見出し画像

発信することはチャンスを増やすこと

「発信することの意義ってなんだろう?」

そんなことを、改めて考えています。過去にも、note等々で自ら発信するようになったきっかけや自分にとっての意義を書いてきたけど、改めて、いまの自分の頭の中を整理してみようと思います。

「発信」と言っても、noteに文章や写真を投稿するような発信もあれば、ちょっと隣の席のあの人に声をかけることも、自ら発するという意味では発信です。

発信の定義も、その意義も、人それぞれだと思うけど、僕は「発信すること」にこんな意味を見出している、というところを書きます。ひとことで言うと、発信することの最大の価値は、チャンスを増やすことだと思うんです。

noteを読まれる方は、もしかしたら自ら発信する側の人が多いのかもしれません。この記事が、自ら発信することについて考えたり振り返るきっかけになればいいなと思います。

誰かの発信は、誰かのきっかけ

ブログとかnoteとかで、自分自身の経験、趣味、子育て論、働き方論、お気に入りの持ち物や日々感じることまで雑多に発信してきましたが、なぜ自分自身のことを発信するのか?と問われれば、自分の発信がきっと誰かの”きっかけ”になると信じているからです。

自分も含め多くの人は、日ごろ何気なくnoteやTwitterやYouTubeを見ています。それらの発信された情報は”推し”の芸能人発のものだったりもしますが、どこの誰だかはよくわからないけど、その内容が自分には必要な情報だから見ているという場合もあります。

例えば僕の場合、仕事でちょこちょこプログラミングをする必要がありますが、プログラミングを専業とするようなエンジニアではないので、文法とか使い方に精通しているわけではありません。でも、世の中にはプログラミング知識や事例を惜しげもなく発信してくれる人がたくさんいて、僕は彼ら彼女らのコードからヒントを得て、プログラムを真似して作って、自分の仕事を自動化し、効率的に進められたりするわけです。

また別の例で言えば、誰かが読んだ本の書評記事をnoteに書いていたとします。何気なく読んだその記事がきっかけで自分も同じ本を読み、感銘を受け、もしかしたら人生の転機ともいえるステップアップが、そこにはあるかもしれません。

そんな風に、誰かの発信は僕にとって、次へのステップやひらめきの”きっかけ”になっているのです。逆に、きっと僕の発信する些細なことも、誰かの何かのきっかけになるだろう(なってほしい)と思っています。

これって日常で何気なくやっている行動を言葉にしただけで当たり前の話かもしれませんけど。

自ら発信するようになったきっかけ

僕はTwitterで日々つぶやくような発信は苦手ですが、noteやブログに気持ちや考えを整理しながら言語化して発信することが好きで、時間はかかるけどそんな発信を好んでやってます。

でもブログをやり始めた最初のきっかけは、そんな大義名分があったわけでもなく、ただ新しく勝ったMacbookをもっと使い倒したくってブログを書き始めた、みたいなことでした。

そして、最近は(頻度は少ないけど)noteで発信することがメインで、このnoteを使おうと思った最初のきっかけは、もう忘れ去りたい黒歴史でもあるのですが、有料記事でお小遣い稼ぎできれば・・・みたいな下心ではじめたのでした・・・

最初は、人様に胸張って言えるような発信をしてきたわけではありません。今も胸張って言えるようなことが特にあるわけでもないけど・・・それでも、発信しない側から発信する側へ自分自身が変化したことには、大きな意味があると思っています。

発信することの意義・価値・効用

じゃぁ、それってどんな意味?って話です。言い換えれば、発信することの意義、価値、効用みたいなものって何だろう?って話です。(ようやく本題)

発信することの効用は無限にありそうですが、例えば3つくらい挙げてみます。

1つ目は、自己理解が進むことです。自分自身に起こった出来事を頭の中で整理して文章にしているうちに、「あのとき自分はこんなことを感じたんだ」とか、「アレがきっかけでコレができるようになったな」とか、振り返ることができます。

もちろんこれは、noteのような文章としての発信をしているからという側面が大きいかもしれません。でも、その時々の感情や出来事をつぶやくTwitterとかでも、あとから自分のツイートを見返してみらたら、自分がどんな感情のときに発信しているのか、という自分自身の全体像が見えてくるかもしれません。

2つ目は、多様性を理解できるようになることです。人それぞれ、趣味趣向は様々で、そこに良い悪いはありません。1つのある事象に対する意見を発信するにしても、「自分はこう感じた」「Aさんはあんな捉え方をした」「Bさんは何も感じなかったらしい」といったように、様々な意見が見えてきます。

自らの意見や考えを発することは、無意識に「聞いてほしい」という欲求とセットになっているように思います。だからかわかりませんが、他者の意見にも耳を傾けることが以前よりはやりやすくなったかな?と思います。

3つ目は、自信がつくことです。発信に対するいいね!やスキ!がもらえることも理由のひとつですが、自分自身を発信することが自らを認めることにつながっているのだと思います。

ずっと発信を続けるうちに、もうあれこれ自分のことをさらけ出してしまったから、今さら隠すことは何もないという境地に立てる、というのもあります。もしかしたら自信じゃなくて”あきらめ”かもしれませんね。

「発信」の最大の価値はチャンスが増えること

発信することの価値・効用をいくつか書いてみましたが、最大の価値は、発信することでチャンスが増えることかなと思います。

例えば出会いのチャンスが増えます。発信するためには、発信できる場に立たないといけません。場とは、会議室だったり、Twitterやnoteやブログといったオンライン上だったり、友達と行くカフェかもしれません。そういった場に立った時点で、地球上の誰かとの接点が生まれますので、”出会いのチャンス”が増えていると言えそうです。

また、何かが生まれるチャンスも増えそうです。僕自身も誰かの発信を見聞きしたことがきっかけで何かを作ってみようと思うことがよくあります。最近は趣味の3Dプリンターでいろんなモノづくりをして遊んでいるのですが、WEB上に公開された世の中のクリエイターたちの作品を眺めながら、「これとこれを組み合わせてみよう」とか「あれをもっと改良してみよう」とか思ったりします。まさに、誰かの発信が別の何かを生むきっかけになっている瞬間だと思います。

上に挙げた自己理解が進んだり、多様性を受け入れられるようになったり、自分に自信がついたり・・・そういったことは、自分自身の変化とも言えますが、広い意味ではチャンスが増えることにつながりそうです。人は変化できるから、新しい一歩を踏み出せるのです。(ちょっと大げさ?)

おわりに

自ら発信しているうちに、名もなき誰かの発信は、別の誰かにとってのチャンス(きっかけ)なんだということに改めて気づき、そんなきっかけを自分も誰かのために提供できれば、と思って、頻度低めですが発信を続けています。

多くの人に届けるのはなかなか難しいことですが、最近のWEB検索技術はすごいので、WEB上での発信であれば、そんな技術に支えられて、きっと必要な人に届くんじゃないかと思います。

自ら発信することで、自分は多くの人たちの発信に支えられて生きてるんだってことがわかりました。だから僕も、だれかの”きっかけ”になれたらいいなと思うのです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

お気持ちだけでも嬉しいです。ありがとうございます!