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鳥取は、古代部民の鳥取部に由来する

 今回は、朝廷に職能をもって奉仕する部民や皇室私有民、豪族私有民などから生じた庶民の氏名について見ていきたいと思います。日本国民のほとんどは部民として制度に組み込まれていたため、古代の日本人は部民としての氏名を持っていました
 なお、今回は古代の氏名ということで、リンクの記事の続きとなっています。

部民制

 部民制(べみんせい)は、単に部ともいいます。部は「とも」とも読み、伴に通じています。律令制成立前の古代大和王権の制度であり、部民は以下の3つに分類されます。

① 職業部(品部(ともべ))
 特定の職をもって朝廷に奉仕・貢納し、職掌名を氏名とする民です。
 例えば、物部氏・大伴氏に従って王宮を護衛した来目部(くめべ)、靫負部(ゆげいべ)、大刀佩部(たちはきべ)があります。その他、祝部(ほうりべ)、巫部(かんなぎべ)、犬養部(いぬかいべ)、錦織部(にしごりべ)、弓削部(ゆげべ)、矢作部(やはぎべ)、石作部(いしつくりべ)、田部(たべ)、卜部(うらべ)、海部(あまべ)、山部、土師部(はにしべ)、舎人部(とねりべ)、鳥取部(ととりべ)、鳥養部(とりかいべ)などがあります。品部を管掌する首長が伴造(とものみやつこ)であり、世襲されていました。

② 名代・子代(御名代部(みなしろべ))
 皇室所有民であり、王宮経営のために設けられ奉仕・貢納する民で、皇族名、王宮名を持ちます。例えば、建部(たけるべ)、日下部(くさかべ)、刑部(おさかべ)、穴穂部(あなほべ)、長谷部、他田部(おさだべ)、財部(たからべ)などがあります。

③ 豪族部(部曲(かきべ))
 有力豪族に奉仕・貢納する豪族所有民です。蘇我部(そがべ)(曽我部)、中臣部などがあります。地方豪族である国造(くにのみやつこ)の部曲もあり、出雲部、尾張部、三野部(みぬべ)(美濃部)、紀部(きべ)などがあります。

 ①から③の分類は必ずしも明確に分かれたものではなく、すでに紹介した物部連(もののべのむらじ)や大伴連のように元は品部の伴造だったものから豪族に発展した氏族もあります。また、豪族の氏人や部曲は、品部や御名代部に出仕していたりするので、複数の部に所属している場合があります。

品部由来の氏

 品部の職掌は次のとおりです。
 祝部(ほうりべ)は神職です。巫部(かんなぎべ)は神和(かんな)ぎ、すなわち神託を掌ります。
 犬養部は猟犬の飼育と訓練を掌ります。
 錦織部は錦を織ります。
 弓削部は弓を製作します。
 矢作部は矢を制作します。
 石作部は石棺を製作します。
 田部は屯倉(みやけ)や田荘(たどころ)の耕作農民です。
 卜部は亀卜(きぼく)を掌ります。
 海部(あまべ)は海産物を貢納し、山部は山林の産物を貢納します。
 土師部(はにしべ)は土器製作の他、喪葬も掌ります。
 舎人部(とねりべ)は皇族や貴人に近侍します。
 鳥取部は愛玩用の水鳥を捕獲します。もちろん鳥取部は鳥取県の語源であり、湿地帯に集まる鳥を捕獲していた狩猟民が住んでいました。
 鳥飼部は捕獲した鳥を飼育します。

 現代に残る名字では、部の氏名そのままのものもあれば、「部」が消失した形だったり、異なる漢字が当てられたり、別の読み方をしたり、同じ意味の違う言葉だったりするものがあります。
 例えば、田部は多部や田辺(たのべ)のように変化したり、屯倉(みやけ)は三宅になったり、田荘は田所になったり、卜部は浦辺や占部という漢字になったりします。
 アマベ「海部」のアマはアツミ「安曇」、アツマ「」と同じもので、いずれも海部が住んでいた国を意味します。

御名代部由来の氏

 次に御名代部に由来する氏名について確認してみましょう。
 建部(たけるべ)は倭健命(やまとたけるのみこと)の功名を記録しようとして定められました。武部とも記し、「たけべ」「たてべ」とも読みます。
 日下部は、仁徳天皇の皇子大日下王(おおくさかおう)と若日下王に由来します。
 刑部(おさかべ)は、允恭(いんぎょう)天皇の皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)に由来します。
 穴穂部は、安康(あんこう)天皇の王宮石上穴穂宮(いそのかみあなほのみや)に由来します。
 長谷部は、雄略天皇の王宮長谷(泊瀬)朝倉宮(はつせあさくらのみや)に由来します。ハセ「泊つ瀬」とは、舟の終着点のことです。
 他田部は、敏達(びだつ)天皇の王宮他田(訳語田)宮(おさだのみや)に由来します。
 財部は後に皇極天皇・斉明天皇となる寶(たから)皇女に由来します。

部曲由来の氏

 各氏族集団は氏族の長である氏上(うじのかみ)(後の時代の氏長者(うじのちょうじゃ))、同じ血縁関係にある氏人(うじびと)、その支配下にある非血縁の豪族私有民である部曲から構成されていました。一般民衆はこの制度に組み込まれ、組織化されていたため、◯◯部という氏名(うじめい)を持っています。

 国造に関する部曲の名前の由来についても見ていきましょう。
 出雲部は、出雲国造出雲臣(いずものおみ)の部曲です。イズモの語源は諸説あり、泉とするもの、アイヌ語のetu-moy「岬の浦」とするもの、イツ「良い」+モ「藻」で「良い藻の産地」とするものがあります。なお、出雲臣は出雲神族ではなく、天照大御神と素戔嗚尊の誓約(うけい)で生まれた天穂日命(あめのほひのみこと)の後裔です。
 尾張部は、天火明(あめのほあかり)命の後裔である尾張国造の部曲(かきべ)です。大和国葛城(かつらぎ)郡高尾張邑(たかおわりむら)が本拠で、尾張国の地名は尾張氏の移住により生じました。オワリの意味は「開墾」です。
 三野部(美濃部)は、三野国造(みぬのくにのみやつこ)の部曲です。三野氏は丹波氏族であり、神大根王(かむおおねのみこ)の後裔です。ミヌはのちのミノと同じであり、三野の他、美濃、箕、蓑、美乃、三乃など様々な字が当てられ、「原野」を意味します。
 紀(木)部は、紀(木)国造(きのくにのみやつこ)の部曲です。神産巣日神(かみむすひのかみ)の後裔である天道根命(あまのみちねのみこと)が祖とされています。紀国(きのくに)は後の紀伊国であり、木が豊富であったことから生じたものと考えられています。なお、武内宿禰(たけのうちのすくね)を祖とする紀朝臣(きのあそん)とは母系で繋がっているようです。

 有力豪族の名前の由来はあまり聞いたことがなかったのではないかと思います。また、現代でもよく聞く名字が、古代の部民制に由来していたとは、驚きですね。

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