〇〇最後の入学式

新しい元号が『令和』と決まり、
桜もちょうど満開くらいの時期に、
各所で”平成最後”の入学式が行われた。

考えてみると31年前の昭和63年、”昭和最後”の小学校入学式を私は体験した。

なんて思い出してみると、なんとも残念な入学式の記憶が蘇ってきた。
私にとって、その入学式は悪夢のような思い出だった。


9学年違いの姉

私には、二人の姉がいて、上の姉とは10歳はなれている。
私が早生まれなので、学年にすると9学年差だ。

ということは、私が小学校1年生の時に上の姉が高校1年生。

その学年差が”ちょっとした悲劇”の原因だった。

”はじめて”の概念

なんと入学式の日にちが、丸被りになってしまった・・・。

母は両方の入学式に付き添いすることはできない。
当時は会社勤めの父親が有休を取ってまで子どもの行事へ参加することは珍しい時代。

そこでピンチヒッターとして登場したのは祖母だった。

前回の投稿でも書いたけれど、祖母はちょっと変わり者で、当時はまだ同居もしていなかったし、私にとっては言葉も通じない、行動も理解できない、宇宙人のような存在だった。

が、しかし。

いつ決まったのか、母が高校の入学式、祖母が小学校の入学式に参加することになっていた。

母いわく「高校は初めてだから」だそうだ。←
(何かあっても下の姉が6年生でいるし・・・って、えー。)

ショックだ。

むしろ、”学校がはじめて”の小学生の私に母が付いてきてくれるものではないのか・・・
(いまでも思うけど、高校生の入学式に親は要らなくないか??)

まあ、ぼやんと不安と不満を抱えたまま、”おばあちゃん”と入学式へ行った。


周りと違うということ


クラス分け。同じアパートの幼馴染とはクラスが別れてしまった。

おばあちゃんは自由だ。
何より集団行動が重視される学校という空間でも、先生方の誘導や指示なんて聞いてない。
聞こえてないのかな?と思う時もあるけど、いや、あの人は聞いてない。
だから幼馴染(というか近所のおばちゃん)が同じクラスだったら安心できたのにな。

なんて、細かく考えてはいなかったけど、とにかく不安でしかなかった。

クラスごとに集合写真を撮る。保護者も後ろに並んで写る。
おばあちゃん、なんか先生に言われてるな。
見渡すと周りのお母さんたちは、おばあちゃんどころか、うちのお母さんよりも若い人ばかり。

同級生「誰のおばあちゃん?なんでおばあちゃんなの!?ねえ?」

子どもは残酷だ。
ついでに、着せられた服も9年前の姉の服で、なんか雰囲気が周りと違う。
周りと違うのは変、恥ずかしいという風潮。
人見知り、引っ込み思案な6歳の私。

集合写真には、眩しそうに眉が下がった、不安げな悲しげな表情の私が収まった。

過酷な時間はまだ続く。

よっちゃん、こっち向いて〜♪


これから毎日使うことになる教室へ案内された。
全員自分の名前の貼ってある席に座り、保護者は教室の後ろにずらりと並んでいた。

おばあちゃんは、溢れかえっている保護者の集団の中で、怯まずにゆっくりと奥のベストポジション(森田だから私の席が窓側後ろの方だった)を取ったようだ。
こういう時のおばあちゃんは、”老人らしい”振る舞いで、うまく周りの人に”どうぞ”と言わせる・・・そのやりとりが私にも全部聞こえる・・・。

担任の先生の話が始まった。

どれに名前を書いてとか、これは明日から毎日持ってきてとか、ミッションが告げられるかもしれないので、気を抜けない。

幼稚園とは違う、どこか緊張感のある教室内。

と、必死に先生の目をみて話を聞いている真面目な一年生の私に、後方から先生じゃない声が聞こえた。

「よっちゃん、よ〜っちゃん!」

・・・おばあちゃん・・・一応、小さめの声で呼んでいる。

(ムリだ。無視。今は先生の話を聞く時間だ。)


すると、再び聞こえてくる。

「よっちゃん、ほら、こっち、こっち向いて♪」

返事をしないから声が大きくなってきた。

追い詰められた私は一瞬振り返ってみる。
するとおばあちゃんは、じりじりと前進してきていて、手にはカメラ・・・
写真を撮ろうとしていたのだった。

(・・・やはり他人のフリをしよう)


と前に向き直った私は、先生と目があってしまった。

(あぁ、無理だ。おばあちゃんを止めなくちゃ・・・)


私はもう一度振り返って困り顔で「あとで」と言ったか言わなかったか、とりあえずその時、1枚写真を撮られた。

(これで満足して早く戻ってくれ・・・)


と思ったが、

「よっちゃん、笑って、ほら♪」

(あぁ・・・)



すると、ついに先生が話を中断して言った。

「保護者の方は、今は静かにしてくださいね。後ろで見ていてください。私が話してます。お子さんが一生懸命聞いてますから。」

(あぁ、叱られた(おばあちゃんが)。恥ずかしい。)


教室内には保護者のクスクスという笑い声と、「ねぇ、おばあちゃん?なんで?だれの?」という子どもの声がワッと拡がり、先生の静止ですぐに治った。

でも、もう私は先生の話も耳に入らないくらい放心していた。


という思い出・・・。


いまでは・・・

いまでもちゃんと実家のアルバムには、困り顔の6歳がきちんとアップで写ってる写真が残っている。

見るたびに、あの時の微妙な気持ちを思い出す。
けれど、今では笑い話。
今なら、「困った人だね(笑)」くらいで、楽しめるのにな。

ひょっとしたら、側からは”普通”に見えていた他の家族も、実は内から見るとこんなもんで、普通じゃない思い出があるのかな?(いや、無いか。)

※でもとりあえず、他人に迷惑をかけちゃいけません。


あの日から始まった学校生活。
人と違うということは、とても重大で、とても嫌なことだった。

そのうち、逆に”人と同じであること”をいかに打ち破っていくかという生活になるのだけれど。
それはまた、別の機会に。


そんな、”普通”であることに憧れた子供時代の家族の記憶その2でした。




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