SSSS.DYNAZENONとは何だったのか?最終話を終えて

12話で一応すべての話数が終わったことなのでダイナゼノンについて考えてみる。

まずは最終回の雑感

優生組が怪獣を見て

「怪獣の未来を俺は見たいんだ。」

「より多くの人間を殺せる。」

「これしかないから。」

怪獣に乗り込むにあたり三者三様の立場がわかる

押されるナイトくん。

「なんだぁ」

今までのクールで寡黙な感じはどこへやら、急に解説するナイトくん。なんかそこはグリッドマンっぽいなとか思った。

立ち上がれガウマ

「おりゃもう長くなさそうだ。5千年前のことなんか関係ないもんなあ。」

「オレたちとの関係を作ってくれたんですよ。」

よくあるセリフの応酬の後にそれぞれできることをやろうとする。

ニート君のところに、タイミングよく飛んでくるロボ。

「偶然なんだ。でも今回は。」

冴えない誰もがどこかで大役に抜擢されたりして、活躍できんだぜってことなのかもしれないね。

そこから戦闘に加わるニート君に対し、ムジナ

「さわらないでよお」

なんやねんそのセリフ。

そしてなんやかんやあって、グリッドナイトのピンチにガウマ登場

そこからの戦闘シーン

まあよくある問答で進む。
「あんたにあこがれてどうたらこうたら」
「うるせんだよおおお」

ただ、ニートとムジナの
「ニートのせいで怪獣しか無いってわかっちゃったんだからどうたらこうたら」
「じゃあ謝りますよ」
「謝ったら許さない!」

もうようわからん因縁の付け方や。そもそも、ヨモギとムジナの因縁って4・5話でちょろっと話したぐらいで、それ以上特に何もイベント無かったでしょ。

最後らへんで急に「私は憎んでるから」とか言われもな〜と思っていたら、そうかなるほどこれは恐らく「ムジナ=バイトリーダー」としてリンクさせてるのかな?と考えると結構合点がいく。

つまるところ、あのとき逃げたニート君のことをバイトリーダーはずっと引きずってて、それが急にまた出会ったことで色々思うことが合って「会わなければ自分には怪獣しか無いってことに気づくこともなかったのに!」というセリフが(=会わなければ自分の結婚人生も思い直すこともなかったのに!)といったバイトリーダーの想いと被ってくるのかもしれない。

これはただの推測だが、その方が面白いのでそういうことにしたい。だとしたらめっちゃ面白くないっすか?見返したくならないっすか?

2話のエコーの謎はそのままだったね(ガックシ

2話ではオーイシマサヨシによるテーマ曲「imperfect」が流れた際、コックピットが映るカットで曲に反響音のようなエフェクトをかけて、「曲がコックピットの外で流れてますよ〜」という凝った演出をしていたことから、これは最後らへんで何かメタ演出が来るのではないかと期待していたが、そんなことはなかったぜ!

この作品のテーマの一つかもしれない「平熱→熱血」

まあ怪獣ヒーローものお約束の全員で必殺技をご唱和。

なるほどな最後にみんなが熱い感じに叫ぶのがやりたい(平熱からの熱血)から、最初はみんなシラケとか平熱って感じだったんだな。

でもワイにはその辺がどうしてもテンプレにしか見えなくて平熱になってしまうんや。

それと、内容構成的に前半で終わるだろなあという読みも当たって、何だか予定調和感に乗れないところもあった。

そして、特にフォローもないまま、5千年前の世界や姫、優生組が結局何なのか分からぬまま時間が飛ぶ。

3ヶ月後

中盤でスタッフロール。1話でみんなで渡った橋にて二人で歩く。そしてカップルできましたとさちゃんちゃん。

河原でガウマさんの葬式

次の使命のためこの世界を去る2代目、ナイト。なんだかワープループがグリッドマンでよく見た感じだったね。結局、このダイナゼノンの世界が電脳世界だったのかどうかすらもよくわからないまま帰っていく。

そして、各々の現実に溶け込んでいく面々。やはり、作品ポスターの4人が前に進んで、一人ガウマさんだけ後ろに歩く感じになったんスね。

そして、ニートくんとちせは壊れた学校でだべる。就職先が見つからず、結局バイトリーダーのもとで働くことになったニートくん。

「ずるい手段使ったんスカ。」

こりゃ一波乱ありますよ。ぜってーバイトリーダーとニートくんで後々色恋沙汰になるぜ?

