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千葉高文化祭に行ってきた

こんばんは。
今日は、千葉高の文化祭に顔を出してきました。

校門の前。ちなみに、我々の頃は「秋桜祭」という名前でした。
さらに前には名前もなく、「千葉高文化祭」と呼ばれていました。
テーマは「波綾」。この単語を知っているのが凄いと思ってしまった…。

去年からリアル開催が復活したこともあり、大盛況。
受付の中の写真はSNSアップ不可ということだったので、外だけですが、中の熱気がすごかったです。

左側は図書館。木の陰に隠れていますが左手奥には講堂があり、右手奥に校舎があります。

コロナ禍を経て、学校のデジタル化が進んだこともあり、長年の伝統だった金券が廃止されて模擬店での買い物は電子決済になりました。今や公立高校もそういう時代なのだなあ、としみじみ。

年長の長男を連れていったのですが、他にも小さなお子さん連れの人が多く、我々の頃とは隔世の感がありました。やはり、中学校が併設されたというのが大きいのかもしれませんね。

しかし、楽しめるかと思ったのもつかの間、長男がお化け屋敷のポスターにビビってしまい、「帰りたい」と言い出す始末(やはりまだ早すぎたか…)。
なだめすかして、子どもでも楽しめそうなゲームをやっているクラスの展示に行ってみたのですが、そういうところは廊下に大行列ができていて、いつになったら入れるかわからず。
長男が並ぶのを嫌がったため、早々に撤退することにしました。

ただ、致し方ないところもあり、各教室内にはエアコンが設置されているのですが(我々の頃は無かった…💦)、廊下はかなり暑く、子どもが並ぶのは厳しかったのだろうな、と思います(9月の中旬にもなって、この暑さが続いているとは誰も思わなかったのではないでしょうか)。

パンフレット。高校受験に備えて見学に行ったのが平成8年なので、随分時間が経ったのですが、イラストの雰囲気は変わらないなあ。

文化祭のパンフレットで各クラスの出し物を見てみると、三年生は全クラス劇になっていたことに気づきました。
そういえば、以前来た時にもそうなっていたな、ということを思い出しました。
文化祭って、何となく流れのようなものがあり、僕の一つ上の学年の3年H組がミスコンを開催したのですが、その流れをうけて僕の代の3年H組もミスコンを開催しました。下の代もそうして、ずっと3年H組はミスコンをやる流れになっていました。

その後、ミスコン自体への批判が増えたのが先か、縛りを気にしなくなったのが先かわかりませんが、いつの間にかその流れは終わっていました。
そして今では3年生は全クラス劇。
それもまた新たな伝統なのかと思う一方で、
絶対にそうしなければならない、ということでもない。
どこかのクラスがそれを破るのでしょうか。
それとも…。

伝統というのは、従うものではなく、創るものなのだと思います。
結局は本人たちが楽しむことが一番ですし、そうした積み重ねが歴史になっていくのだと思います。縛られる必要はないのです。

かく言う僕自身、文化祭の実行委員をやっていました。
高2の時は、中夜祭の実行委員長。
体育館でカラオケ大会をやったのが懐かしいです。
高3になる時には新入生歓迎会を企画して実行委員長をやったりと、学校行事に身を捧げた高校生活だったと思います。

それが今の生活にどう繋がっているのかわかりませんが、
自分が母校に思い入れがある一番の理由は、やはり学校行事を頑張ったことにあるかな、と。
だから、いつまでもいい学校であってほしいし、そのためにできることは協力しようと思っています。また、してきたつもりです。

そして、母校に貢献するという姿勢は、慶應で学んだのだと思います。
東大に受かっていても、もしかしたら同じように東大を愛したかもしれませんし、多分そうでしょう。でも、自分がイニシアティブを持って動こうとは思わなかっただろうとも思います。
慶應の中では僕は目立つタイプではなかったですし、僕以上に愛校心の強い人が大勢いるので、そこに任せればいいかなと思っています。
ただ、そのノウハウは千葉高に還元できると思ったので、仕事と子育ての合間を縫って、そうした取り組みも行っています。
その取り組みは、時々このnoteでも紹介させていただくかもしれませんが、その試行錯誤が何かに繋がれば、嬉しく思います。

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