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小川に寝そべる

【実体験】

自転車で友達のAくんと並走していた。
中学1年の春の夕方のことだった。
あたりはまだ明るく、塾帰りの僕たちは春の風を感じながら気持ちよく自転車を漕いでいた。

たわいもない会話をしながら、Aくんはハンドルから両手を離して自転車を漕いだ。それを見た僕も同じように両手を離した。

僕はそれがとても苦手だった。できたといえばできたのだが、やるときはいつも不安で、これまであまりやってもいなかった。

僕はバランスを崩した。
そのまま隣にいたAくんにぶつかり、僕は目を瞑った。
一瞬の出来事だった。

冷たい。目を開くと自分の体の上には自分の自転車、その上にAくんとAくんの自転車が乗っかっていた。そして僕は小川に寝そべっていた。
Aくんが起き上がり、自転車をどけてくれ、僕もなんとか小川から脱出した。

Aくんに服が濡れて汚れていたが、ケガはほとんどないらしかった。
僕も服は破れ、全身のかすり傷と眉間あたりを打撲したが、その程度で済んだ。
そのまま2人はとぼとぼ自転車をおして帰った。

家に帰ると、僕の異変に気付いた親が事情を聞いてきた。僕は「自転車を漕いでる時にでかい石を踏んでこけた」と嘘をついた。

次の日、朝起きると眉間のあたりが腫れていた。それを見た親は冷えピタを切って、腫れている箇所にはった。その切り取られた冷えピタの形はローマ字の"T"のようだった。

そのまま学校に行った僕は友達にも先生にも笑われ、とても恥ずかしい一日となった。

【今の思い】

両手を離して自転車を漕ぐ行為は言うまでもなく危険である。そしてあれから一度も両手を離して自転車を漕いだことはない。おそらく漕げない。

それとは別に、僕はあの出来事を思い出した時に考えることがある。
それは「Aくんにちゃんと謝ったのか」ということである。
あの時たまたまAくんはケガをしなかったが、大事故になっていた可能性は十分にあった。
そんなことは全く考えずに、僕はヘラヘラしていたような気がしてならない。

そして当時は、二つのことを恥じていた。
一つは、両手離し運転ができなかったこと。
もう一つは、T字の形をした冷えピタをはって登校したことだ。

しかし、本当に恥じるべきことは
「相手の気持ちを考えられなかったこと」
だと思う。自分のことばかり気にして、相手のことは二の次だったのだ。
今でも、自分中心に考えてしまうことはよくある。でも、自分一人でできることなんてちっぽけなものだ。自分は特別な人間じゃない。
現在の世の中は急速に変化している。ぼっとしていたら、すぐに置き去りだ。
自分は特別じゃない、それでも揺れ動く世界を生きて社会貢献したいのならば、みんなに協力してもらわなければならないのではないか。
そのためには、まずは自分が相手のことを知ろうとする、「相手を思いやる気持ちをもつ」ことが大切だと思う。当たり前のことをかもしれないが、これがなかなかできない。自分が常識だと思っていることも本当にそうなのか、一度立ち止まって考えてみよう。そうすれば視野が広がって、違う考え方ができ、相手のことを知ることができるかもしれない。

こんな考えができるようになっただけでも成長しているかもしれないな、というところで今日の日記はおしまい。

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