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afterコロナの都市は地方都市と都会に分かれるか

これは、afterコロナでさらに「働く」まで都市機能として一定量機能がオンラインに移行してきた今、都市に求められるとまでいわなくても、都市ってどうなっていくんだろう?とふと考えた思考メモです。

beforeコロナの都市が担う重要な要素は「合理性」でした。
「人」も「モノ」も物理的な距離を集中させるほうが都合が良い。

生活する、仕事をする、遊ぶ。
若者の街、お年寄りの都市。
それぞれの役割やターゲットをもたせた形でそこにギュッとさせることが時間もお金も効率も良い。

都市が一定、合理性で成立していたのであれば、with/afterコロナで合理性という観点で存在していた都市機能をオンライン化することは、それこそとても合理的な進化といえるのではないでしょうか。

1箇所に集まることで合理的に進んでいた仕事、買い物、手続きなどなど。これに距離と時間を気にしなくていいなんてとても合理的。

「なんでもある」。これは都市の進化過程でも起きたことですが、それを機能で語るとオンラインに分があります。

こないだ久しぶりに買い物で渋谷を長い時間うろうろしたけれど、欲しい物がまったく買えずに愕然としちゃった。あれとこれを見るのをこんなに歩かなければならないし在庫確認の電話も大変。もちろん、偶然の発見と気になっていたブランケットの手触りが確認できたことはとてもステキ体験だったのだけど、疲れちゃったのと合理性ではオンライン中心で考えて、すくなくとも買い物体験は足りないところをリアルで補うのでいいやって思っちゃった。今更っていう人ももちろんいると思いますが。

話を戻して、afterコロナの都市の役割妄想。
都市の「雰囲気」というものはオンラインでは再現が難しいのではないかとも考えてみた。東京だけとってもいわゆる西側、東側というざっくりから、渋谷、新宿、丸の内、秋葉原とわずか数キロたらずの差で独自の雰囲気と空気がある。私は北海道出身ですが、地方も距離感が違うだけでもちろんあります。

リアルな都市に雰囲気と空気が出来たのは、機能とターゲットで成立してきて、そこに物理的な距離があるので、それぞれの都市に雰囲気ができるのだと思います。

オンラインは「距離」の概念を無くしたのが特徴であるがゆえに、バーチャル渋谷とかそういったものがいきなりピンとこない。大きくなりすぎたネット全体には雰囲気はもうない。一方で、特定のアプリやチャット、スレッドといった細分化されたところにはやっぱり雰囲気や空気があるし、これからももっと増えるし体験濃度も増えそうだ。ううむ、これもオンラインのほうが合理的なのか。まいったな。

都市設計における「近接さ」はある意味正義だったのに、コロナでそこに「疎」を作りましょうってことなのでそれは割と根本からの考え直し。

働くだけ!遊ぶだけ!住むだけ!みたいな極端な都市でそれぞれの場所に向けて移動とそこでとどまらせて過密にする都市を増やしましょう、から、適度な疎で住めて、働けて、遊べるという住みやすそうな地方都市的なものがにしましょうというのが1つ、もう1つは極端な機能とターゲットにしましょうと。ベンチャー特区でもカジノでもZ世代フォーカスでも、年配の方フォーカスでも。これはこれで良い未来なのかもしれないな。

後者はぎゅっとしたい、ハレのときにいくみたいな、以前の都市というか都会になっていくのかもしれない。

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