フォントの日に想う日本語のフォント環境
昨日は4月10日、フォントの日とのことで、フォントの日のイベントに参加してみました。イベント自体は、かなりお祭り的なもので、おいしい日本酒もいただいて楽しみましたし、深津さんも参加された未来のフォントについての話も興味深いものでした。そこで考えた日本語のフォント環境の問題点について、書いてみます。
進まない日本語の統一的なフォント環境の整備
紙メディアや、ウェブで文字を画像として貼り込んでいた時代には、フォントはクリエイターが持っていればよかったのですが、デジタルメディアが主流になると、コンテンツの閲覧者がフォントを使える状態であることが重要になります。
日本語でレイアウトしたものが、ある程度そのままの状態で、主要な環境で閲覧し、編集もできるというのは、デジタルメディアの情報環境としては、最低限あるべき状態だと思うのですが、それが現在にいたっても実現できていないのは、現在のフォントをめぐる大きな問題です。OSが変わると、フォントが変わる、字詰が変わるということが起きてしまい、レイアウトがくずれてしまうこともあります。
各OSが搭載しているフォントにある程度共通している部分があればよいのですが、游ゴシック・游明朝がMacとWindowsにインストールされるなど、多少の改善は見られるものの、現状ではまだ限られています。でも、これ、技術の問題でも、フォントそのものの問題でもないのですね。大人の事情をなんとかして、調整することができれば、なんとかなるはずの問題ですが、なかなか進んでいません。
時代はストリーミング
デジタルコンテンツのいろいろな問題については、音楽がいち早く壁にぶちあたり、その解決策を模索してきました。アナログ・レコードやCDといったパッケージメディアの時代から違法ダンロード問題、ダウンロード販売の時代をへて、ストリーミング&サブスクリプションの時代へと動いてきています。
これは、おそらく今後のさまざま分野でのモデルとなるはずで、フォントもストリーミング的な方向へいくことでしょう。クリエイター向けにはサブスクリプションが主流になっていますし、Webフォントは、いわばフォントのストリーミングともいえます。
Adobe Typekitは、MacでもWindowsでも、コンテンツを開くのに必要なフォントがインストールされていなければ、自動でインストールしてくれます。Typekitで使えるフォントに限られますが、OSとの間で、こうした調整を自動でやってくれるのはとても便利です。
OS間でのインストールフォントの共通化がなかなか進められないのであれば、クリエイター向けだけでなく、コンテンツの閲覧者に向けたTypekit的なもの、OSとの間でフォント環境の調節を行う仕組みが必要なのではと思うのです。
そこでの収益をどのように回収するのかは大きな問題ですが、音楽におけるサブスクリプションが、少額を積み重ねながらも、利益をだせる状況になってきたことを考えると、仕組みしだいでなんとかなる可能性はあるかもしれません。
個性化と共通化の両面で
個性的なフォントがたくさんでてきてほしい、クリエイターがもっと楽しくフォントを使いたいという欲求はあります。これもとても重要なことです。一方で、一般のユーザーが、情報をやりとりするための基本的なフォント環境の整備も重要な問題です。この後者の問題が、2018年にもなってまだ解決できていない、重要な問題と感じている人がそれほど多くないということは、かなり悲しいことだと感じています。
実は去年もほぼ同じことを書いていたりするんですね。
いつか、フォントの日にこんなことを思わない日がくることを願っています。
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