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【資本主義をチートする11】1円でも安い!ことはアホの極みである。

 日本人というのは、もともと文明開化の明治時代から、すでに発展していた欧米に憧れを持っていたために、「西欧はすごい、日本はダメだ」というコンプレックスを持っている民族であった。

 なので、20世紀までのすべての商売や学問は、なんでもかんでも「欧米でまず発明発見されたものを、日本に持ち込んでマネしたり、翻訳して紹介する」ことばかりが行われていた。

 自動車の生産なんかもそうで、日産はその昔オースチンのノックダウン生産をしていたし、心理学なんかもドイツの精神分析が輸入されたり、もっと面白いのは江戸川乱歩やその前後の推理作家さんたちは、海外の小説をまるごと翻訳して場所を日本に持ってきたりした作品をバンバン書いたりしていた。言っちゃあ悪いが、「パクリ」は日本のお家芸であり、中国の人たちのコピー文化をバカにしてはいけないほど、僕たち私たちのベースにはそれが染み込んでいる。

 余談だが、乱歩の翻案小説の最高峰は、何といっても「幽霊塔」であろう。この作品、原作がすごく良くて、「ウィリアムソンという女流作家さん」の作品なのだが、

■ 黒岩涙香版 幽霊塔

■ 西條八十(「青い山脈」の作詞家)版 幽霊塔

■ 江戸川乱歩版 幽霊塔・時計塔の秘密(少年探偵シリーズ)

など、翻案バリエーションがものすごく多い。どれも名作である。ごめん・・・、どうでもいい話で・・・。


 話が大幅にそれてしまったので、元に戻ろう。それほどまでに、日本では「欧米の方が先進的だ」という固定概念が刷り込まれていて、おまけに第二次世界大戦、太平洋戦争でボロ負けに負けて、アメリカの国力を見せつけられたものだから、完全に萎縮してしまったのは言うまでもない。

 ところが、今回のウイルス騒動で、ものすごいことが判明した。当初、中国で発生したウイルスが猛威を奮って、韓国やら日本に入って来たときには、

「いったいどうしたらいいんだ!」

と右往左往してしまったのは否めない。そのために、クルーズ船の中で感染を大きくしてしまったり、前代未聞の「学校一斉休業」の取り組みをやってみたり、世界中から

「なんか大変そうだけれど、何をやってんだか」

という目でみられつつ、必死のパッチでウイルスと戦っているわけである。

 専門家、学者、官僚、政治家がそれぞれの思惑で「ああでもない、こうでもない」と言いながら、半分は見切り発車で対応している状況ではあったが、それでもなんとなく

「我々日本人はこれこれこういう部分がダメだから、対応が下手なんだ」

という論調がはじめは大きかった。


 ところが、である。一旦ウイルス騒動がヨーロッパに飛び火すると、とんでもないことが起きた。イタリアが殲滅、フランスもイギリスも、今やアメリカだって悲惨な状態になっている。これを見ながら、世界中の誰もが思ったに違いない。

「・・・あれ?世界の先進国や、賢い人たちは、意外とみんなダメだったの?」

と。口にしちゃあいけないと思っているから言いづらいが、世界にはもっと賢い人たちが、たくさんいて先進国はそれらしい「スマートでクレバーな対応策」を打ち出して来るものだと思っていたら、結局は原始的な

「レインボーブリッジどころか、みんなみんなすべて封鎖せよ」

以外に方法がないことがわかったのである。

 それどころか、「俺たち関係ないし出かけちゃお、ハグしちゃお」みたいな若者が沸いてきたり、言ってはいけないことかもしれないが、

世界はアホばかり

なのだということがバレてしまったのである。


 さあ、前置きが長かったが、ここからが資本主義チート術の本題である。資本主義において、僕らがそれを裏技で乗り越えようとするときに、絶対に覚えておいたほうがよいことがある。それが

「人類はアホばかり」

ということだ。別に、わたくしヨシイエが賢(かし)こであって、まわりがアホだとディスるつもりは全然ない。そういうマウントしたい意味で言っているのではなく、

「資本主義社会、経済社会はアホであることを前提に回っている」

ということを知っておくことが大事なのである。


 これを真面目に研究したのが「行動経済学」という学問で、行動経済学と古典的な「教科書どおりの、旧来の経済学」は相反することがすでにわかっっている。

 わかりやすい話に置き換えよう。教科書どおりの経済学では、「人は合理的に行動する」という仮説で考えられていた。つまり、「人は賢く、最も合理的で正しいと思われる行動を、経済においても取るだろう」と考えてそう人類を設定したわけだ。ところが、実際の経済活動で、人はとんでもなく「アホ」であることが徐々にわかってきた。

 たとえば、牛乳が1本200円で、3本なら一本あたり150円みたいなメガストアがあったとしよう。そうすると、お買い物上手なはずの奥様方はこぞって牛乳を3本も買ってしまい、結果的に最後の一本を賞味期限切れで捨ててしまう、みたいな行動を取ることがわかってきたのである。

