白いヘビについて深く考えない(縁のある男に会った日に、へびに咬まれた続き)
読み返してみると、なんだか1人目の縁のある男の話ばかりになっているなと思った。
1人目の縁のある男と、2人目の縁のある男は全く似ていない。
はじめこそ、トラウマにより思い返したが、瞬時に現在に戻ってくるほどに全く似ていない。2人目の縁のある男とは、過去の私ではなく今の私の、やっと好きになれてきた自分が好きな感覚の部分で、深くつながっている湧きあがるあたたかさがあった。うまく説明できないけど、自分をそのままを肯定できる感じ。1人目とはまた違う感覚。
2人目の縁のある男とは、「縁のある男に会った日に、へびに咬まれた」の中で書かなかったさまざまなシンクロがあった。自分ではっとして、彼に言わなかったことも含め。世界を見る目線が近しいような。
誰にも秘密にしてとっておきたい部分ってあるじゃないですか、思い出とか。私だけの中に沈み込んでいればいい。
そもそも、私は自分のことをそのままに書くのが好きではなくて、これまで、特に今年は自分のことを表現するのか、ということについて消えては浮かんで消えては浮かんでしていた、ふつふつと。ほんとは2年半、もっと前からずっとか。
とにかくその時は必要になった。自分に必要となったから、「縁のある男に会った日に、へびに咬まれた」を書いた。けど、もう書いたのだから、公開していなくってもいいのではないかという気持ちもふつふつ。
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先日たまたま見た物語に白いヘビがでてきて、わたしにとっては咬まれた理由はこういう感じと思った。
あくまでも私がこの物語の彼女と似ていると思ったのであって、彼の方は違うと思うけど。
私はヘビに咬まれてよかったと思っている。咬まれてから、結構すぐにそう思った。何か白っぽい優しいヘビが「おめ、目を覚ませ。」がぶぅってしてくれたように思えた。
まず、咬まれた後に、思い至ったのは、彼とインターネット上でやりとりをし始めたころに書いた短編小説だ。私が「生きていたくないし、死にたくもない。」と思った頃に書いた。それは今賞に出しているため、掲載できないが、その話が今回の話そのものっぽくねえかと(10月半ば過ぎたら掲載しますね)。
その中で、終盤、下記の文章がある。
この中の、「彼には彼の必要なことを、私には私の必要なことをやろう。」を想った。
そして、上の見かけた物語がまさに私の心境だなと思ったのだ。上の物語のように、わたしはあの時、自分の女性性へと傾きすぎていたと思うから。そこに傾きすぎちゃダメだって。書きたいことがあって、根源的に自分でありたいと求めるものがあるから、どんどんと子どもの自分に戻っていっているのに、書きなさいよ、身体の中がゆきしろでゴーゴーしてるんだから、書きなさいよ。光を誰か1人だけに注ぐんじゃないでしょうが、そこにも注がないとって思ったのです。
2年半前から私の人生は不思議なことの連続で、現実にしては嘘っぽくて、小説にしても嘘っぽい、そういうことばかりだ。でも、人の人生はそれぞれ、ひとつとして同じものはなくて、みんなも自分の中に大切に染みこませておきたい思い出だってあって、それぞれに、あるんだろうないろいろと、と思う。
つい、突き詰めて考えたいたちの人間で、どんどんと考えてしまうのだけど、最近は味わっていたい感情とは別として、深く鋭く考えすぎることをしないと思っている。ああ、そうかと腑に落ちたら、おしまい。それが、絶対にそうだとか思わないようにしている。
突き詰めるエネルギーは、物質を分解していってケミカルと呼ばれる分野まで精製していくのと一緒で、とても鋭い。突き詰めた考えは自分にとっても、周りの人にも鋭くつきたてるように感じる。そうかどうかなんて、フィフティーフィフティーだし、なんかまぁいっかというか、この世にはわかんないことだらけだしさ、ふざけたいというか、正しいか正しくないかなんてどうでもいいというか。そういうぐにゃっと、おどけた、ゆるやかな空気グレーなものがたぶん自分はすきなんだろうな。白黒つけたい性分のくせにね。
だから、もう、あと、何ていうんですか、レモンサワーを飲んで寝ます(もう飲んでいるけど)。
おわり
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