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「ジョブ型雇用のほうがいい」と思っているそこのあなたは飢え死にする。


  旧来の日本型雇用はもう維持できないし、若い間にこきつかわれて何もしないおっさん上司がいる会社には辟易したということで、

「ジョブ型雇用」

がだんだんと現実化している昨今ですが、私はどちらかといえば、旧来の雇用のほうがよくて、できることなら

1980年代が最高だったぜルネッサーンス!

と考える団塊パーカーJrなので、ジョブ型雇用には反対です。


https://diamond.jp/articles/-/247113

 さて、ダイヤモンドオンラインに↑のような記事が出ていました。

 簡単に要約すると、

◆ 使えない中高年のリストラに使われるのではないか?

◆ ジョブ達成のためのサービス残業が増えるのではないか?

といった危険性が見え隠れするよ、というものでした。


 そもそも旧来型の雇用というのは、簡単に言えば「若者から搾取して、おっさんが儲ける」という仕組みでした。

◆ 若い間は、実際の労働力よりも賃金や処遇が抑えられていて、そこから利益が莫大に生まれる

◆ おっさんになると、管理的立場になる者は、実労働をせずに、集まってきた利益から甘い汁が吸える

というものですね。

 なので、「働かないおじさん」が生まれるため、入社したての若者から見れば、

「オレたちは搾取されているだけだ!正当な給料をよこせ!」

と感じてしまうことになるのです。これはまあ、当然といえば当然。

 しかし、

「若い間に、正当でそれに見合った給料を支払い、それに見合った労働をする」

ということは一見すると絶対善のように思えたり、見えますが、ほんとうにこの給与体系にすると、大半の人はかなり早い段階で、飢え死にすることになるでしょう。

 なぜなら、

「体力のピークは17歳ごろで、そこから緩やかに落ちてゆくが、20代からしばらくの間は、あまり目にみえない形で維持される」

https://www.tyojyu.or.jp/net/kenkou-tyoju/undou-kiso/tairyoku.html

からです。

 もう、入社したてのころから、実は体力は落ちてゆく一方なので、初任給1000万でも、それが実はピークなのです。

 体力面から考えれば、プロスポーツ選手を見渡せばよくわかります。

◆ プロ野球の平均引退年齢 29歳

◆ サッカー選手の平均引退年齢 26歳

◆ 大相撲の平均引退年齢 32歳

ですから、体力を仕事量に換算した場合、「優秀な人・有能な人」であっても、会社に入社後10年ほど貢献したら、あとはお荷物でお払い箱だというわけですね。


 逆に、知力の面ではどうでしょう。一説には22歳がピークで、27歳ごろから落ちてゆくとか、25歳ごろがピークだとされます。こちらも競技の世界を考えればわかります。

 将棋では藤井聡太さんが人気ですが、そういえば羽生さんはいつからタイトルを持っていないんだろう?と考えてみてください。将棋界の平均タイトル保持年齢は、

「約32歳」

とも言われます。(羽生さんが頑張っていた時代は41歳でした)

 ついでながら「プログラマー35歳定年説」なんてのもあります。


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 このように、「体力・知力」ともに、大学を卒業してから約10年間が勝負ということになります。

 ジョブ型雇用では、若者のときに給与も労働力も最大値をたたき出すとすれば、

① 「22歳から32歳まで年収1000万で、約1億円を受け取る」

② 「その後、年収がどんどん落ちてゆくか、途中で放り出される」年収300万

③ 「最後は、コンビニ店員か、掃除のおばちゃんか、品出し係」年収120万ぐらい

という

戦力外通告人生

すべての若者が生きてゆくことになります。

(たまーに、レジェンド三浦カズのように、50代でも現役を続行できる逸材が出てきますが、業界に一人くらいのものです)


 ぶっちゃけて言って、こんな労働人生はディストピア以外の何ものでもなく、子供を生み育てるという「次世代を再構築する」ことはおそらく不可能になります。

 アリとキリギリスのたとえではないですが、

「初任から1億円をできるだけ貯めておき、残金を残したものだけがこどもを育てられる」

わけですから、まあ、たいていの若者は瞬足で散財してしまい、独身のまま野垂れ死ぬことは必至です。

 こんな罠だらけの人生は嫌に決まっています。


 そしてちょっと考えたらわかりますが、あなたが30歳を過ぎて放り出されるときに、会社のえらいさんはいくつだと思いますか?

 会社の役員もまた全員20代なんてことは絶対にないです。その時、

「してやったり、と”うまく取り回し”をしてきた50代、60代のおっさん」

があなたをクビにするに違いないのです。


 ということは、要するに

「若者なんてちょっとおだててやればチョロいぜ、うまくダマしてやったぜ」という50代60代のおっさんは、絶対にいなくならない

ということです。

 彼らは絶対にいつでも存在するし、彼らの取り分は絶対に失わないように制度設計をしておいて、そして、若者が中年になると切り捨ててゆくというわけですね。

 これは、スポーツ球団の経営者・運営者・指導者が選手在籍年齢とぜったいに合致しないことからも証明できます。

 その場合、うまく取り回すおっさんたちは、

「初任で年収1000万もらい、権力争いの結果、おっさんになっても年収1000万もらい、そして何もせずに居座る」

のです。


 馬鹿らしいのは、騙された若者たちのほうです。(ただし、中年にならないと騙されたことに気付かない)


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 さて、近代日本において、結局、理想となる「ルネッサンス」的な年代は1980年代ごろで、

◆ 初任給は18万円でかまわないので、それが、

◆ おっさんになるころには月30万、40万、50万に緩やかに増えてゆき

◆ 団地住まいでもいいから、家族を持ち、子供が2~3人いて

◆ それぞれがまた新しい家族を持って、「おじいちゃん」なんて呼ばれちゃったりして!

という人生を「大半の人が送ることができる政府、政治、生活」を目指すのがベターかと思うわけで。

 給料の年代的配分の具体的方法は、脇へ置いておいたとしても

「子供を再生産できる給料体系」

でなければ、結局人口と人材は枯渇してゆくだけになります。

 わたしは「国のためにこどもを産み育てよ」という意見ではまったくありませんが、ふつうに考えて

「こどもたちが再生産できないのであれば、それは単なる絶滅である」

と考えているので、

こどもが絶滅するような社会体系は文明ですらない

と声を大にして言っているだけです。


 それが経済学だか経営学だかわかりませんが、21世紀にもなって現代人が頭をひねって導き出した答えなのだとすれば、アホとしか言いようがありませんね。

 残念です。




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