 あるいは、「マスクが入手しづらくなるとトイレットペーパーまで売り場からごっそり消える」とか、「昨日と今日の違いは何もないのに、株価がドカンと下がる」とか、「AKBの握手券が欲しいのでおなじCDを10枚も買う」とか、人はとんでもなく不合理な行動を取り、それが経済に直結していることが明らかになってきたのである。

 ほかにも、アホとは関係ないけれど、こんな不合理なことがある。時間給にはバグが元からあって、けして良い制度ではない。アルバイトをはじめ、世界中で当たり前のように使われている「時間給」の制度だが、このバグがあることは目をつむって運用されている。

 それは、「仕事がめっちゃできる人が、早く仕事を終わらせてしまうと、能力が高いのにもらえる給料が低くなる」というバグだ。

 これを逆に使うと、サボらない程度にほどほどで仕事をしたほうがコスパがいいことになってしまう。まったくもって不合理なことである。


 まあ、こんな風に、資本主義には実はバグがつきものだったり、人類はアホだったりするのだが、これを逆手にとって「資本主義を手のひらで転がす」ように扱っていこうではないか!

 まずは、軽いジャブレベルの具体例を挙げよう。

「太陽光発電は儲からないが、エコキュートは儲かる」

という話から頭のトレーニングをしてみる。太陽光発電に興味がない人は、「プリウスは儲からないが、エコキュートは儲かる」でもいいだろう。

 太陽公発電というのは、ざっくり言えば(今は安くなったので)120万くらいかけて屋根の上に発電パネルを乗せ、そこから発電する電気を電力会社に売ったり、自分で使ったりして、電気代を浮かすものである。

 10年位前までは、パネルがとっても高かったので、200万くらいしたのだが、まあここは120万で計算しよう。

 120万のパネルを乗せて、月々5000円分くらい発電する。電気代が5000円分安くなるというしくみだ。

 しかし、よく考えると、5000×12=年間6万円である。20年間稼働して120万だ。要するに電気代を20年分先払いしているだけに過ぎないのだが、つけてしまう人がやたらいる。

(アホだと思う)

 実は、パネルが200万の時代には、国が電気代をかなりの高額(使う電気の倍の値段)で買い取ってくれた。それでも20年でやっとペイする代物だった。

(アホだと思う。ヨシイエは太陽光パネルを取り付ける工事資格を持っているが、それでもアホだと思う)

 同じように、トヨタさんのプリウスも、「ハイブリッド車とガソリンのみ車を比較して、燃料代で車体代の差額をペイすることはできない」ということがすでに判明している。

 だから太陽光も、プリウスも、儲けるために使用するのではなく、

「グレタさんを応援するためだけに使っているようなもの」

である。それでもしグレタさんのことが嫌いだとか言ってるユーザーがいれば

(アホだと思う)


 一方のエコキュートである。うちのマイホームはオール電化なので、今までは電気温水器がついていた。しかし中古で買ったおうちだったから、いよいよ電気温水器がぶっこわれたのである。

 電気温水器を買い換えた場合、おなじ電熱線仕様の温水器だと35万くらいである。それをエアコンとおなじ仕組みで発熱するエコキュートにすると45万する。その差10万程度であった。

 ところが、実はエコキュートと電気温水器とでは、電気代がむちゃくちゃ違うのである。うちの場合だと今まで真冬は3万5千円くらいかかっていたのが、結果的にエコキュートにすると2万8千円くらいになった。ものすごく大きい。もちろん、夏場もあろうので、平均すると5千円前後の差だと推定されるが、10万÷5千円=20ヶ月で元がとれてしまうのである。つまり1年半だ。

 風呂機器としての温水器は最低でも10年ぐらいは持つ。これはもう圧倒的にペイするのだから、エコキュートを買った方が儲かることは疑いがないというわけだ。


 要するにつまり、「一見するとどちらもお得ですよ、儲かりますよ、に見える商品や商材でも、実際にはそうではないものがある」ということだ。合理的に儲かるものと、不合理な商品が入り混じっているのだけれど、人はアホだからその差は調べるまで気付かないのである。


 さて、いよいよここから主題に入ろう。私たちは「1円でも安いことは善だ」と思っている。それは合理的なことだ、と刷り込まれている。しかし、本当はそうではない。1円でも安いことは実は「アホの極み」なのである。

それを今から説明してゆこうじゃないか!


 ところで、そもそも資本主義において「1円でも安いほうがいい」とは、なぜそうなのか知っているだろうか?そりゃあ、もちろん、至極当たり前の話で、「1円でも安いほうが消費者には魅力的だから」だと誰もが答えるだろう。

 まず、ここまではOKだ。問題ない。しかし、今度は販売側、提供者側に回って考えてみよう。販売者にとって「1円でも安いほうがいい」なんてことは成立するのだろうか?ありえるのだろうか?

 もしそれがありえて、成立するとしたら、それはどんな時だろうか?

