市場を創造する男 ジョルジュ・メンデス
黒幕は悪い男であってほしいものです。マーケットを支配するものの存在を感じたとき、生理的な現象として、その黒幕を憎もうとしてしまいます。
今年からポルトガルサッカーをみていくぞ!と宣言してからというもの、国外へ多くのタレントを供給し続けるポルトガル3強の、移籍市場での戦略を意識するようになりました。
その視点で現地メディアを追っていると、当然ながらある事実に行き当たることになります。3強が持つその利益構造は、単にクラブの戦略と努力のみがもたらしたものではなく、ある一人の代理人の存在が大きく関わっていることが見えてきました。言わずと知れたスーパーエージェント、ジョルジュ・メンデスです。
彼はポルトガルのスポーツエージェントであり、ポルトに本社を構える代理人事務所 Gestifute(ジェスティフテ)の代表を勤めています。世界で最も影響力のあるサッカーエージェントの一人であるメンデスは、これまでにビッグディールを何度も手がけてきました。現代のポルトガルサッカーの、ひいては欧州サッカーの隆盛は、メンデスの存在が前提となっているといっても過言ではありません。
生い立ち
ジョルジュ・メンデスは1966年、ポルトガルの首都リスボンで生まれました。ベンフィカの下部組織でDFとしてプレーし、1988年にSCヴィアネンセと選手契約し、同時に副業としてビジネスを始めました。
そのビジネスはレンタルビデオ店から始まりファーストフード店、ゲーム機のレンタルなど多岐にわたるもので、選手との両立をしながら市場分析力を磨いていきました。そのビジネスの一環として始めたのが、選手の代理人業だったといいます。
代理人 ジョルジュ・メンデス
メンデスの最初の顧客は、当時ギマラエスで1部リーグ最年少GKとしてプレーしていたヌーノ・エスピリト・サントでした。1994年にヌーノと知り合ったメンデスは、FCポルトとの移籍交渉を代理するも挫折します。移籍こそ成立しませんでしたが、その後多くの選手契約を交わすことになるポルトのピント・ダ・コスタ会長に、メンデスの存在が知られました。
1997年、ついにヌーノの移籍が実現しました。移籍先は当時スペインのラ・リーガで黄金期を迎えつつあったデポルティーボ・ラ・コルーニャ。その後数年に渡って癒着を疑われるほどに関係を深めたメンデスとデポルのレンドイロ会長との蜜月は、この移籍がきっかけとなって始まったものでした。
Gestifute(ジェスティフテ)の設立
1996年、代理業の会社 Gestifute を設立しました。Gestifuteは、多数の世界的プレーヤーや監督を顧客として抱えるスポーツマネジメント会社で、ポルトの本社のほか、リスボンに支社を構えています。
transfermarkt で Gestifute の顧客となっているプレーヤーをざっと一覧でみることができますが、その錚々たる顔ぶれには胸をときめかせずにはいられません。ポルトガル国籍の選手を中心に、世界のメガクラブで活躍する選手がずらりと並んでいます。
クリスティアーノ・ロナウド
2002年、メンデスは彼の人生を変えた選手と代理人契約を結びます。ポルトガルの英雄、クリスティアーノ・ロナウドです。クリスティアーノもまたメンデスによって人生を変えられた選手の一人です。
ファーガソンとの接触は、アシスタントコーチだったカルロス・ケイロスを通じて行われたといわれています。2003年、クリスティアーノの移籍が成立しました(移籍金1,800万€)
メンデスとマンチェスター・ユナイテッドの関係はそこから始まり、2007年にはアンデルソンとナニの移籍も成立しました。
チェルシーへの橋渡し
ロマン・アブラモビッチが2003年7月にチェルシーを買収した翌年、メンデスは当時ポルトの監督としてCLを勝ち抜いていたジョゼ・モウリーニョとコンタクトをとります。ポルトでCL優勝の快挙を成し遂げたモウリーニョは、メンデスに導かれて2004年夏にチェルシーの監督に就任。以後二人の関係性は深まっていきます。
