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一緒に暮らしたいというけれど

父が退院後、車の運転が危ない(来年の免許更新はしない)母がどうしたら会いに行けるのかということで、同じデイサービスが利用できるように算段をしている。
繰り返し説明をしてようやく理解した(すぐ忘れるけど)母だが、「お父さんの部屋に私は一緒に住めないの?」と聞いてくる。

2人部屋のある施設もあるけれど、今の状態の母を思うように話したり動いたりできない父と一緒にすることはできない。
母は自分が「お父さんの世話をする」と思っているけれど、倒れる前だって実質父が母の面倒を見ていたようなものだ。
こまかすぎて複雑なゴミの分別や、ゴミ出し、通院や薬の管理、電話の応対などは全部父がやっていた。

今の母は、よほど印象的なことであればなんとか記憶に残り、忘れてほしいことほど忘れず困ってしまうんだけど、ちょっとした会話や確認事項は分単位で忘れていく。脳の中に新しい記憶を置く場所が全然ないという感じ。
「服がない」といって買いに行っても結局似たような服ばかり買って古いものは捨てないので、新しく買ったものがどれかわからない。
引き出しの一段が見分けのつかない黒いズボンでパンパンになっているのには頭を抱えた。
ガードルが毛玉だらけになってしまったというので前回の帰省で一緒に買ったのに、それを忘れて今回もないないと言い続けていた。
どの組み合わせにしたらいいかわからない、といって新しく買ったシャツとズボンを抱えて、洋服ダンスのある寝室と私がパソコンに向かって仕事しているリビングの間を往復すること、一時間に3回。

こんな状態の人間を弱っている父のそばに置くことはできない。
もともとが穏やかな人なので、もどかしい自分の現状も受け入れているように見えるけれど、相当なストレスだと思う。
そこにいくら50年以上連れ添った妻とはいえ、客観的に見ればボケたおばあさんを置いておけない。

母が考えている「幸せ」は父と暮らすことだろうし、父も母のことは心配なんだろう。だけど施設で一緒に暮らすことを選択すれば、間違いなく母の認知症は一気に進む。父もしんどい。それだと2人とも幸せじゃないと思う。

毎日できないことばかり数えて嘆く母だけど、毎日家中を決まった手順で掃除して、そこそこ長い般若心経を間違いなく唱え、コーヒーを入れてパンを焼く。洗濯機を回して干して、乾いていなければ乾燥機にも入れて乾かす。らくらくホンだけど電話もLINEもできる。寒くなったのでお風呂にお湯をためるようになり、残り湯があればそれで洗濯しようという判断もできる。
父と離れている時間が多くなっても、そうやって「普通」に暮らせる時間が長い方が母にはいいと思うんだけど、間違っているんだろうか。


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