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「熊野詣で日記12」〜紀伊勝浦から伊勢へ〜

3月29日

昨夜はかなり酔っ払っていたのにもかかわらず、目が覚めたのは朝の6時半。 二日酔いもほとんどない。

熊野古道の巡礼中は電波も悪いこともあってほとんどSNSの類いをチェックをしてなかったが、今はあたりまえのようにinstagramを開いていた。

そのスマートフォンの画面の中は、色んな人たちのそれぞれの「日常」が表現されている。 自己顕示欲を満たすため、そして寂しさを紛らわすため皆必死のようだ。私とて、巡礼中に何度か投稿したので例外ではないが、5分もみていると少々疲れた。

山を降りてから一気に情報の洪水にさらされることになり、またそれ引きづられて、巡礼の効果は一瞬でどこかに行ってしまったように感じていた。 

せっかく巡礼にきているのに勿体ないことだと思う。  



オリバーはまだ寝ていたが、私は、せっかくの旅行なので一人で勝浦港を散歩することにし、すぐに用意してでかけた。

外は昨日の雨天が嘘だったかのように晴れ渡っている。

まだ春先の冷たさは残っているが、鼻から吸い込むその冷たい空気がまるで清涼剤のように気持ちよかった。


勝浦港の市場のそばには足湯がある。

私はいかにも片田舎の漁港といった雰囲気のする海を眺めながら足湯に浸かりぼーっとしていたが、人の生活の匂いのするこの漁港にいると、昨日まで山野を分け入り何日も歩いていたのがまるで嘘のように思えた。

山深く人間が極めて少ない熊野はやはり「異界」だったのだと改めて気が付いたのだった。

にしても、大都会の煩わしさから離れ、寂れた辺鄙な港町でのんびりとできる時間を持てるのは、せわしない都会からやってきた私にとってはとても優雅で贅沢なことに違いない。


隣のマグロ市場では巨大なマグロが何百匹も並び競りが行われている。


それをみて世間は働いているのだと改めて感じるとともに、いよいよ娑婆にもどってきたのだなという気を強くする。   

わたしは明らかにここでは社会に参画できていない異邦人だった。

社会の枠の外にいることは何の責任もなく心地良いものだが、世の中から疎外されているような気分で不安感が募りはじめる。

朝早くから仕事をし、社会の中でしっかりと責任を果たし、妻子を養っている(であろう)このマグロ市場で働く海の男たちを見ていると私は羨ましく思う。

人は私のように色んなところに旅にいく人を羨ましく思うようだが、つまるところ人間の幸福はこのような当たり前の日常の中に存在するのだろうと思うようになった。

 



マグロ市のあと、漁港の寂れた裏通りを散策しているとオリバーから電話があった。こっちまでくるという。

オリバーが来てからは市場の隣の「勝浦漁港賑わい市」で朝飯をくった



宿に戻り、チェックアウトし、10時5分の紀伊勝浦発の電車に乗り伊勢へ向かう。 


私たちは今日伊勢で、大阪で遊んだマサキと合流する。

マサキは、前の記事にも書いたが、私が世界一周しているときに各国各地で何度も会い、数年前は一緒に北朝鮮も行った、いわば盟友である。

昨日の夕方電話かけると、暇なので俺も伊勢までいくと言い出して本当に来ちゃうような、超フットワークの軽い男で、来るといったときはさすがに私もびびった。

だが、バックパッカーの頃の習性が抜けきれないのは彼も私も全く同じだ。



紀伊勝浦駅から伊勢への電車から見る途中の海の風景は壮大だった。発展に取り残されたこの片田舎の風景は映画に出てきそうなほどノスタルジックで、私はなんだか余計に福岡に帰りたくなくなった。

きっと、都会に帰るとまた同じ日常の繰り返しになるのがわかっていたからだろう。

15時前に伊勢市駅に着いたが、マサキもほぼ同じ時間に着いていた。

私らは一緒にこれから二泊する風見荘へ向かった。


一泊3600円で、ドミトリーにしてはかなり高いと思ったが、しかし、とても清潔で、ヒッピー色、カウンターカルチャー色が濃厚で、私好みの怪しい本がたくさん置いてある。オーナーのヒロミチさんのカラーがよく出ているのだろう。



外宮内宮への参拝は次の日にするとして、私たちはその日は街を少しぶらつき、「虎丸」という、マサキが予約していた居酒屋へ行った。

その途中の川崎の古い街並みには、木造で、明治、大正、昭和と続いてきた(であろう)商家の家々が並んでいた。 

こんな素敵な街並みが残っているところが日本には他にどれだけあるだろうかと思い、無味乾燥なコンクリートづくりの建物ばかりになってしまった現代日本の姿を対比して残念に思うのだった。日本はやはり何か大事なものを失ってしまったと思う。



日本は明治期から西洋化し始め、第二次大戦の敗戦後はそれが一層加速した。日本人は日本の伝統も文化も蔑ろにし続けてきたが、それは今も続いているし、おそらく今後もより一層続いていくであろう。    

三島由紀夫は切腹して死ぬ前に、

「このままいったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう」

と警告したが、本当にそのようになってしまっている。

そして、いまや、日本の古い伝統と技に高い価値を感じるのは外国人ばかりとなっている。  

日本にはそういう外国人が勉強しにやってくる。オリバーもそういう外国人の1人だった。

彼はこの旅で仏教もしくは修験道への興味をいよいよ強くし、しかも役行者(えんのぎょうじゃ)や天狗のフリークとまでなってしまった。役行者と空海を自分のグルと定め、天狗と役行者のマントラまで覚えたりしている(笑)。今では尺八を始め、博多の伝統のあるお寺で尺八の修行に勤しんでいる。

また、居合道や合気道の道場には必ずと言って良いほど、外国人の修行者がいる。刀鍛冶にも外国人の弟子がくるようになった。外国人だらけの禅寺もある。

フランス料理のコックやクラシック音楽の達人に日本人が多くいるように、他国に憧れを抱くのはどの国の人も同じなのかもしれない。

こうやって西洋東洋の文化が互いに影響をしあって、また新しいものが生まれていくのが世界の流れなのだろう、と思えば、広い視野で見ると、日本人が伝統を蔑ろにしてまで、海外の文化の摂取に勤しむのも悪いことではないのかもしれない。


虎丸という素敵なお店では、あら炊き、刺身、牡蠣のバター焼きなどをたべた。そして「風の宮」という伊勢の神様に捧げるお酒などもいただいた。

とても独特な陶磁器を揃えており、とても綺麗のものばかりだったが、いかんせん料理の値段がめちゃくちゃ高く、会計では私の顔が引きつる。

今回の旅は金がかかって仕方がないが、3月分の給料がまたたっぷり入ってくるから大丈夫だと言い聞かせ自分を慰めた。

私たちは宿に戻って、また少し酒を飲んだ。

夜は10時半くらいに、旭湯(あさひゆ)という二見浦(ふたみがうら)の潮水を毎日汲んできているという銭湯に行った。

通常、伊勢神宮を参拝するときは、先ずはこの二見浦まで行きそこの海水で身を清めることを慣いとする。そのことを「潮垢離をとる」というが、二見浦まで行けなかった私たちはこの旭湯の潮水で明日の神宮参拝のために潮垢離をとることができたのだった。 



神宮参拝のための禊(みそぎ)も終えることができた私たちは大満足の内に宿に戻り、ふかふかの布団で寝られることの幸せを噛みしめて寝て、明日に備えたのだ。


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