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「宇宙戦艦ヤマト」登場。

1974年10月からは、「宇宙戦艦ヤマト」がよみうりテレビ系で始まりました。日曜の夜7時30分の枠で、「アルプスの少女ハイジ」の裏番組で、第一話は私はハイジを見ていて、SF研の友人が、面白いアニメが始まったというので第2話から見たのがヤマトでした。その世界観と、あと宮川泰 (みやがわ・ひろし)の音楽に魅せられて、半年間見ることに。
ヤマトには、のちのガンダムの富野監督と安彦良和さんも参加していました。ヤマトからガンダムのSFアニメの流れは無関係ではないと思います。
ちなみにヤマト(74年)はスターウォーズ(77年)より先に世に出ています。ヤマトのメカとスターウォーズのメカは、雰囲気は異なるが何か似たものを感じます。ただそれを言うと、1970年に放映されたSFテレビドラマ「謎の円盤UFO」に出てきた月基地ムーンベースの迎撃機インターセプターのほうが、スターウォーズのメカに似ているかもしれません。
いずれにしても日本と欧米は、とくにアニメやSF好きな人たちは当時からお互いに気にし合っていて影響を受けあっていたように思います。もっと言うと、イギリスのスーパーマリオネットテレビドラマの「サンダーバード」(1965年)が、日本のアニメに与えた影響ははかりしれないと思います。メカや設定がすばらしい。基地とか。しびれます。
初号機とは呼んでいませんが、1号、2号といったメカが登場していました。
ヤマトやガンダムのスタッフは大いに影響を受けていると思います。
70年代初め、当時、漫画では、少女マンガにSF的な漫画が登場して、私は少年漫画より少女漫画のSFにひかれ始めました。代表的な作家が、萩尾望都と竹宮恵子です。70年代前半の萩尾の「11人いる!」「トーマの心臓」「ポーの一族」、竹村の「地球(テラ)へ」(1977年)は、それまでの手塚治虫、石森章太郎らが築いてきたSF漫画とは異なり、男性漫画家にない繊細なペンタッチと雰囲気が、あたらしいSF感覚をもたらして、魅了されました。正確に言うと、SF研の仲間に影響されたのですが。
「11人いる!」」は、のちにNHKの少年ドラマシリーズにもなっていますが、当時、スライドアニメの手法で声と音響の付いたスライドアニメを、コミックマーケットのような集まりでどこかのグループが作っていたのを見た記憶があります。
「地球(テラ)へ」 はアニメにするといいなあと当時思っていましたが、のちに東映でアニメ映画化がされました(1980年)。監督に実写の監督を持ってきていて、私は、原作の繊細な雰囲気が出なかったと記憶しています。

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