 じっくり考えてみてほしい。

 よくよく考えると、売り手、販売者にとっては「1円でも安い」ことは全然良いことではない。あなたが売り手であれば「あなた自身が安く見られている」ことに相当するわけで、どこかのマダムに「あなた?わたしのために1円でも負けてくださるわよね?」と上から目線で言われたとして、普通なら

「なんで負けてやらなあかんねん!」

くらいは思ってもいいくらいのはずだ。それが正常な感覚である。

 「1円でも安くする」ということはすなわち売り手に入るお金が減ることを意味し、売り手の価値が「低く見積もられている」ことを意味する。それを好き好んで、心の底から

「お客様のために1円でもより安くいたします!」

と思っているヤツがいたらドM(エム)の変態か、何かおかしな宗教にでも入っているのではないかと思った方がいい。

 違うのだ。そう、違うのだよ。「1円でも安くいたします」は、真心なんてものではなくて「武器」なのである。本当は。

 その武器を使って、「お前の懐のお金を巻き上げてやるぜ!」という、攻撃的なものなのだ。本当は。

 企業が「1円でも安くします!」という武器を使うのには、本当はたったひとつの重要な条件があるのだ。その条件の元では、この武器は強力な力を発揮するから、それをわかっていてあえて使うのである。

 その条件とは何か。

「ライバルを蹴落とす時」

である。


 そもそも、「1円でも安い」ということは、その武器を使えば、「ライバルではなく、こちらをチョイスしてもらえる」という時にこそ使うべき最終ツールなのである。その時に、「1円でも」はパワーを発揮するのである。

 しかし、同時に、相手の企業も同じことをすれば、おなじ反撃を食らう。相手の企業も「それならこちらも1円でもお負けします」と言えば、堂々めぐりになってしまい、利益は最安値まで落ちてしまうだろう。

(まるでオークションの逆バージョンのように落ちてゆくことになる)


 なぜこういうことが起きてしまうのか。もう少し突っ込んだ説明をしよう。実は「1円でも安くします」というのは武器ではあるが、もう一つ条件があるのである。ただ、「ライバルを蹴落とす」のに「1円でも安く」攻撃を使ってしまうと、おなじ反撃を食らう。これでは話が成立しない。

 そこには隠された秘密の「裏設定、発動条件」があるのだが、たいていの営業マンはそれを知らない。アホだからだ。

 ここからが資本主義の真骨頂、面白いところだが、よーく理解しながら読んで欲しい。

 実は、企業がある商品を作ろうとして「1円でも安く」それを製造しようとするのは理由がある。それはさっき話したことと同じで「ライバルを蹴落とすため」だ。しかし、その考え方は「1円安くしたらライバルに勝てる」という表面的なものではない。もう少しカラクリがあるのだ。

 同じ商品をライバル会社同士が作っているとしよう。全部で3つの会社が、ほとんどおなじモノを作っている時、それにかかるコストが

■ A社では100円

■ B社では99円

■ C社では98円

だとする。(ほぼ同じようなものだから、それほどコストも変わらない)

 この場合、究極的には、C社が勝利する。「1円でも安い」からだ。

 仮に、A社が「1円でも安くしようと努力して、コストが97円で製造できるようになった」としよう。

 そうすれば、A社がライバルを蹴落とすことができる。「1円でも安い」からだ。


 何を言っているかわかるだろうか?シンプルだけど、わかりにくい。

「1円でも安いほうがいい」のは本当はコストの話

なのである!

 1円でも安くモノを作ることができる会社は、最終的な価格競争が底値になっても、コストが最安なので、生き残る率が上がる。


 ところが、アホな営業マンやら、アホな商店主は、本当のコストがいくらかかっているかわからないままで

「販売価格を1円でも下げようとする」

のである。だからコスト割れして疲弊し、破綻するのだ。


資本主義の定石はこうだ!

「コストは1円でも安いほうがいい、そして売り値は1円でも高いほうがいい」

である。これは資本家が儲かるためのテッパンだ。

(だから従業員のコストは安いほうがいいから、ギリギリまで下げられてしまうのである)


 残念ながら、営業マンと呼ばれる人の中の多くは、このことを理解していない人がたくさんいて、「仕方がないから1円でも下げますわ」とすぐ顧客に言ってしまう連中がアホほどいる。彼らは能力がないのに、「1円下げるますわ」を「簡単に使える魔法のワード」かなんかと勘違いして連発するので、

最終的にMPを使い果たして給料が下がる

のである。まったくもってアホだと言うしかない。


 今日のまとめは「1円でも安く」はコストの話であって、「売値」の話ではない、という点である。これが誤解されたままの世界では、どんどんあなたの給料が下がることになる。

 仕入れのコストが下がった商品については「1円でも安く販売」したってかまわない。なぜなら、”利益の幅”安売りする前の元の商品と同じでちっとも減損していないからだ。

 仕入れも知らずに「1円でも安く」なんて口にする販売者がいたら、そいつは確実にアホだ。貧困に落ちても、それは自分のせいなのだが、彼はアホなので永遠にわからないだろう。




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