そして、曲がりなりにも社会人になろうとするニートくんに対して、ちせは「みんなそうなるんすね〜」と言うも

「なんないほうがいいよ。」

この一言は刺さるんや。それはまだまだ若いちせにだからこそ言えるものなのかもしれない。

そのあと、ちせの腕に9話で授業を聞かずに一心に描いていたものをタトゥーとして左腕に入れてるのが確認できる。そして、学校の制服に対して

「あんなもん似合ってたまるか。」

絵面としては上手い対比になってると思う。最初は両者奔放なコスチュームであったが、

ニートくんは
・髪切って、スーツ着て、同級生のとこで働いて社会性に舵をきった
ちせは
・あいも変わらず不登校で、更にタトゥーを入れて更に自己内面性へと舵をきっている

といった具合に、それぞれ違う方向に向かっている。ただ、それは年という要素を考慮すれば、やがてちせはニートくんよろしく髪や服装をもとに戻して働きだすのかもしれないし、アートの方面で活躍するのかもしれない。ただまあ今はそれでいいんじゃないと思ってしまうが、このへんは正直もっと掘れた部分だと思う。ゴルドバーンとの友人関係というものが自己を確立させたというのならば、それはタトゥーで表現してしまえば、逆行して自己への依存性を更に上げているようにも見えてしまうので、まだまだこの辺は考慮ポイントだ。

ラスト:ヨモギとゆめ

もうここまでで残り5分ぐらいとなってしまった。これ終わるのか?もうすでに5千年の話はどうにもならないことから察するに、やばい感じであるのはわかるが。

ともあれ、文化祭。

メガネの友達は写真部の展示やる。おれは未だにエア友やと思ってるぞ。

だが、残り4分目にして、ヨモギの友達がゆめの友達に肘でクイっとしたことでエアともの存在がこの世界に確定してしまった。まあ2つの世界が遂に交わったということの演出なのだろうが、これはすべての謎が普通に解消されてしまって悲しいのだ。まあ何でも意味ありげに捉えすぎってことなんでしょうね(ガックシ)。

シズムフラッシュバック

やばい後3分。どうやって終わらすんだああ。こりゃあの5人が最後に河原で遭遇かぁ〜??とテンプレを信じていたが、普通にサボってただけだった(ガックシ)。

彼女になったゆめは、面倒くさい感じで

「じゃあつれてって」

と手を差し伸べる。僕はこういうのムリだね。

すると、あの電脳空間らしきところにまた飛んで、そこにはシズムくんがいた。

そしてシズムくんとヨモギの対話。以下セリフ重要なのでそのまま抜粋。

「やっぱりわからないな。君も怪獣使いに慣れる可能性があったのに、惜しいことをした。」
「俺は怪獣が分からない。だから、そっちにはいかないんだ。」
「人が理解できないものこそ怪獣なんだ。彼らはつねに人の理の外にある。怪獣は何かに縛られたりしない。君だって見たんだろ怪獣の力さえあれば、時間や空間、生きることや死ぬことからも開放される。もう少しで無上の自由にたどり着けたのに、後悔はないの?」
「俺にはまだわからない。これから嬉しいこととか苦しいこととかを繰り返して生きていきたいから。」
「君たちはそうやって無自覚に自由を失いやがて自分たちを縛っていくんだ。」
「俺は自由を失うんじゃないよ。かけがえのない不自由をこれから手に入れていくんだ。」
「やっぱりわからないな。」

これはこの作品内での世界がグリッドマンにおける電脳世界であると考えると、シズムくんの言う怪獣の力は電脳世界のプログラムに過ぎないわけで、結局それらは自由なようで何もないうつろなものかもしれない。であるからこそ、そこで自由を求めるよりもそこにあるものを楽しめるか愛せるかにかかっているわけで、これは僕らの実生活もそうようなものなのかもしれない。

