見出し画像

【新・資本主義をチートする・番外編】 ”あつまれ どうぶつの森”のせいで家族崩壊が起きた件

 任天堂さんの「あつまれ どうぶつの森」というゲームがヒットしている。

 無人島へ移住して、のんびりと好き勝手なことができる、というふれこみの”ほのぼのゲーム”であるが、コロナ禍で外出ができなかったり、こどもたちが学校に行けない事情とマッチして、おうちでこのゲームをするのがとてもヒットしているという。


 さて、うちには奥さんが1人と、小学生以下のこどもたちが3人いるので、ご多分に漏れず、つい先日からこの「あつまれ どうぶつの森」を買ってきて、全員でプレイしている。それもわざわざ、みんなでどうぶつの森をするために「追加のコントローラ」まで購入しての参戦である。朝から晩まで、親子4人がテレビの前で奇声を発しながらこのゲームをやりこんでいるという日々が始まった。

 ちなみに、この記事の書き手である一家の大黒柱、ヨシイエさんは、ふだんからほとんどゲームをしないこともあって、あつ森の会には参加していない。それどころか、リビングのテレビを占拠されているものだから、コロナがどうなっているのかニュースがみたいのにそれも見られず、一人寂しく仕事帰りに晩ごはんを食べては、和室で寝転んで宙を見る以外にはないのである。


 あつ森のゲームはよくできている。一人でもプレイできるし、みんなでもプレイできる。複数人数の場合は、一人がリーダー役になるので、その他のメンバーはリーダー役が動いて画面の端っこを超えてしまうと、そちらに自動的に追従するようにできている。簡単に言えば、リーダーに半強制的についてゆく形である。

 ものや貝がらを拾ったり、虫を捕まえたり、売ったり買ったり、探検したり、川を渡ったり。テントを建てたり、それを一軒家にグレードアップしたり、とそれはもういろんなことができる。

 これはたしかに、私達の住む世界とは別に、もうひとつの「あつ森」の中の世界ができたようなもので、ふた昔前に流行した「セカンドライフ」っぽい側面もあるし、モノづくりをする意味では「マインクラフト」っぽさもある。それらをわかりやすく、とっつきやすく、かつ可愛らしくパッケージングしたというのは、さすがニンテンドー大先生のことはある、と思う。


 さて、ネットの経済クラスタの間では、このあつ森のシステムが、

あまりにも資本主義

だとして、苦笑しながら楽しむ姿がつぎつぎに報告されている。

https://wired.jp/2020/05/19/animal-crossing-i-am-not-relaxed/

たとえばWIREDさんの↑の記事なんかもそう。

 URLアドレスがさらに爆笑なのだが、「私はリラックスできない」というあつ森の魅力とは、たぬきちという狂言回しによって

最初から借金漬け

にされることでもある。

 そうなのだ。あつ森では「無人島にやってくる費用」から、すでに借金していることになっているし、島での生活はベルという貨幣経済になっており、ATMはあるわ、カブの売り買いはできるわ、と資本主義までが疑似再現されているというしくみなのである。

 それを、プレイヤーはこぞって「面白い」と感じ、「まるで世知辛いこの世そのものだな」とにやりと笑いながら楽しむものでもあるから、そこはアコギだのなんだのと断罪されるべき箇所ではないのだけれど。

 しかしまあ、現実の世界で住宅ローンにひいひい言いながら、あつ森の島でも住宅ローンをかかえてひいひい言いたいと言うのだから、人間というのは元々マゾなのではないか?と思うくらいだが、そこはそっとしておこう。


 ところで、わが家にあつ森がやってきてから、どうも家の中が不穏で仕方がない。これは別にニンテンドーさんのせいではなく、もしかするとコロナウイルスのせいで、みんなが不安定になっているのが原因かもしれないが、どうにもまずいのだ。

 まず、こどもたちは勉強もせず、自宅学習もせず、習い事のピアノの練習もほったらかして、日がな、あちゃらの島へ行っては、虫取りにせいを出している。

(いや、習い事だってずっとストップしているしね)