この時期、メンデスはモウリーニョ以外にも有力なポルトガル人選手をチェルシーに送り込んでいます。ポルトでモウリーニョとともに黄金期を経験したリカルド・カルバーリョやパウロ・フェレイラ、ベンフィカでブレイクしていたティアゴなどは皆メンデスの顧客でした。これを契機として、Gestifute の世界進出がスタートしました。
レアル・マドリーとの関係
モウリーニョはチェルシーで伝説を作り、2007年に退団します。その後2008年にインテルの監督に就任し、2010年にはイタリア史上初の三冠に導きました。三冠の直後、モウリーニョはレアル・マドリーの監督に就任します。移籍金は700万ポンドと言われており、監督としては当時の世界最高額の移籍金でした。
モウリーニョが就任する以前のレアル・マドリーには、すでに2人のメンデスの顧客が在籍していました。2007年にはペペ(3,000万€)、2009年にはクリスティアーノ・ロナウド(9,600万€)がそれぞれ加入しています。さらにモウリーニョの推薦で、リカルド・カルバーリョ(800万€)、ディ・マリア(2,200万€)といった2人のメンデスの顧客も獲得したマドリーは、モウリーニョ体制による激動の3シーズンを経験することになります。
続く2011年には、ベンフィカからファビオ・コエントラン(3,000万€)、アンチェロッティ監督がデシマ(10回目のCL制覇)を達成した直後の2014年にはモナコからハメス・ロドリゲス(7,500万€)を獲得しました。いずれもメンデスが代理人を務める選手たちです。
2014年夏の移籍市場
2013-14シーズンのCL決勝は、リスボンでのマドリードダービーとなりました。ピッチ上には、メンデスが代理人を務めるプレーヤーが両チーム合わせて8人も立つことになりました。
激闘の末、レアル・マドリーがラ・デシマを達成したシーズンオフ、ブラジルW杯と並行する形で進んだ移籍市場で、メンデスは膨大な金額を動かす多くの移籍を成立させました。
ウルブスでの挑戦
2016年、中国の投資会社グループ「復星集団」の基幹企業「復星国際」が当時チャンピオンシップ(2部)に所属していたウォルバーハンプトン・ワンダラーズFCを買収しました。この買収は Gestifute が仲介しており、メンデスはその後クラブの相談役としてクラブ経営に関わることになりました。
当時のウルブスはチャンピオンシップでも成績が振るわず、15-16シーズンは14位、16-17シーズンは15位と低迷していました。2017年夏、中国資本を活用した改革がスタートし、メンデスの人脈を活かして有力な選手が次々と加入します。
メンデスの最初の顧客、ヌーノ・エスピリト・サントの監督就任を始め、ルヴェン・ネベスなどの有力選手が加入しました。2部らしからぬ戦力を備えたウルブスは17-18シーズンのチャンピオンシップで優勝し、プレミアリーグに返り咲いています。
その後もルイ・パトリシオ、ジョタ、ジョアン・モウチーニョなど、多数の顧客をウルブスに送り込み、ウルブスにはポルトガル人選手が多数在籍する現在の状況が生まれています。
市場を創造する男
2017年夏にもベルナルド・シウバやエデルソンなどの移籍を手がけ、高額移籍ランキングに着実にランクインしているメンデス。かつてマドリー周辺で活動していたときのような派手さは失われつつあるようですが、顧客リストを見る限り、ダルウィン・ヌニェスやジョアン・フェリックス、ディオゴ・コスタといった若い世代の名前も光っています。次世代も盤石であることは間違いないように思われます。
クラブ経営への介入、脱税疑惑など、暗い部分が注目されているメンデス。闇の深さは我々一般人には想像すべくもないものですが、これだけの金銭を動かしていることだけが疑いようのない事実です。スーパーエージェントを知れば知るほど、移籍市場の構造が立体的に見えてきます。
メンデスは自らの手で市場を創造しています。支配しているのではありません。もはやメンデスを抜きにして、移籍市場の成長を予見することはできないように思います。
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