稚園の先生に、"真矢くんは頭がとても良いから将来すごい人になるね"と言われたらしい。それを記憶としては持ち合わせていない。母から聞いた。ご丁寧に、"きっとお母さんの助けになるよ"と言っていた事まで伝えられ、僕は確かにその時イラだった。その時僕は既に保健室登校だった。やがて、保健室すら行きたくなくなり、けれども家に居たくなくて、図書館にばかり通っていた。



幼なじみの佐藤尚樹(さとう しょうき)は、ありがたくも学校に無理に来いとも、かといって僕との付き合いを投げ出すでも無かった。学校帰り、彼も時々図書館に寄ってくれるのだ。



だから僕はまるで普通の学生のような錯覚さえ得られる時間がある。私服な学校も増えたせいもあり、彼がいる日の図書館帰りは、まだ学校生活の、楽しい側面を追体験してるみたいだった。友達とふざけ合ったり、時に自分たちなりに真面目な話をしたりして、分かれ道まで一緒にだらだら歩く、あの日常だ。





僕が教室に行かなくなったのは、僕の話はきっともう誰も信じないのだ、と結論付いたから。もう一つ深刻な理由はあったが、まぁ教室、とか、学校、というモノに行かなくなった理由として適当なのは、きっと前者だ。



思春期特有ではある、ある意味馬鹿げた理由かもしれない。噂を流された。ある友達だと思っている女子と、話をよくした。今となっては確認しようが無いが、その女子も僕を友達だと思ってくれていたと思う。けれど、周りから見て性差がある友情は、どうしたって、そういう噂の餌食になりやすい。出来てるんだ、とか、好きなんでしょ?とか、下卑た類いの冷やかしだ。そこまでなら、僕はその子との友情を取って、周りを無視できた。けれど、進学前から好きだった、別の女の子が存在して、その子と女友達は親友だった。だからよく、一緒に居る。クラスが違っても休み時間の度一緒に居た。



恋をしたことがあるヒトなら、分かってくれると思うのだけれど、好きな人のことを、無意識だったり、或いは意識的に、目が追う時があると思う。



それが、あの馬鹿げた噂をまことしやかにする。僕の目の先に居る子は、その子じゃ無いのに。



冷やかしも飽きられて、月日が流れても、いつまでもその誤解だけは解けなかった。

きっと僕が意気地なしじゃ無くて、本当に好きな子の方に告白してれば良かっただけの話なんだ。けれど、僕は僕自身のある問題で、好きではあっても告白する気はまるで無かった。



好きなだけで幸せだったんだ。



確かに僕の初めての大切な気持ちは、悪気すら無いかも知れない周囲の噂で、踏みつけにされた。







僕の、本当の気持ちは、きっと、誰にも関係ない…。





そう思ったのは、人生で既に二度目だったけれど。





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真矢視点。人混み。



なぜ、中学生の頃のことなんか思い出したのだろう?

進学すらせず、僕は今18歳だ。働いてすら、いない。

人混みを、すみません、と言い、かき分けながら、(そして体格的不利さに悲しくなりながらも)人混みの中心の、ぽっかり空いた穴を目指す。何故目指しているかは、きっと、僕自身も分からない。



やがて人と人の隙間から、見えたのは、赤と白。



真っ白いワンピースから覗く、華奢で細い腕もまた白かった。

どこかの制服のようなデザインではあるが、現実感が無い。おそらくは、制服に見えるデザインのワンピースだろう。



赤は、彼女の腕から、ポタポタと流れて落ちていた。

少し前までは、きっともっと勢いよく流れていたのだろう。それほど、地べたにペタンと座っている彼女の、太ももや膝、ワンピースは、赤にまみれていた。



彼女の流す血液は、きっと彼女のSOSでしかない。それでも、これだけの人が集まって、誰一人、彼女の居る中心に近寄らない。スマートフォンで写真を撮る者もいる。人だかりが何故起きたか理由が分かったから、あとは興味が無い、と立ち去る者も居る。





染めているのか、灰色のセミロングくらいの髪の毛で、俯いている彼女の表情が全く見えない。





やがて、警察が来た。僕は、そこでホッとしない。むしろゾクっと悪寒がした。

気がついたら、彼女に一歩近づいていた。彼女を中心に出来ていた、悲しい壁のような、見えない円形が僕の一歩分だけ崩れる。

警察は、膨れ上がりすぎた人混みをかき分けるのに、まだ、少し時間がかかりそうだった。



僕は決して、善人では無い。けれども悪人でも無い。1番難しい選択肢でも僕は僕でありたかった。



もう一歩、少女に近づく。後はもう、警察がたどり着いてしまうより先に、と、早歩きだ。(彼女が必要としている言葉は、何か?それよりも、背中をさすったり、頭を撫でた方が安心するだろうか?)そんなことじっくり考える時間的余裕は、無いに等しい。だからこそ焦る。





焦りで、元から混乱していた頭も、更に混乱していた。

だから、俯いている彼女に、発した第一声は、酷いモノだった。



「こんにちは」



ずっと時間が止まっているかのように、動かなかった少女の肩が、ビクッと震えた。

そして、今やっと自分のそばに人が近づいたことに気付いたのだろう。ゆっくり、恐る恐る顔を上げて、やがて、僕を見た。



僕はその顔を一生忘れないと思う。



涙の跡が残っている。瞳はまだ少し涙をたたえている。それでも、その瞳は表情は、自分の痛みよりも、まるで僕の方を気遣う目だった。



目が訴える、言葉より多弁に。だいじょうぶです、ありがとう。

そして、もうひとつ、訴えているような錯覚すら覚えるのだ。





"貴方も、大丈夫だよ”





そんな風に、少女は、笑っていた。

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