 それもまだ、みんなで仲良くあつ森生活をするならいざ知らず、

「僕がリーダーだ」とか

「こんどはあたしの番だ」とか

「虫を取ろうと思ってたのに、取られた!」とか

「キャー!それはわたしが置いといたやつ!」とか

なんだか楽しそうな声は一切聞こえず、阿鼻叫喚の鳴き声と悲鳴とばかりになってきた。

「なんでそっちいくねん!」

「今は貝を集めてるんやろうが!」

「そっちの川は渡れへんやん、あほちゃう?!」

三者三様に、好き勝手な方向へ動きながら、どんどんヒートアップしてゆく。あまつさえ、それを大局的に見ていたはずのおかん=ヨシイエの妻でさえ、

「なんで譲ってあげへんの!」

「順番守らなあかんやろ!あんたさっきもやったやん!」

とか、今度は「叱りはじめる」もんだから、リビングの中は、怒号しか飛び交っていないという地獄絵図が繰り広げられている。

 それを、仕事から帰ってきてもご飯を与えられない一家の大黒柱が、指を加えて見ているという「飢餓地獄」と「存在無視の刑」もこちらで進行している。

 あちゃらの世界だけがなんだかのほほんとしているが、こちゃらの世界はまるでおのれの欲望のままに実力行使が繰り広げられる戦国時代である。

 こんな状態が日々繰り返されては、たまったもんじゃない!


 というわけで、「島の開拓よりもわが家の円満のほうが重要である」、あるいは、「虫取りよりも、ただでさえ学校がないので漢字の書き取りのほうが重要である」という「至極まっとうな判断」により、あつ森とニンテンドースイッチ本体は、おかんにより取り上げられ、今では厳格に管理された一党独裁支配のもとでゲームしてもよいという運用に切り替わったが、今度は、深夜におかんが自分一人で楽しんでいるという姿が目撃されるようになった。


 さて、あつ森の世界は、自由と平等のほうがいいのか、それとも強権の支配下のもとのほうがいいのかという大問題にオチがついたのだが、せっかくの「資本主義をチートする」の番外編なので、もうすこしみなさんの役に立つ話をしておこう。

 いやまあ、ここまでは前フリみたいなものだったのである(笑)


 ゲーム好きな方はそれはそれでとても尊重するのだが、ヨシイエさんがなぜあまりゲームをしないかと言うと、人生という時間が有限だからである。

 あつ森の世界では虫取りなどの「労働」をして、たぬきちに借金を返す生活が待っている。ゲーム内の時間と、こちらの時間は連動しており、つまりはゲームの中で時間を費やすということは、その分こちらの時間をそれに当てるということだ。

 うちの奥さんやら、こどもたちがゲームの中で労働をして、ゲームの中の通貨「ベル」を返済している間、和室で寝転んでいるヨシイエのスマホがピロピロリンと鳴った。

 どうやら、noteの記事がひとつ、ふたつと売れたらしい。あちゃらの世界で労働しても得るものはないが、こちゃらの世界では時間の使い方を工夫すればお金に変えることができる。

 それならおなじ余暇を過ごすのなら、どちらかといえばヨシイエさんは、消費するよりも創造するほうが性に合っている。お金も儲かるしね。

 もし、私にゲームを作る能力があれば、する側よりも作る側に回るだろう。


 というわけで、家族があつ森にハマればハマるほど、おとんであるヨシイエさんは、一人さびしくほったらかされているので、副業に勤しむのであるが、うちの家族の話にはまだ続きがある。

 朝は起きてこないわ、学校から指示された自学勉強も進まないわ、部屋はおもちゃが散らばってるわで、おかんに怒られまくった3きょうだいは、ついに

「そんなんやったら家出するわ!」

と立ち上がったらしい。一番上の兄でもまだ小学校低学年なのだが、幼稚園児が二人くっついてどうするというのか。

 リュックにお菓子をつめて、しょぼいスコップとしょぼい虫取りあみを持ちながら

「僕らは山で暮らす!」

と母に向かって言い放ったという。

「あほか!そんなんで生きていけるか!」

とさらに激怒したおかんであったが、スコップと虫取り網で生きてゆけると思い込んだのは、絶対に

「あつまれ どうぶつの森」のせい

である。

 こればっかりは、ニンテンドーが悪い。ニンテンドーのせいに違いない。

 ちゃんちゃん。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?