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思わず「セラビィ(それが人生さ)」と言いたくなる話

学生の頃、社会に出ること、働くこととは何なのかを知りたくて、ルポライター鎌田慧さんの著書、「ぼくが世の中に学んだこと」を何度も読み返した。本書は当時工業化が進む日本で、金の卵として田舎から上京した少年、地方からの出稼ぎ労働者、町工場から夜間学校に通う青年など、人間味あふれる人物が不器用でも仲間や家族を思いながら懸命に社会と向き合う姿が描かれている。

テレビのブラウン管には、それをみがきあげて死んでいった佐渡の若林さんや秋田の菅原さんや千葉の佐久間さんたちの姿がうつしだされることはない。文明のひとつの象徴であるテレビは、まずいなかから出てきた若い臨時工の手によって、ブラウン管が成型(プレス)される。ハンガーにつるされて天井の下を流れてくると、こんどは彼らの父親とおなじ年かっこうの老人たちの手によって研磨機にかけられる。箱につめこまれたブラウン管は、電気工場に運び込まれる。そこには下請け工場でパートで働いている母親たちが手がけたさまざまな部品が到着している。ベルトコンベアのまえに座った娘たちが組み立てた受像機と、ブラウン管が結合される。このように、テレビは、放送局から送りだされる電波をうつしだすまえに、社会の構造そのものをうつしだしているのである。(引用 「ぼくが世の中に学んだこと」鎌田慧著)

自分たちが毎日見ているテレビ(当時はブラウン管テレビ)にも社会の縮図が投影されている。そのこと自体が驚きだった。そして、社会に出ることや働くこと、大人になることはどこか危ういバランスで成り立っているように感じたことを覚えている。社会や人の暮らしは豊かになっていくのだろうか。何度も読み返しているうちに成功と幸福は違うということが、おぼろげに見えてくる。

いなかで出会う出稼ぎ労働者たちは、工場でのときのように、どこかおどおどしていたり、よそよそしかったりせず、一家の主として堂々としていた。土に根を生やして生きている、ということを感じさせた。それがほんとうの生活である。(引用 同著より)

本書は、1983年に「ちくま少年図書館70」として刊行された。漢字が少ないのは子ども向けの本ということだからだと思う。約40年前、鎌田氏がこれから社会に出ていく子どもたちに向けて発したメッセージは、今も輝きを失っていない。そして、そうありたいと思う。

いい会社にはいって出世することだけを最大の価値にしたり、人生の目標とさえしなければ、さほどむずかしいことではない。生活するのはさほどむずかしいことではない。むずかしいのは、生き方である。(引用 同著より) 

最後まで読んでいただきありがとうございます。本好きのエピソードを紹介していきます。


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