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『才能』は誰にでもある。~なぜ埋もれてしまったのか?~

『才能って、なんだと思う?』

そう聞かれて、何をイメージする?
恐らく『誰の目にもわかるくらいに秀でている能力』だと、一般的には思われているかもしれない。だから、才能についての話をする前に、まずは『才能の2つの意味』を伝えておこうかなと思う。


『才能』とは○○。

1つめの意味、『才能とは、タレントである』ということ。才能という言葉を語源検索していくと、

意味:タラント(タレント)。テレビ・ラジオに出演する芸能人や文化人。才能、技量。

タレントの語源・由来:タレントは、才能や技能を意味する英語「talent」からの外来語。「talent」の語源は、重量の単位を意味する古代ギリシャ語「talanton(タラントン)」「talant(タラント)」に由来する。日本では才能や技能の意味から主に「芸能人」の意味で用いられるようになり、才能の有無に関わらずテレビやラジオに出演する人々を「タレント」というようになった。

語源由来辞典より


『才能=タレント』という意味を考えた時に、タレントとはつまり才能を活かして輝いている人のことなんだよね。逆に言えば、才能を活かせば、誰でもタレントになれるということ。その可能性は、みんなが持っているんだ。


もう1つは『才能とは、ギフトである』という意味。

ギフトとは、”神から授けられた贈り物”なんだと、多くのアメリカ人は考えている。人は誰にでもこの貴重な資源が分け与えられていて、生まれた時から、全ての人に備わってるものなんだよね。すごいでしょ?


でも、これが大前提。


しかもそれは、『人や社会に役立つために授けられているものが才能』だと定義されているんだよね。才能を活かすことで、社会への貢献ができるし、そこに人の生きている意味があるんだと言われている。だから、才能を活かさない手はないし、実際、多くの人は自分の才能を活かしたいと思っている。

才能って、その人そのものだから、今で言う「自分らしく」とか「自分の強みを活かして」とかの1番の本質の部分になる。そこに気づいて活かすことで、本当の幸福感があったり、豊かな人生が送れたり、さらにそこに社会貢献までついてくる。こんな良いことってないよね。つまり、

才能を活かすということは、自分自身の幸福と、社会貢献を同時に叶えられるってことなんだよね。


プロコワでは日々、沢山の才能が開花している。


 なぜ、才能は埋もれてしまったのか?

ではなぜ、才能は埋もれてしまったのか。「私には才能がない」と言う人が多いのはなぜなのか。

それは、”経済優先の社会が招いた悲劇”なんだよね。少し詳しく言うと、戦後の日本が、経済優先のために築いた社会のピラミッド構造における弊害とも言えるんだけど。


生まれた弊害の一例が
「努力は報われる」という思い込み
「お金を持つことが幸せ」という洗脳
「損得で考えるようになった」人間関係など。


経済的な理想を目指していくと、人は、表面的な人間関係になっていく。だから、自分に対しても、他人に対しても、悪いところ、足りないところに目が行くようになってしまったんだよね。

『この人のここは良いけど、ここは良くないな。』『自分のこういうところがダメなんだ。』『ダメな理由は、努力をしてないからだ。』とか。

良いところを探そうという文化ではなくなってしまったんだよね。どんどんマイナスを補おうとする社会風土が出来上がってしまった。


マイナスを努力で埋めないと、お金持ちになれない、成功できない、優秀になれない、優秀な企業で働けないという思考になる。これは、本人にも悪気はなく、誰かが悪いわけでもなく、社会の構造がそうさせてしまったんだよね。

マイナスを補おうとする文化が、才能を押し殺してきた戦後77年。


経済優先社会が招いた悲劇って、つまりそういうこと。もちろん、この社会構造の中でも、才能を活かして上手くいく人もいたけれど、一方で”自分自身に才能がない、ダメな人間だ”と思い込んでしまう人達もそれ以上に増えてしまったっていうのが、才能が埋もれてしまった背景。



でも、冒頭で話したように、実はあるんだよね。ただ社会がそうなったから思い込んでいるだけで。

才能は、生まれながらにしてみんなに授けられているものなんだ。



誰にでも、授かった才能はある。


次回は、才能が埋もれてしまったもうひとつの背景と、どう見つけていくのかについて話そうと思う。


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