また、これを作り手というもう一つ上のレイヤーから見た場合、

「俺は怪獣が分からない。だから、そっちにはいかないんだ。」

というセリフが自分はそっちの界隈には行かないんだという風にも聞こえて何だか面白い。ただ、ここでは怪獣が何だって出来る可能性の象徴=クリエイティブな才能として語っていることから、一度は力に目覚めかけても最後にそっちには行かないというヨモギは実世界で戦う人間としての宣言、またはそうして実世界で戦う僕らを肯定する存在として、シズムというどっぷり浸かったクリエイターからは一線を引くことを決めたのであろうと考えると面白い。

であるからこそ、これが電脳世界の一部であるという線を暗示して引きながらも、それでもこの世界はちゃんと人並みの生活をやってますよ、それをバーチャルといえますか?という問いかけにもなっているからこそ、最後の最後まで全てをヒックリ返すタネ明かし的なメタ演出はしなかったのだろうなと思う。

クリエイターが魅せてきた世界は、怪獣から始まってそこから怪獣とヒーローの戦い、ウルトラマン、エヴァ、そしてSSSSシリーズと引き継がれてきた。だが、その反動で、街を壊すかのように誰かの人生にも影響を与えて、それが色んな形(ニートくんやちせ、バイトリーダーの夫とかその他諸々)として現れる。

その延長線上に立たされたとき、作り手としてはその問題に立ち向かわなければならなかったのかもしれない、そうして出来上がったのがSSSS.DYNAZENONで、その答えが、作品世界への没頭から実世界への着地だった。奇しくもそれは、エヴァが駅から降りたことと同じ着地点だった(アニメの準備期間は放映前の1年〜半年前)。

ただ、これだけは言いたい

作品の核心にあたる問答が終わり、何も知らないひめが
「よくできました」
さっきの話の流れから不自由さの象徴として出てくるのだが、ただ、これだけは言いたい

これがかけがえのない不自由かよ!!!!!!

「やっぱりわからないな。」
僕はそう皮肉を言ってしまいたくなる。

そして続け様に

「ぷっはは、よくできました。」
「恥ずかしいぐらいがちょうどいいんだ。」

僕はこんな不自由嫌だね。

ぜってー数ヶ月で別れるぜ?てかそんなに不自由なこの現実が素晴らしいならもっとそこを見せて欲しいと思ったが、さんざんそういうのは日常シーンとしてやったよなと後々思い返してそうだよなって思うが、肝心のヨモギ自身の生活の不自由さが家族問題だけで、それもあんまりヨモギくんが吐露しないから、不自由さのかけがえなさを感じられなかったのかなあとか考えてしまいますわ。

最後近く

二人でイチャコラ。付いた傷について

「なおらない傷になったら良いね。忘れないから。」

ぜってー後で思い出したくないこと思い出すキッカケになんぜ?

そうこうしてるうちに最後のタイトル

「託されたものって、なに?」

何でしょうね?作家から見てる人への熱意かな?自分は感想を書いてる間に受け取ったような気持ちになってます。ハイ。

ラスト

さいごに前作っぽい電脳空間でダイナレックスが気づいてこっちを見て目が光って終わり。

ダイナレックスも君たちのことを見届けてくれてるで〜っていうサインなんでしょうね。これで僕らは前向きに進んでいけるですよ。

まとめ

ということで、メッセージとしては完璧に残せた形にはなったのでしょう。最初見たときは、もっと深堀りしてほしかったなあ〜とか考えてたけど、書き出しているうちに何を言わんとしているのかは伝わって、「それを伝えようとしてたなら、この話の構成になったのもまあ納得だな」と勝手に合点がいきました。

たださすがにガウマさん後半出てこないから、結局5千年前の話はなんだったんだってなって(もしかして最後のダイナレックスに乗ってる?)、さすがにそこすっ飛ばしてシズムくんとの対話は飛んでないか〜とか色々考えたり。

まあその他にも、残っている伏線とかは色々あるんでしょうが、作り手としては見て欲しいのはそこではなくて、「ありのままの現実を生きてくれええ」という願いというか叫びを届けたかったんでしょう。

創作物で熱くなったり出来る自分や、現実で落ち込む自分も受け入れておくれというそれはある種自分たちにも向けられた言葉を。


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